第63話 へちりあ人はへちりあ料理をご所望です 壱


 その日あたしは、難しい顔をしたお内儀さんと、もっと難しい顔をしたお武家様と、内所で顔を突き合わせていた。


「それでは貴殿もへちりあ料理は知らないと」


 膳奉行の梨木勇之進と名乗ったお武家様は、あたしの返答を聞いてため息をついた。


「南蛮の料理ならば、江戸一通じているのは貴殿であろうと松平様から伺ったのだが……」

「確かに知っておりんす国ならば南蛮の料理も作れんす。ただ、へちりあ料理ということは南蛮でもへちりあという国のことでござんしょう。さすがに知らぬ国の料理はよう作りんせん」

「これは困った。へちりあ料理を作れと、上様からの御直々の御命じなのだ。お雇い南蛮人のへちりあが、へちりあ料理を食べぬと力が出ぬと仕事もせず駄々をこねているゆえな」

「お雇い南蛮人ならば上様はあまたお雇いのはず。へちりあ人にこだわらずとも…」

「いま、江戸にへちりあ人は一人しかいない。へちりあの技はそやつしか知らぬ」

「あれまあ……それは困りんしたなあ……」

「なんとかできぬか山吹殿!貴殿は侍の刀を拳で砕き、下駄で浪人を粉にしたという。その仏のごとき腕で……」

「そたあことしやんせん!」


 黒歴史を思い切りえぐられたどころか、信じられない規模に話が大きくなっているのを知って思わずあたしは膝立ちになって叫んでしまう。


 梨木さんは「あ……いや……すまぬ」とかもごもごつぶやいていた。

 もしかしたら自分も粉々にされるんじゃないかと思われたりしたらたまらないので、あたしは座り直してできるだけ優雅な口調で話す。


「わっちこそ、大声を出して申し訳ないことでござりんした。されどわっちはほんにさよなことはいたしておらんせん。下駄で浪人を打擲ちょうちゃくしんして、お上からお褒めをいただいたのだけはまことでありんすが……」

「しかしこの店で出している南蛮料理は貴殿が考えたのであろう?」

「あい。されどへちりあなぞという国の料理は……」


 そのとき、あたしの頭の中に久しぶりにピコーン!のLINEスタンプが浮かぶ。


「そのお国、へちりあではなくシチリアでは?!」


 ぐいっとひざ詰めするあたしに梨木さんがのけぞった。


「山吹殿?!」

「そのお雇い南蛮人の生国しょうごくはシチリア王国ではありんせんか?!」

「いやそれこそ私にはわからぬ。へちりあとしか聞いておらぬ」

「梨木殿、へちりあ人は何を教えに参りんしたか?」

「洋紙の作り方……それにこの国とは違う絵草紙の書き方を絵描きどもに教えると……」


 ビンゴ!!!!


 お雇い外国人の仕事といえば外交や通訳、でもイタリア人だけは美術関係を主に教えに来てたんだ!


「なるほど。委細承知いたしんした。その国の料理ならばわっちにも作れまする。ただ」

「ただ……?」

「材料を揃えるのがいと難しゅうおりんす。わっちが書き付けささんしたもの、お上が全て揃えてくだしんすのならば、お引き受けいたしんしょう」

「では……お引き受けくださるのか、山吹殿……!」

「あい。ああ、もう一つ」

「なんであろう。私はなんでも聞くぞ。これで腹を切らずにすむ。山吹殿は私の救いの菩薩だ」

「わっちが料理を作り、膳部の方々はわっちらの手伝いをささんすこと。わっちの禿が給仕をいたしんすこと。よござんすか」


 あたしがそういうと、梨木さんの眉間にぐっと皺が寄る。

 

 わかるけどさあ。


 江戸城のキッチンに花魁が入るなんて前代未聞なこと。

 

 でも梨木さんたちにレシピだけ渡したって、絶対まともなイタリア料理はできない。

 それだけはあたしは確信をもって言い切れる。

 

 だって梨木さんたちはトマトは観賞用で食べない時代の人だよ?

 でもあたしと、あたしの言うことをちゃんと信じてくれる桜と梅がいれば、一人分のイタリア料理なんか怖くない。


「しかし……そればかりは……」

「では梨木殿、アルデンテ、がおわかりになりんすか」

「あるでんて……?」

「チーズはいかにして作るかおわかりになりんすか」

「ちい……ず?」

「わからんでござんしょう。ゆえにはじめだけはわっちらが手本を見せんして、それからは膳部の方々でへちりあ料理を作るようにすればよいかと思いんすが、梨木殿はどうでありんすか」


 梨木さんの動きが止まった。

 それから、絞り出すように唇が言葉を紡ぐ。


「……あるでんて」

「あい。食した者にしかわからぬ味でおりんす」

「なんとか……なんとか上様と膳部を説得してみよう。その間に山吹殿は必要な食材を書き付けてくれ。どのようなものでも揃えてみせよう」

「どのようなものでも?信じてようござんしょうか」

「武士に二言はない」

「それはありがたきお言葉でござりんす。ならばこの山吹も、へちりあ人の機嫌が直る料理を、小指をかけて作りんしょう」




              ※※※



「山吹」

「あい」

「あれは本当にお上のお役人だよ。嘘なぞついちゃあいけない。あんた本当にへちりあ料理なんてもの作れるのかい?」

「簡単なものならば。わっちらがいざとなれば白飯しらめし御御御付おみおつけが恋しくなるように、へちりあ人も家の味が恋しくなりんしょう。それに簡単でもへちりあ料理ならば嘘ではありんせん」

「そりゃそうだがねえ……」


 お内儀さんはそれが癖のように煙管の煙をぽわんと吐く。


「あんた何者なんだい、と聞くのも疲れたよ。もうそう詮索はしないさ。そのかわり、お上の所にお参りするならどこぞの御大名と良縁を結んでくるんだよ、山吹」







<注>

膳奉行:将軍の食事を考えたり、できた食事を毒見する役職です。

お雇い南蛮人:現代語でお雇い外国人のこと。日本にはない技術を導入するため幕府に雇われていた外国人です。通常の外国人のように幕府が定めた居住区から出られないと言うことはなく、普通に江戸に屋敷を構えている人もいました。(八重洲の語源になったと言われるヤン・ヨーステンなど)時代によって人数や人種が大きく変わりますが、ゆるっとした時代設定ということでご寛恕ください。

シチリア王国:現代のイタリアです。(厳密にはナポリ王国なども含まれます)

生国しょうごく:その人が産まれた国

御御御付おみおつけ:お味噌汁の上品な言い方です。京の女房言葉でしたが時代が下がるにつれ江戸言葉として定着しました。

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