第11話 山吹対桔梗の巻 弐

 月の綺麗な夜だった。


 あたしはわざと行燈あんどんの灯りを落とした暗い部屋の中、一人きりで窓際に網を打って筆屋伊兵衛を迎える。


 桔梗に汚された緋の仕掛は無地の分厚い正絹しょうけんたもとにだけ山吹をかたどる金の織の入った、誰が見ても粋で高価なものだった。


 つまり、伊兵衛は財力と教養を兼ね備えた通人つうじんで、しかもこれだけのものを贈るだけあって山吹に夢中。


 こんな上客、くだらない嫌がらせで逃がすわけにはいかない。


 ああそうだよ、桔梗。あんたが間違ったのは歌舞伎町ナンバーワンだったあたしを舐めてたことだ。


 ナンバーワンから滑り落ちたらその他大勢になるキャバで戦ってきたあたしとは、くぐった修羅場の数も覚悟も、廓の中で姫様扱いされてるあんたみたいな花魁とは違うんだよ!




                  ※※※




「山吹!おまえが出養生でようじょうしていると聞いて儂はいてもたってもおられんでな。やまい大事だいじないか」


「おや、伊兵衛さま、ござんせ。もう大事のうござんす」


 部屋の中へ入ってくる筆屋伊兵衛へとあたしはけだるげな声を返す。


 いま、この部屋では月の光はあたしの顔だけに当たってるはずだ。


 伊兵衛は想像通り、五十がらみのいかにも大店おおだな商家しょうかの品のいい男だった。


 きっときれいに遊ぶ、現代の歌舞伎町でも好かれるタイプの男だろう。


「おうおう、その声、毎日でも聞きたいもの。南蛮人の面妖な琴のと変わらぬ美しさよ」

「面妖……わっちはあやかしでござんしたか。されど……今宵のわっちは確かにあやかしやもござりんせん」


 あたしはその言葉と一緒に立ち上がり、ばさりと鮮やかに仕掛を翻す。


 月明かりの中、伊兵衛の目には仕掛の裾の黒い汚れがはっきりと目に入ったはずだ。


「山吹……それは儂がやった仕掛……」

「打てば打たたるやぐらの太鼓。尋常の女ならばお七のように好いた心を赤い花に変えるでござんしょう。されどわっちは吉原の女。赤い衣をいただきんしてもそこに咲くのは黒い地獄花。伊兵衛さま恋し伊兵衛さま恋しと思いなんすうちに、伊兵衛さまが触れた衣さえ憎くなり、わっちの心にも地獄花が咲きんした……謝りなぞしやんせん。帰るなら帰りなんし。

 客に本気で懸想けそうをしてこのようなことをささんす、うつけた花魁なぞ、伊兵衛さまには似合いはしんせん」


 これは賭けだった。もちろん勝算のある。


 気風と侠気で売っている山吹がこんな恋々れんれんとすがったことはないに違いない。


 それが初めてすがる。弱味を見せる。高価な服を汚すほど、あなたが好きでたまらないと告白する。


 普段と違う分だけ、それは真実味を帯びて男の心を射抜く。


 ま、一言でいえばツンデレただけだけど。でもツンデレのデレはどんな媚びより効果があるんだよね、これが。


「地獄花なぞ言うな、山吹!」


 伊兵衛が窓際にすっくと立ったままのあたしの背中を抱きしめた。


「そこまで儂を好いていてくれたのか……すまぬことをした……おまえに会う前に他の花魁を落籍ひかなどしなければ……いかに筆屋伊兵衛でも花魁二人養うことはできぬ」

「承知で……承知でおりんす……ゆえに今宵のわっちはあやかしだと……」

「泣くな、泣かないでおくれ。悪いのは儂だ。山吹に泣くほど好かれながら甲斐性のない自分がうらめしい」

「このような地獄のあやかしにそう言ってくださんすか」

「地獄のあやかしなど……おまえは一途な天女だよ、山吹」


 よし!落ちた!


 桔梗、あんたには逆に礼を言わなくちゃね。


 伊兵衛はあんたのおかげでこれまで以上にあたしに夢中になる!


「その言葉、ほんにうれしゅうござりんす、伊兵衛さま……」

「おまえの涙など見とうない。儂も本当におまえを好いていることをわかっておくれ」

「伊兵衛さま……わっちはうれしゅうて……泣くのも許してくだしんす」

「おまえはつねは御侠おきゃんだが、時にそういういじらしいところが好いたらしくてたまらんのだ。もうおまえの心に地獄花など咲かせぬよう、儂も気を付けよう。仕掛も新しいのを仕立ててやろう。そうさの、白地に一面金糸で山吹を散らそう。天女の羽衣は白でのうてはいかんからな」


「それは大層麗しゅうござんしょうなあ」


 あたしはくるりと体ごと振り向いて、伊兵衛の頬に指を添える。


 頬を滑る涙は月光でキラキラ輝いてるはずだ。


 豪華なアクセサリーがなくたって、いくらでも自分を飾る手はある。


「おまえよりは麗しくなかろうよ」

「あれ、憎たらしい。わっちをこんなにささんして」


 泣き笑いの顔で伊兵衛の手をつねると、それまで真面目な顔をした伊兵衛も表情を緩めた。


「あいた、勘弁しておくれ」

「嫌でおりんす。山吹が涙を見せたなぞ誰にも言っちゃあ嫌でありんすよ。伊兵衛さまだから……」

「わかっておる、わかっておる。天下の山吹花魁の涙粒を見た男なぞ儂くらいだろう。誰にも言うものか」

「ほんに好いたらしい方……」

「儂こそ。ああ、今日は床はいいぞ。もともと山吹の体が心配で参っただけだ。出養生から帰ったばかりの好いた女に床入りさせるほど儂は鬼ではないわ。

 また来るでの、山吹。そのときは天女になって迎えておくれ」

「あい。そのときこそ存分に可愛がってくんなんし……」


 にこりとあたしは笑う。


 それは伊兵衛と桔梗に向けての。


 桔梗、この勝負、あたしの勝ちだよ!




<注>

網を打つ:花魁の丈の長い仕掛をばさりと床に広げるのを、漁の際に漁網を広げるのに見立ててこう言いました。

打てば打たたるやぐらの太鼓:恋しい男に会うために火付けをした八百屋お七の伝説から。男に火事を知らせるため梯子を上り、太鼓や半鐘を鳴らすのはどの芝居の演目でも見せ場です。

お七:恋しい男に会うために火付けをし、引き回しの上火あぶりとなったといわれている娘。伊達娘恋緋鹿子など様々な演劇のモチーフになっている。山吹が緋の仕掛をお七に例えたのもここからです。

懸想:超好き

落籍ひか:らくせき とも。遊女を遊女屋にお金を払い身請けをすることです。花魁クラスだと1,000両以上の代金と、それ以外に遊女屋を揚げて宴会をする祝い金が必要でした。あまりに代金が高騰したため幕府が遊女の値段は500両までという規制をかけましたが守られることはありませんでした。

御侠おきゃん:気が強く、活発。山吹のツンデレのツンの部分。

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