第68話 ビリッ

 熱砂の国の歌姫レディ・バステトの要望により、シーマ十四世殿下一行は飴屋さんに向かっていた。

 しかし……


「まったく!何なんだこの失礼なポスターは!?」


 宝石店のショウウィンドウに「半人前の歌姫」と書かれたポスターを見つけ、シーマは耳を後ろに反らし尻尾をパシパシと振りながら腹を立てた。それから、シーマは辺りを見渡し、商店街のいたるところに同じポスターが貼られていることに気がついた。


「しかも、なんでこんなにたくさん貼られてるんだ!?」


 シーマは再び尻尾をパシパシと振りながら、大声で叫んだ。そんなシーマの様子を見て、バステトは自嘲的な笑みを浮かべた。


「いいんですのよ、殿下。大事な公演の前に演奏家に出て行かれる歌姫なんて、半人前と呼ばれても仕方ないですから」


 淋しげにそう言うバステトに、マロがおどおどとした表情を向けた。


「しかし、レディ、その……何というか……あれはレディのせいではなく、彼女の誤解が原因で……」


 マロは口ごもりながらも、バステトをフォローする発言をした。しかし、バステトは耳と目を伏せると、首をゆっくりと左右に振った。


「マロ、気を遣ってくれてありがとうね。でも、理由はどうであれ、あの子が出て行ってしまったことにはかわりないから」


 バステトがそう告げると、マロは耳と目を伏せて、分かりました、と呟くように返事をした。悲しげな二人の様子を見たシーマは、困惑した表情を浮かべて尻尾の先をせわしなく動かした。一方、はつ江はバステトとマロに、トコトコと近づいていった。そして、二人の頬をフカフカとなでると、ニッコリと笑った。


「バスケットちゃん、マロちゃん。ヤギさんも、シマちゃんも、私も二人の演奏をすっごく楽しみにしてるだぁよ。それに、他にも楽しみにしてる人は、うんといっぱいいるんだから!こんな張り紙気にすることはねぇだぁよ!」


 はつ江になでられたバステトとマロは、目を細めながらゴロゴロと喉を鳴らした。しかし、すぐに二人はハッとした表情を浮かべ、同時にコホンと咳払いをした。


「し、失礼しましたわ。森山さんの言うとおり、こんな中傷を気にすることはないですわね」


 バステトが片耳をパタパタと動かしながらそう言うと、マロもコクリと頷いた。


「そうですね。楽しみに待っていてくださる方がいるのですから、たとえ何を言われようとも全力を尽くさないと」


 バステトに続いて、マロも前向きな言葉を口にした。すると、はつ江は満足げな表情を浮かべて、コクコクと頷いた。


「そうそう、その意気だぁよ」


 はつ江に続いて、シーマも笑顔を浮かべてコクリと頷いた。


「ああ。はつ江の言った通り、僕たちだけでなく魔界中が明日の音楽会を楽しみにしているからな!」


 はつ江とシーマが励ますと、バステトとマロは二人に向かってペコリと頭を下げ、ありがとうございます、と同時に口にした。すると、はつ江はカラカラと笑い出した。


「わはははは!気にすることはねぇだぁよ!」


 はつ江はひとしきり豪快に笑うと、さて、と呟いた。そして、ショウウィンドウにトコトコと近づき、眉間にしわを寄せて、ポスターをジッと見つめた。はつ江の表情を目にしたシーマは、全身の毛を逆立ててビクッと身を震わせた。


「は……はつ江?何を……する気だ?」


 シーマが恐る恐る尋ねると、はつ江はニッコリと笑った。


「何って、こんないじわるな張り紙をする人には、ガツンと言ってやらなくちゃいけねぇだぁよ!」


 はつ江はそう言うやいなや、ショウウィンドウに貼られたポスターをビリッと剥がした。それから、「準備中」という札のかかった玄関扉に向かい、力一杯ノックをした。


「ごめんください!ちょっと、出てきてもらえるかね!?」


 はつ江がノックを続けながら大声で呼びかけると、扉の奥からガタッという音が聞こえてきた。


「てやんでぇ!今そっちいくから、静かにしやがれ!あと、ドア開けるときに危ねぇから、ちっと下がってろ!」


 続いて、しわがれた怒鳴り声が扉の奥から響いた。その声を聞いたはつ江は、キョトンとした表情を浮かべてノックを止めた。そして、同じくキョトンとした表情を浮かべたシーマに顔を向けて、首を傾げた。


「シマちゃんや、今の声って……」


 はつ江が声をかけると、シーマもゴクリと息を飲みながら頷いた。


「ああ、多分、というか間違い無く……」


 二人が困惑していると、バステトとマロがキョトンとした表情で首を傾げた。


「あら、お二人のお知り合いですの?」


「魔王城専属の職人の方なのですか?」


 バステトとマロが続けざまに尋ねると、シーマが片耳をパタパタと動かしながら、フカフカの頬を掻いた。


「えーと……知り合いと言うか、何というか……」


 シーマは二人の質問に、歯切れの悪い回答をした。

 

 まさにそのとき!


