第38話 ピョーン

 樫村から事情を聞いたシーマ十四世殿下一行は、再び井戸の周囲に集まっていた。

 蘭子とチョロは上着から通信用の手鏡を取り出し、各々の上司に向かって連絡を入れている。


「……はい、そう言った事情がありまして……本当ですか!局長、ありがとうございます!」


「へい!おっしゃる通りでございやすね!お任せくだせえ親方!……あ、すみやせん……マダム!」


 二人はそう言うと手鏡をパタリと閉じて、シーマ達に笑顔を向けた。


「殿下!森山様!モロコシさん!局長から、水位が下がったことの原因調査の許可が下りました!」


「こっちも、親方から、徹底的に協力なさい、っつー返事をもらいやしたぜ!」


 意気揚々とした二人に対して、シーマ、はつ江、モロコシもニッコリと笑顔を向けた。


「良かっただぁよ!これで、百人力だねぇ!」


「ああ、すごく心強いな!……ところで、モロコシ?」


 はつ江の言葉に笑顔で同意したシーマだったが、不意に訝しげな表情をモロコシに向けた。


「なーに?殿下」


 声をかけられたモロコシは尻尾の先をクニャリと曲げ、キョトンとした表情で首を傾げた。


「ユキさんに連絡を入れなくても大丈夫なのか?」


 シーマが心配そうな表情で片耳をピコピコ動かしながら尋ねると、モロコシはニッコリと笑った。


「殿下、大丈夫だよ!お母さんには、お手伝いが終わったら遊んで来る、って言ってあるから!夕ご飯までにお家に帰れば平気!」


 モロコシが元気よく答えると、シーマはホッとした表情でモロコシの頭をポフポフ撫でた。


「そうか。なら、よかったよ」


「じゃあ、遅くならないうちに原因を見つけないとねぇ」


 はつ江もニコニコとしながらそう言って、モロコシの頭を撫でた。すると、チョロが三人の様子を見てニッコリと微笑んでから、蘭子に顔を向けた。


「緑川のお嬢、井戸水が減っちまうような日照りは、最近起きていやせんよね?」


 チョロが首を傾げると、蘭子はコクリと頷いた。


「はい。水源に影響が出る可能性がある事象はほぼ全て記録していますが、先ほど申し上げた通りここ数ヶ月の降水量は例年通りでした。なので、他に原因があると思うのですが……少々お待ちください」


 蘭子はそう言うと、井戸の縁に手をかけ、中を覗き込んだ。


「この深さだと、地下水脈から水を取り出しているのではなさそうです……」


 蘭子はそこで言葉を止めて、睨みつけるように目をこらした。


「……あと、井戸の壁に何カ所かおまじないの言葉が書かれた石が組み込まれていますね。多分……地中の水分を集めて、浄化するタイプのおまじないです」


 そう言うと、蘭子は井戸から顔を上げて、うーん、と言いながら腕を組んだ。


「このタイプの井戸ですと……おまじないの言葉が消えかかって、水分を集める力が弱まることによって水量と水位が変化することがありますが……見たところ、おまじないの部分に損傷はありませんでした」


 蘭子が首を傾げていると、シーマが尻尾の先をクニャリと曲げてフカフカの手を挙げた。


「緑川さん。そのおまじないっていうのは、消えてなければ、ずっと効果が続くものなのか?」


 シーマの問いかけに、蘭子はコクリと頷いた。


「はい。かなり難しいおまじないなので、他の例は少ないのですが……このタイプの井戸は、大規模な干ばつやおまじないが消えるといったことがない限り、水が涸れることはありません」


