第88話 ニコッ
ローブの二人組も加わったシーマ十四世殿下一行は、手巻き寿司の準備にいそしんでいた。
準備が終わったころ、魔王が疲れた表情を浮かべて、キッチンへとやってきた。はつ江は、魔王の姿を目にすると、ニッコリと微笑んだ。
「ヤギさんや、お疲れ様。お薬づくりは順調かね?」
はつ江が問いかけると、魔王も薄く微笑んで頷いた。
「ああ、今一段落したところだから、明日の夕方までにはギリギリ間に合いそうだ」
「ほうほう、それはよかっただぁよ!」
魔王とはつ江のやり取りを受けて、キッチンにいた一同はホッとした表情を浮かべた。
「そんじゃあ、丁度ご飯もできたから、ヤギさんもちょっと休憩するといいだぁよ」
「ああ、そうさせてもらおう」
魔王ははつ江の提案にコクリと頷くと、食卓へ足を進めた。
それから一同は、談笑しながら手巻き寿司を囲んだ。
「熱砂の国ではね、ナツメヤシが入ったお菓子が人気なのよ!」
「そうですね。この辺りだとあまり一般的ではないようですが、美味しくて栄養も満点なんですよ」
「……」
「ほうほう、そうなのかい!」
「へー、そうなんだ。そういえば、僕たちがこっちに来る前って、どんなお菓子が流行ってたっけ?」
「どうだったかな……たしか、女子社員がやたらとカラフルな菓子を買って、写真を撮ってたのは覚えているが……」
「ああ! あれだぁね! ほら、あの、なんとかなんとかバエっていう!」
「え!? はつ江、ハエが流行ってたのか!?」
「シーマ、お兄ちゃんの推測だが、多分ハエが流行ってたのではないと思うぞ……」
そんな他愛もない話題で盛り上がりながら、夕食の時間はなごやかに過ぎていった。
手巻き寿司を食べ終わると、一同は声を合わせて、ごちそうさま、と口にした。
「それじゃあ、私は洗い物をしてるから、バスちゃんたちは先にお風呂に入っておいで」
はつ江は運搬用のワゴンに食器を載せながら、バステトたちに声をかけた。すると、バステト、マロ、ウェネトは席を立ちペコリと頭を下げた。
「ありがとう、ございますはつ江さん。それで、お言葉に甘えさせていただきます」
「ありがとう、おばあちゃん! じゃあ、ミーティングが終わったら、お風呂に入るわね!」
「……」
マロ、ウェネトの言葉に続き、バステトが再び深々と頭を下げた。はつ江は三人の返事を聞くと、ニッコリと微笑んで、コクコクと頷いた。
「それでは、失礼いたします」
「おばあちゃん、また後でね!」
「……!」
こうして、バステト、マロ、ウェネトはキッチンを後にした。三人の姿を見送ると、魔王が、うーん、と声を漏らしながら伸びをした。
「私はまだ作業が残っているから、このまま実験室に向かうとするか」
魔王がそう言うと、シーマが尻尾の先をピコピコと動かした。
「兄貴、今回のはかなり手がかかる作業なんだろ? 何ならはつ江の手伝いが終わったら、そっちを手伝わないこともないぞ?」
シーマがソッポを向きながらそう言うと、魔王は感極まった表情を浮かべた。
「そうか……にーちゃんにーちゃんと言いながら俺の後ろついて歩いていたシーマも、助手を買って出てくれるほど成長したのか……」
「な、何を泣いてるんだよ、この、バカ兄貴!」
魔王が感涙にむせぶと、シーマが照れくさそうな表情を浮かべ尻尾の先をピコピコと動かした。そんな二人の様子を見て、はつ江はニッコリと微笑んだ。
「シマちゃんはお兄ちゃん思いの良い子だぁね」
はつ江はそう言うと、シーマの頭をポフポフとなでた。
「私の方は一人でも大丈夫だから、ヤギさんのお手伝いにいっておあげ」
「……はつ江がそう言ってくれるなら、兄貴の手伝いにいってくる。でも、大変そうだったらすぐに呼ぶんだぞ!」
シーマの言葉を受けて、はつ江はニッコリと笑った。
「それは頼もしいだぁよ! じゃあ、何かあったら頼らせてもらおうかねぇ」
はつ江の言葉に、シーマは満足げに微笑んだ。
「ああ! いつでも、このボクを頼るといい! じゃあ、兄貴、さっさと移動してキリキリ働くぞ!」
シーマはそう言うと、ふん、と鼻を鳴らし、椅子からピョインと飛び降りた。そして、目を輝かせながらキッチンを出ていった。すると、魔王がガタッと音を立てながら椅子から立ち上がった。
「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ、シーマ!」
そして、魔王は慌てた表情を浮かべて、シーマの後を足早に追っていった。はつ江はその姿を楽しげに見送った。それからはつ江は、ローブの二人に顔を向け、ニッコリと微笑んだ。
「さてと、じゃあ頭巾ちゃんたちも、お風呂に入ってゆっくりするといいだぁよ」
はつ江が声をかけると、ローブの二人組はキョトンとした表情を浮かべた。それから、二人組は顔を合わせ、どちらともなくバツが悪そうに頬を掻いた。
「あー、えーと、おばあちゃん」
黒ローブが気まずそうに声をかけると、はつ江はキョトンとした表情で首を傾げた。
