第67話 パシッ

 魔王城の謁見の間にて。

 魔獣たちの骨で作られた豪奢な玉座に腰掛けた魔王は、大きく深呼吸をした。そして、客人たちに顔を向けると、ぎこちなく微笑んで会釈をした。


「えー、本日はお日柄もよく……」


「兄貴、さっきよりはマシになったけど、まだ色々と間違えてると思うぞ」


 魔王の横では、シーマ十四世殿下が尻尾をパシッと縦に振り、小さくため息をついた。


「まあまあシマちゃんや、ヤギさんも頑張ってるんだから。それに、さっきのご挨拶より、うんと良くなってるだぁよ」


 その隣では、はつ江がニコニコと笑いながら、シーマをなだめ、魔王に対してはフォローを入れた。すると、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らし、そうだな、と呟いた。一方の魔王は、はつ江に対してペコリと頭を下げてから、コホンと咳払いをした。


「ともかく、二人とも、今日は遠い所をよく来てくれた。魔王城一同、君たちのことを歓迎しよう。明日の音楽会も、凄く楽しみにしているぞ」


 魔王がそう告げると、客人たちは深々と頭を下げた。


「陛下からそのようなお言葉を賜り、恐悦至極でございますわ」


 バステトは顔を上げると、そう言って穏やかに微笑んだ。続いて、マロが顔を上げ、凜々しい表情を魔王城一同に向けた。


「必ずや音楽会を成功させるよう、私も尽力いたします」


 二人の答えを聞いて、魔王は、うむ、と声を漏らしながら、コクリと頷いた。しかし、不意に何かを思い出したのか、キョトンとした表情を浮かべ首を傾げた。


「ところで、当初の予定だと、音楽会に参加するのは三人だったはずだが?」


 その言葉を聞いて、シーマは目を見開いて魔王に顔を向けた。


「え!?そうだったのか、兄貴?」


 続いて、はつ江も驚きの表情を浮かべて、バステトとマロを見つめた。


「あれまぁよ!バスケットちゃん、マロちゃん、そうだったのかい!?」


 魔王城一同が驚いていると、マロが苦笑を浮かべながら片耳をパタパタと動かした。


「あ、はい。えーと……これには、なんというか、その、ちょっとした理由がなきにしもあらずでして……」


 マロが煮え切らない返答をしていると、その隣でバステトが灰色の尻尾をパシッと縦に振った。


「マロ、アンタが説明すると、らちが明かなくなりそうだから、私が説明するわ」


 バステトがそう言うと、マロは耳をペタンと伏せてコクリと頷いた。


「あ、はい。すみませんレディ、お願いいたします」


 マロの言葉を受けて、バステトはため息を吐いてからコクリと頷いた。そして、魔王城一同に顔を向けると、ニコリと微笑んだ。


「皆様、ご説明が遅くなってしまい申し訳ございません。たしかに、陛下のおっしゃったように、当初はもう一名、明日の音楽会に参加する予定でした。こちらのマロが笛を担当、もう一名が竪琴の担当という役割で」


 バステトが説明すると、魔王城一同は同時にコクコクと頷いた。


「ほうほう、そうだったのかい。もう一人の人も来られなくて、残念だねぇ」


 はつ江がそう言うと、その隣でシーマが尻尾の先をクニャリと曲げた。


「でも、その一名は、なんで来られなくなったのですか?」


「ふぅむ。熱砂の国の音楽院からは、当代のレディ・バステトは笛と竪琴の音に合わせて歌うのが得意で、演奏家との仲も良好だと聞いていたのだが……」


 シーマに続いて、魔王も唇に指を当てながら首を捻った。魔王城一同の反応を受けて、バステトは苦笑を浮かべた。


「私にも詳しい事情はサッパリで。ただ出発直前になって急に、もう私と同じ舞台に立つつもりはない、とハッキリ言われてしまいました。多分、私のチームをまとめる力が未熟だったから、なのでしょうね」