「でも、日照りもなけりゃおまじないも無事、でございやすか……」


 チョロが落胆した表情で呟くと、蘭子も目を伏せながら頷いた。


「はい。あと、考えられる原因は……この近くで、もっと強力な力で地中の水が集められている、ということでしょうか……」


 蘭子が呟くと、はつ江がキョトンとした表情で首を傾げた。


「この近くで、新しい井戸でもできたのかね?」


「新しいプールができたとかかな?」


 はつ江の動きに合わせて、モロコシも尻尾の先をピコピコ動かしながら首を傾げた。蘭子は二人に顔を向けると、悲しそうな表情で首を横に振った。


「いいえ……新規の井戸や、地下水を利用したプールなどの施設は事前に申請が必要ですが、この井戸に影響がある範囲の地域では、そういった申請はでてきてないですね……」


 蘭子の答えに、はつ江は、ほうほう、と言いながら頷き、モロコシはシュンとした表情で、そっか、と呟いた。すると、今度はチョロが何かに気づいた表情を浮かべて、あ、と呟いた。


「チョロさん?どうなさったのですか?」


 蘭子が首を傾げながら声をかけると、チョロはニカッとした笑みを浮かべた。


「緑川のお嬢、誰かが他の場所に水を集めてるっつーことは、土ん中でそっちに向かって水が流れる音がしてるっつーことでございやすか?」


「お、音ですか?多分、していると思いますが……私達が、聞き分けるのは難しいかと……」


 蘭子がおずおずと答えると、チョロは笑顔のまま頷いた。


「大丈夫でございやすよ、緑川のお嬢!ちょいと待っててくだせえ!」


 チョロはそう言うと、井戸の縁に手をかけた。


「とう!」


 そして、かけ声とともに、スルスルと這いながら井戸の中へ降りていった。それを見た四人は、目を見開いて驚いた。


「チョ、チョロさん!?」


「あれまぁよ!?チョロちゃんや!大丈夫かね!?」


 蘭子とはつ江は井戸の縁に手をかけて、身を乗り出しながら井戸の中を覗き込んだ。


「こ、こら!二人とも、身を乗り出すと危ないぞ!」


「二人とも、落っこちちゃうよ!」


 シーマとモロコシは、咄嗟に二人にしがみついた。すると、井戸の中から元気の良いチョロの声が響いた。


「緑川のお嬢、はつ江ばあさま、アッシなら大丈夫でございやすよ!今から戻るんで、ちょいと井戸から離れててくだせえ!」


「分かっただぁよ!」

「は、はい!分かりました!」


 はつ江と蘭子は返事をすると、シーマとモロコシと一緒に井戸の縁から数歩あとずさった。それからすぐに、チョロがスルスルと井戸から這い出てきた。


「チョロちゃんや、大丈夫かい?」


「お怪我はありませんでしたか?」


 はつ江と蘭子が近づいて心配そうに尋ねると、チョロはニカッと笑った。


「へい!井戸ぐらいデコボコしてる壁なら、全然問題ねえでございやすよ!それよりも……」


 チョロはそう言うと、ズボンのポケットをガサゴソと漁り、何かを取り出した。


「コイツを見てくだせえ!」


 そして、四人に見えるように手を開いた。チョロの掌の上には、後脚に黒い星柄の模様がある、深緑色の丸みを帯びたバッタが載せられていた。途端に、モロコシがボタンのようにまるい緑色の目を輝かせた。