「ほいほい、どうしたのかね?」
「洗い物は僕たちがするから、おばあちゃんは先にお風呂に入ってきたら?」
黒ローブが提案すると、灰色ローブがコクリと頷いた。
「ああ。今日は外出したり、大人数向けの食事を支度したりでつかれているだろう? 俺たちはまだ大丈夫だから」
二人の言葉を受けて、はつ江は目を見開いた。それから、ニッコリと笑うと少し背伸びをして、黒ローブと灰色ローブの肩をポンポンとなでた。
「二人とも、ありがとうねぇ。それじゃあ、お言葉に甘えて、お先にお風呂をいただいてくるだぁよ」
はつ江が嬉しそうにそう言うと、ローブの二人組も穏やかに微笑んだ。
「うん! こっちは僕たちに任せて!」
「ゆっくり、してきてくれ!」
二人の言葉を受けて、はつ江は笑顔でコクコクと頷いた。
「頭巾ちゃんたちは、とっても優しい子だぁね!」
はつ江の言葉に、ローブの二人組は照れくさそうに頬を掻いた。
こうして、はつ江もキッチンを後にし、大浴場へと向かっていった。キッチンに残ったローブの二人組は、ワゴンを流し台まで運び、食器洗いに取りかかった。
それから、しばらくの間、ローブの二人組は黙々と食器や調理器具を洗っていた。
「……ねぇ」
不意に、黒ローブが灰色ローブに声をかけた。
「……なんだ?」
「今日のご飯、美味しかったし、楽しかったよね……」
灰色ローブが問い返すと、黒ローブはポツリとそう呟いた。
「ああ。手巻き寿司なんて、本当に子供のころ以来だが……楽しかったな」
灰色ローブは昔を懐かしむように、黒ローブの言葉に同意した。
「そうだよね。僕も、何だか子供のころを思い出しちゃったよ」
「そうだな」
二人はそこで会話を止めると、再び黙々と食器や調理器具を洗い始めた。
「……なあ」
それからまたしばらくして、今度は灰色ローブから黒ローブに声をかけた。
「……なぁに?」
「お前は、元の世界に、その……家族はいるのか?」
灰色ローブが気まずそうに問いかけると、黒ローブはコクリと頷いた。
「うん。でも、学生のころから一人暮らししてたし、実家から離れた所で就職したから、最近はあんまり会ってないな……」
「俺も、似たような状況だ。最近は数えるくらいしか会っていないから、俺が今ここにいることも、知らないんだろうな……」
二人はまたそこで会話を止め、黙々と食器を洗った。
「……僕たち、こっちに来てから、どのくらい経つんだっけ?」
そしてまた、黒ローブが灰色ローブに声をかけた。
「……時間の流れが同じなのかは分からないが、半年は経っているはずだ」
「半年か……それだけの間まったく連絡なしだと、実家の家族も心配してるのかな……?」
「俺の場合は、そのくらい連絡をしないことも結構あったが……今回は、借りているマンションの管理会社から、家賃の未払いが続いているうえに連絡がとれない、と言われているかもしれないからな」
「あー、たしかに。僕のところも、家賃滞納と行方不明ってことで、実家に連絡がいってるかも……」
二人は一端会話を止めると、ほぼ同時に深いため息を吐いた。
「心配してるどころの話じゃないかもね……」
「まったくだな……」
二人はそう言うと、再び同時に深いため息を吐いた。
「魔王から戦力外だって言われたときは、こっちで一から頑張ってやり直そうかな、って考えてたんだ。けどさ、何というか、気分を悪くさせるつもりはないいんだけど……」
黒ローブが言葉をにごすと、灰色ローブがコクリと頷いた。
「ああ、言いたいことは分かるし、多分、俺も同じ意見だ」
灰色ローブはそう言うと、ニコッと笑顔を浮かべた。それにつられて、黒ローブも苦笑いを浮かべた。
「うん。やっぱり、君も、僕たちが一から頑張らなきゃいけない場所はここじゃない、って思ったんだね?」
「ああ。その通りだ。だから、魔王の調薬作業が終わったら、元の世界に戻れないか相談させてもらおう」
「うん! そうだね!」
灰色ローブの言葉に、黒ローブは元気良く返事をした。しかし、すぐにハッとした表情を浮かべると、気まずそうに肩をすぼめた。
「でも、きっとその前に、リーダーたちのこと話さないとダメだよね……」
「……まあ、そうだろうな。何も説明しないまま帰る、なんて虫のいい話は、できないだろう」
「だよねー……」
二人はそう言うと、またしても同時に深いため息を吐いた。
「リーダーたちも、ここは僕たちの場所じゃないって気づけるのかな?」
「……まだ、なんとも言えない。俺としては、是非気がついて前を見て進んで欲しいし、それができるヤツだと思っているがな」
「うん、同感! リーダーも、悪いヤツじゃないもんね!」
二人はそう言い合うと、同時にコクリと頷いた。
こうして、ローブの二人組が前向きになりながら、魔王城の夜は更けていくのであった。
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