 入り口のドアがバタンと大きな音を立てて、勢いよく開いた。一同は驚いて入り口のドアに目を向けた、するとそこには……


 ポニーテールに結われた長い黒髪、

 

 長い睫毛が特徴的な麗しい目、


 薄く紅の引かれた唇、

 

 身に纏った紺色のつなぎから覗く鱗のついた長い尻尾、

 

 同じくつなぎから覗くアヒルのような足……

 

 先先先代魔王にして、迷宮王の異名を持つ灰門はいもん 源太郎げんたろうが、眉間にしわを寄せて立っていた。


「あれまぁよ!源さんじゃないかい!?」


 灰門の姿を見たはつ江は、目を丸くして驚いた。すると、灰門は二、三度瞬きをしてから、表情をやや和らげてため息をついた。


「なんだ。当代魔王のところの婆さんと、サバトラ坊主と……」


 灰門はそこで言葉を止めると、バステトとマロに視線を送った。二人が緊張した表情を浮かべると、灰門はふんと鼻を鳴らした。


「……ポイントねえちゃんと、茶トラ坊主(長)か」


「ぽ……ポイントねえちゃんですって……?」


「えーと、茶トラ坊主までは納得できますが……(長)というのは……?」


 突如としてつけられたあだ名に、バステトとマロは困惑した。すると、灰門は腕を組み見ながらカラカラと笑い出した。


「ひゃひゃひゃひゃ!細けぇこたぁ気にすんな!そんで、お前ら、なんの用だ?」


 灰門が尋ねると、シーマがおずおずとフカフカの手を挙げた。


「あの……灰門さんが何故こんなところに?ワクワク迷宮アイランドの改修は……?」


 シーマが尋ねると、灰門は、おう、と返事をした。


「今日は現場が休みだから、久々に実家の宝石店を開いとこうと思ってな。なんだ、お前ら、雁首揃えてそんなこと聞きに来たのか?」


 灰門が問いかけると、シーマとはつ江はブンブンと首を横に振った。


「いえ、そうではなく、ショウウィンドウに貼ってあったポスターについて、お伺いしたいのですが……」


 シーマがそう尋ねると、はつ江が灰門に向かってポスターを差し出した。


「源さんが、こんないじわるな張り紙を貼ったのかい?」


「張り紙だぁ?」


 灰門は訝しげな表情を浮かべながら、ポスターを覗き込んだ。そして、内容に目を通すと、眉間にシワを寄せてため息を吐いた。


「ったく、どこのどいつだ。俺の店に、こんな無粋な張り紙を貼った奴は」


 灰門がぶつくさとそう呟くと、シーマが尻尾の先をクニャリと曲げながら首を傾げた。


「と言うことは、このポスターを貼ったのは、灰門さんではないのですね?」


「あったりめぇだろ、バーロー!大体、この『魔界ルンルン通り商店街』一同、明日の音楽会は目一杯楽しみにしてんだからよ!」


 灰門がそう言い放つと、はつ江がコクコクと頷いた。


「ほうほう。ここはルンルン商店街っていうのかい」


 はつ江が感心していると、シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。


「はつ江、今感心するところは、そこじゃないと思うんだけれども。それに、またちょっと名前を間違えてるし……」


 シーマが脱力していると、バステトとマロが苦笑を浮かべた。


「ま、まあまあ殿下。私も、随分と可愛らしい名前の商店街だと思いましたから」


 バステトがフォローをすると、マロもコクリと頷いた。


「それに、ルンルン商店街でも、何となくニュアンスが伝わる気がしないこともないですから」


 マロが実にふんわりとしたフォローを入れると、バステトがコホンと咳払いをした。


「ともかく。商店街の皆様にそこまで期待していただいているのですから、最高の公演をお見せいたしますわ」


 バステトがそう言いながらニコリと微笑むと、灰門もクシャリと笑った。


「おう!楽しみにしてるから、頑張れよ!ポイントねえちゃんに茶トラ坊主(長)!」


「ありがとうございます。でも、そのあだ名は、変えていただけないのですね……」


 バステトが苦笑していると、マロがバステトの肩をポフポフと叩いた。


「まあ、良いじゃないですか、レディ。僕なんて茶トラ坊主(長)なんですから……」


「あら、アンタ全体的にひょろっとしてるから、丁度いいあだ名じゃない?」


 バステトがおどけた口調で問いかけると、マロは大げさにショックを受けた表情を浮かべた。

 シーマ、はつ江、灰門はニコニコとしながら、二人のやり取りを眺めていた。しかし、そのとき……



「ねえ、見てみなよ。あんなところに、半人前の歌姫がいるよ」


「本当だ。あんな低い声なのに、歌姫だなんてよく名乗れるよな」



 どこからともなく、不穏なヒソヒソ話が聞こえて来た。

 一同が声のする方に顔を向けると、黒いフードを目深に被り黒いローブを着込んだ人物と、灰色のフードを目深に被り灰色のローブを着込んだ人物が立っていた。

 フードの二人組は、口元をニヤニヤと歪ませながら、シーマ一行にチラチラと見る仕草をしていた。


「大事な音楽会だって言うのに、半人前が歌姫で大丈夫なのかな?」 


「本当、本当。これなら、逃げ出したっていう竪琴の奏者が歌った方が、まだマシだったんじゃないか?」


 フードの二人組は二人で話しているようみせながら、明らかにバステトに聞こえるように否定的な言葉をささやきあっていた。


 そんな声を聞いて……


「……」


 バステトは目を伏せて口を一文字に結び、


「レディ、気にしてはいけませんよ」


 マロはオロオロとしながらバステトをフォローし、


「マロさんの言うとおりだ。あんなヤツら気にすることはない」


 シーマはバステトを励ましてから、二人組を睨みつけ、


「……」


「……」


 はつ江と灰門は、険しい表情を浮かべながら、無言で二人組に向かって足を進めていった。


「あ、二人とも!ちょっと待ってくれ!」


 そして、シーマも慌てて二人の後に続いた。

 

 かくして、めずらしく悪役っぽいヤツらが登場しながらも、「魔界ルンルン通り商店街」でのイザコザが幕を開けるのだった。

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