「わぁ!コケトリマルバッタさんだぁ!……あ、そうか!」


 コケトリマルバッタに目を輝かせていたモロコシだったが、不意に何かに気がついた表情を浮かべた。モロコシの表情を見たチョロは、ニカッと笑って軽く頷いた。


「へい!モロコシの坊ちゃんが気づいた通り、コイツは土ん中で水が動く音を聞いて、エサになるコケが生える井戸を探し出すっつーバッタでございやす」


 チョロが説明すると、シーマが目を輝かせて耳と尻尾をピンと立てた。


「そうか!それなら、このバッタに話を聞けば、新しくできた水を集めてる場所が分かるかもしれないな!」


 シーマの発言に、蘭子が訝しげな表情で首を傾げた。


「あ、あの、殿下?バッタから話を聞く、というのは一体?」


 釈然としない様子で蘭子が質問すると、シーマは気まずそうな表情でフカフカの頬を掻いた。


「あー、詳しい原因はよく分からないんだけど、モロコシはバッタの言葉が分かるらしいんだよ」


「そ、そうなんですか!」


 蘭子が目を見開いて驚くと、モロコシが目を細めてニッコリと笑った。


「うん!バッタさんのことなら、ぼくに任せてー!」


 モロコシが意気揚々とそう言うと、はつ江がニッコリと笑いながら、うんうんと頷いた。


「じゃあ、モロコシちゃんや、お願いできるかね?」


「うん!」


 モロコシは元気良く返事をすると、コケトリマルバッタに向かって耳を傾けた。その様子を見た、シーマは片耳をピコピコと動かしながら、コホンと咳払いをした。


「あー、緑川さん」


「はい、なんでしょうか?」


 シーマに声をかけられた蘭子は、キョトンとした表情で首を傾げた。すると、シーマは再び気まずそうな表情で、フカフカの頬を掻いた。


「えーと、バッタの話を通訳するとき、ちょっと意外な言葉遣いだったりするけど、あまり気にしな……」

「いぇあ!みんな!俺っぴに、何か用がありげな感じ!?」


 バッタ語の通訳について前置きをしようとしたシーマの声は、いつになく陽気な口調のモロコシの声にかき消された。


「モロコシ!何なんだよ!?その、口調は!」


 思わずシーマが耳を反らして、尻尾を縦手にパシパシと振りながら抗議をした。すると、モロコシはキョトンとした表情で首を傾げた。


「なにって、コケトリマルバッタさんの言葉を通訳したんだよ?」


 モロコシが答えると、シーマは、あー、と呟きながら、尻尾とヒゲを力なく垂らした。


「そう……だな……うん。大声を出して悪かったよ……」


 シーマが脱力しながらそう言うと、蘭子が苦笑を浮かべながら頬を掻いた。


「なんといいますか……湿ったところに住んでいるとは思えない口調ですが、逆にそれが趣深いですね」


「わはははは!元気が良くていいだぁね!」


 蘭子に続いて、はつ江もカラカラと笑いながらコケトリマルバッタの口調について感想を述べた。すると、チョロが感慨深そうに目を閉じて、うんうんと頷いた。


「見かけによらねぇ言葉遣いを聞くと、親方を思い出しやすねぇ……」


 チョロの言葉に、シーマは、そうだな、と力なく呟いてから、コケトリマルバッタに向かって首を傾げた。


「えーと……最近、この辺りに新しく水が集まる場所ができているみたいなんだけど、その方向に案内してくれないか?」


 シーマが尋ねると、コケトリマルバッタは前肢で顔を拭ってから、翅をパサリと動かした。


「マジ!?奇遇じゃん!ちょうど、俺っぴもそっち行ってみる感じだったから、一緒しようぜ!」


 モロコシがそう通訳すると、蘭子が目を輝かせて勢いよくお辞儀をした。


「ご協力ありがとうございます!コケトリマルバッタさん!」


「バッタちゃん!ありがとうね!」


「ありがとうございやす!」


 蘭子に続いて、はつ江とチョロもニッコリと笑ってお礼を言うと、コケトリマルバッタは首をカクカクと左右に動かした。


「いいのいいの!俺っぴフロンティア精神すごいから、こんぐらい余裕余裕!」


 モロコシがそう言い終えると、コケトリマルバッタはチョロの掌からピョーンと跳ね上がった。そして、モロコシの頭に着地して、翅をパサリと動かした。


「よっしゃ!みんな、俺っぴに続けよー!……だって、みんな!行こう!」


「分かっただぁよ!」

「はい、分かりました!」

「お供いたしやすぜ!」


 モロコシの言葉に、はつ江、蘭子、チョロは元気良く返事をした。しかし、シーマだけはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力していた。


「うん……すごく助かるし、他に方法もないから、ありがたいんだけど……モロコシの口調に違和感が拭えないな……」


 赤色の空の下には、シーマの力ない呟きが響いた。

 ともあれ、かくして一行は井戸の水位が下がった原因となる場所に向かっていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る