 バステトがそう言うと、その隣でマロが淋しそうな表情を浮かべてうつむいた。バステトはマロにチラリと視線を送ってから、再び魔王城一同に笑顔を向けた。


「伴奏の要となる楽器は竪琴なのですが、幸いマロも竪琴の演奏には長けているので、明日の音楽会も皆様を落胆させることはないと存じますわ」


「ふぅむ。フルメンバーの演奏を聴くことができないのは残念だが、そういう事情ならしかたないか……」


 魔王が残念そうに呟くと、シーマもフカフカの頬をポリポリと掻いた。


「まあ、音楽活動をしていると、音楽性の相違で揉めることもよくあると聞きますからね」


 シーマがバステトにフォローを入れると、はつ江もニッコリと笑って首を傾げた。


「じゃあ、仲直りしたら、また音楽会を開くといいだぁよ!きっと、皆楽しみにしてるから」


 はつ江の言葉を受けて、バステトはニコリと微笑んだ。


「ええ。トビウオの夜に三人で演奏できないのはこちらとしても残念ですが、また別の機会にフルメンバーで演奏をしようと考えていますわ」


 バステトがそう答えると、隣でマロが安心したように微笑んだ。すると、バステトは不服そうに片耳をパタパタと動かしながら、マロに視線を送った。


「ちょっと、マロ。何を笑ってるのよ?」


「いえ。てっきり、もう三人で演奏するつもりはない、とおっしゃるのかと思っていたので、安心して」


 マロが答えると、バステトは腕を組みながら尻尾をパタパタと横に振った。


「そんなこと言うわけないでしょ!大体、今回だってアイツが勝手に出ていっただけで、私は別に戻ってくるなとは思ってないんだから!」


 バステトとマロの様子を見て、魔王も安心したように微笑んだ。


「そうか、それならば良かった。では、次に機会には是非、三人での演奏を聴かせてくれ」


 魔王が声をかけると、バステトとマロは深々と頭を下げた。


「かしこまりました。陛下」


「仰せのままに。陛下」


 二人の反応を見て、魔王は、うむ、と声を漏らしながらコクリと頷いた。それから、シーマとはつ江に顔を向けると、軽く首を傾げた。


「じゃあ、二人とも。レディ・バステトとマロ君を街に案内してあげてくれるか?」


 魔王が声をかけると、シーマとはつ江はコクリと頷いた。


「ああ、兄貴。任せてくれ!」


「任せるだぁよ、ヤギさん!」


 二人は魔王に返事をすると、バステトとマロに顔を向けてニコリと微笑んだ。


「お二人とも、今日はよろしくお願いいたします」


「バスケットちゃん、マロちゃん、今日はよろしくね!」


 バステトとマロもニコリと微笑むと、シーマとはつ江に対してペコリと頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ、殿下、森山さん」


「どうぞよろしくお願いします、殿下、森山さん」


 こうして、シーマ、はつ江、バステト、マロは改めて挨拶をすると、シーマの魔法を使って繁華街へ繰り出していった。


 一同が魔法のドアを潜り抜けると、そこには噴水のある石畳の広場が広がっていた。


「さて、繁華街に到着しましたが、どこか行きたい所はありますか?」


 シーマが尋ねると、バステトは口元に手を当てて、そうですね、と呟いた。


「公演に備えて、喉飴を買いに行きたいですね。こちらに来るまでの間に、持ってきた分は食べてしまったので。ああ、それと……」


 バステトはそこで言葉を止めると、シーマに向かってニコリと微笑んだ。


「私たちに向かって、かしこまった言葉遣いは不要ですよ、殿下」


 バステトがそう言うと、マロもコクリと頷いた。


「そうですね。その方が、僕たちも落ち着きますから」


 二人の言葉を受けて、シーマはニコリと笑った。


「分かったよ。じゃあ、改めてよろしくな、二人とも」


 シーマが声をかけると、バステトとマロは微笑みながらペコリと頭を下げた。はつ江は、そんな三人のやりとりをニコニコと眺めていた。


「そんじゃあシマちゃんや、飴屋さんに案内しておくれ。私も初めて行く所だから、楽しみだぁよ!」


 はつ江がウキウキとしながらそう言うと、シーマは得意げな表情で胸を張った。


「ああ、任せろ!みんな、ボクの後についてきてくれ!」


 シーマが声を上げると、はつ江、バステト、マロはニッコリと笑いながら頷いた。


「分かっただぁよ、シマちゃん!」


「分かりましたわ、殿下」


「了解です、殿下」


 シーマは三人の返事を聞くと満足げに頷き、トコトコと歩き出した。そして、三人もシーマの後を追ってトコトコと歩き出した。

 それから、一行は広場を抜けて、商店街に入っていった。一行が入っていったのは雑貨店や嗜好品店が多く並ぶ通りで、まだ開店準備中の店も多かった。しかし、どの店もショウウィンドウのブラインドは、あげられていた。そのため、通りを進むたびに、切子細工の香水瓶や、キラキラと光る宝石でできた砂時計、鈍い輝きを放つ青い金属製の喫煙具、そんな物が四人の目に入った。


「ほうほう、ここは綺麗なもんがいっぱいあるんだねぇ」


 はつ江が感心したように声を漏らすと、バステトもコクリと頷いた。

 

「そうですわね。さすが、魔界の中心だけありますね」


「熱砂の国ではあまり見かけない物もあるので、新鮮な気分ですね」


 バステトに続いてマロも、辺りをキョロキョロと見渡しながら、感慨深そうにそう言った。


「ああ。特にこの通りは、魔界中の好事家たちが訪れる場所だからな。飴の他に気になる物があったら、足を止めるから遠慮なく言ってくれ」


 シーマが得意げにそう言うと、はつ江が元気よく手を挙げた。


「はいはい!シマちゃんや!」


 はつ江の姿を見たシーマは、ヒゲと尻尾をダラリと垂らした。


「まあ、はつ江もこっちに来てまだ一週間くらいだから、気になる物は多いんだろうけれども……」


 シーマが脱力していると、バステトはクスリと笑った。


「あら、殿下?私たちは、多少の寄り道をしても構いませんわよ。ね?マロ」


 バステトが声をかけると、マロも笑顔でコクリと頷いた。


「はい。レディの言うとおりですよ、殿下」


 バステトとマロの言葉を受けて、シーマは苦笑いを浮かべながらフカフカの頬を掻いた。


「すまないな、二人とも。それで、はつ江、何が気になったんだ?」


 シーマは尻尾の先をクニャリと曲げながら、トコトコとはつ江に近づいた。すると、はつ江は困惑した表情で、宝石店のショウウィンドウに貼られたポスターを指さした。


「あそこのお店に貼ってあるのは、明日の音楽会のチラシなのかね?」


 はつ江が尋ねると、シーマは背伸びをしながらポスターを覗き込んだ。


「えーと、会場付近の簡単な地図がついてるからそうだろうけど……えーと……は!?『半人前の歌姫』!?何なんだこの失礼なポスターは!?」


 シーマは思わず全身の毛を逆立てて、そう叫んだ。

 すると、バステトはピクリとヒゲを動かし、マロは悲しそうに目を伏せた。


 こうして、何かいつも以上に不穏な空気が訪れながらも、商店街の観光は幕を開けたのだった。

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