第三章 仔猫殿下と、はつ江ばあさん

第158話 仔猫殿下と、はつ江ばあさん・その一

 赤く染まった空。


 大地に横たわる血の川。


 奇っ怪な枝振りの木々が茂る暗い森。


 

 ここは魔界。

 魔のモノたちが住まう禁断の土地。



 そんな魔界の一角には険しい岩山が聳え、その頂には白亜の城が築かれている。


 その城のキッチンでは……。


「そうか……、はつ江は今日帰っちゃうのか……」


 サバトラ模様の子猫が、耳を伏せた淋しそうな表情で、ピーマンの細切りとじゃこを和えていた。


 彼の名は、シーマ十四世殿下。


 フカフカだけど艶のある毛並みや、小さなピンクの鼻や、シマシマの尻尾などキュートな魅力満載のマジカルな子猫ちゃんだ。


「そうだぁね。でも、パスポートをもらったから、またいつでも遊びにこられるだぁよ! ね、ヤギさん!」


 シーマの隣では、クラシカルなメイド服の老女が卵をかき混ぜていた。


 彼女の名は、森山はつ江。


 パーマのかかった短い白髪頭がチャーミングな、御歳米寿のはつらつ婆さんだ。


「ああ。あのフリーパスを使えば、いつでもこっちに遊びに来られるぞ」


 はつ江の隣では、黒い服を着た見目麗しい青年が、人参と椎茸の入った吸い物の鍋を見守っていた。


 彼はこの魔界を統べる、魔王。


 赤銅の長髪と側頭部から生えた堅牢なツノが特徴的な、人見知りで引きこもり気味の魔王だ。


「まあ、今度は俺たちがはつ江の世界に行くのも、悪くないかもしれないがな」


 魔王の言葉に、はつ江がニッコリと微笑んでうなずいた。


「それはいいだぁね! お菓子をうーんと用意しておくから、いつでも遊びにおいで!」


 はつ江の言葉に、シーマの目が輝いた。


「そうか! なら、すぐに……、あ、でも仕事もあるし、早くても週末になっちゃうか……」


「いや、リッチーが『私は充分バカンスできたので、今度はお二人がどうぞ』って言ってたし、早ければ明後日くらいに遊びにいけるぞ」


「兄貴、本当か!?」


「本当、本当。まあ、俺は週末くらいに参加ってことに、なりそうだが……、よし。はつ江、人参に火が通ったぞ」


「ありがとうね! そんじゃあ、この卵を入れておくれ」


「ああ、分かった。じゃあ、盛り付けとか配膳は俺がするから、二人は先にダイニングに行っててくれ」


「ああ、ありがとうな! 兄貴」


「ヤギさんや、ありがとうね!」


 二人はニッコリと笑って魔王にお礼を言うと、ダイニングに移動した。



 ほどなくして、魔王が魔術で料理を移動させ、三人での最後の朝食がはじまった。


「そんじゃあ、いただきます!」


「いただきます!」


「いただきます……」


 三人はいつものように、いただきますをし……


「……」

「……」

「……」



 ……いつものように、黙々と料理を口に運んだ。


「……それで、兄貴、リッチーはいつごろ帰って来るんだ?」


 沈黙を打ち破ったのは、じゃこピーマンを飲み込んだシーマだった。


「……夕方になるとは聞いているが、詳しい時刻は分かったら連絡してくれるそうだ。今日は各所からの緊急な依頼もないし、それまで二人で、ゆっくりしているといい」


 魔王はそう答えて、焼き鮭に箸を伸ばした。


「そうか、じゃあ、そうさてもらうよ。あと、モロコシたちにも連絡しとかないとな……」


 シーマが呟くと、人参と椎茸のかき玉汁を飲んだはつ江が、ニッコリと笑ってうなずいた。


「そうだぁね、モロコシちゃんの学校が終わるころに、ご挨拶にいこうかね」


「ああ、そうしよう。あと、五郎左衛門と、ミミと……、バッタ屋さんの面々にも挨拶しておきたいけど……」


 シーマが片耳をパタパタと動かすと、魔王がコクリとうなずいた。


「ああ。友あ……、いや、マダムは中々に神出鬼没だからな」


 魔王の言葉に、シーマもコクリとうなずいた。

 


「どこかで、バッタリ会えればいいんだけど……」


「ああ。バッタ屋さんだけに、な」


 シーマの呟きに、魔王がすかさず相槌を打った。


「……」

「……」

「……」


 一同の間には、気まずい沈黙が訪れる。


 そして……


「……だから! ボクまでダジャレに巻き込むなって、前にも言っただろ!? この、バカ兄貴!」


 巻き込み事故にあったシーマは、耳を後ろに反らしながら、尻尾をバンと縦に大きく振り……


「す、すまない、シーマ。お兄ちゃん、朝ご飯の時間だから、いつもの流れなのかと思っちゃって……」


 叱られた魔王は、しょんぼりとした表情で肩を落とし……


「わはははは! 今日も楽しく朝ご飯が食べられて、私ゃ幸せだぁよ!」


 ……はつ江は、カラカラと笑い出した。


 そんないつものやり取りをこなすと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。


「まったく、最終日の朝なんだから、もっと、こう、さぁ……」


 脱力するシーマに向かって、はつ江はニッコリと笑いかけた。


「まあまあ、シマちゃんや。みんなで楽しくするにこしたことはないだぁよ。それに……」


 はつ江はそこで言葉を止めると、テーブルに身を乗り出して、向かいに座るシーマをポフポフとなでた。

 

「……絶対に、また会えるんだからさ」


「あ、うん……、そう、だな……」


 いつになく穏やかな表情のはつ江に、シーマは戸惑いながらもうなずいた。


 かくして、仔猫殿下とはつ江ばあさんの長い一日が、今日も始まるのだった。

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