第37話 ズーン
無事に樫村の許可を得られたシーマ十四世殿下一行は、炭焼き小屋の側に掘られ井戸の調査を行っていた。
水質の調査はシーマとはつ江が担当、水位と水量の調査は蘭子が担当、モロコシとチョロは近くに珍しいバッタがいないか探していた。
「……よし。水質は問題ないな」
水質の調査結果を入力し終えたシーマは、調査端末から顔を上げて満足げな表情を浮かべた。はつ江はそんなシーマを見て、ニッコリと笑うと頭をポンポンと撫でた。
「これで安心だぁね!蘭子ちゃん、終わっただぁよ!」
そして、はつ江は蘭子に声をかけた。しかし、蘭子は呼びかけに反応することなく、水位計を見つめたまま固まってしまっている。シーマとはつ江がキョトンとした表情で見つめていたが、蘭子は水位計から目を離す気配すらない。はつ江の声を聞きつけて、モロコシとチョロが戻ってきたが、蘭子は相変わらず眉間に皺を寄せ固まったままだった。
蘭子の様子を心配したチョロは、スルスルと近づくと、細長い指が生えた手で肩をポンと叩いた。
「緑川のお嬢、大丈夫でございやすか?」
その途端、蘭子は驚いて飛び上がり、きゃっ、という短い悲鳴を漏らした。蘭子の反応に、チョロは円ら目を見開いて慌てだした。
「す、すみやせん!緑川のお嬢!決して、驚かそうとしたわけじゃございやせん!」
頭を下げるチョロに対して、蘭子はブンブンと首を横に振った。
「い、いえ!大丈夫です!こちらこそ、ぼーっとしてしまって、申し訳ない!」
二人が慌てふためいていると、調査キットと記録端末を手にしたシーマが、気まずそうな表情を浮かべて近づいて来た。
「緑川さん、すまない。調査結果を記録したんだけど、確認してもらえるかな?」
尻尾をゆらゆらと揺らしながらシーマが尋ねると、蘭子は姿勢を正してペコリと頭を下げた。
「失礼いたしました。ただ今、確認いたします!」
蘭子はそう言うと、調査キットの色と記録端末を見比べた。しかし、どこか心ここにあらずといった表情を浮かべている。
「蘭子ちゃん、どうしちまったんだろうねぇ?」
はつ江がそう言って腕を組みながら首を傾げると、モロコシも真似をして腕を組んで首を傾げた。
「お腹がいたくなっちゃったのかな?」
二人が首を傾げていると、ズーンズーンという思い足音が聞こえて来た。五人が足音の方に顔を向けると、指に絆創膏を巻いた樫村が、近づいて来ていた。
「お前ら、リンゴ剥いたけど、食っていくか……ん?」
樫村は五人の前に立ち止まると、不意に鼻をスンスンと動かした。そして、眉を顰めながら蘭子の顔を覗き込んだ。
「カッパの嬢ちゃん、どうした?なんか、随分と悲しそうな匂いさせてるが、井戸になんかあったか?」
樫村が問いかけると、蘭子は真剣な表情を浮かべて、はい、と返事をした。そして、深々と頭を下げてから、樫村の顔を見つめて口を開いた。
「水質の調査は全く問題ございました。ただ……水位と水量が、前回の調査を著しく下回っています」
蘭子の言葉に、樫村はピクリと眉を動かした。その様子に、蘭子の隣でチョロが緊張した表情を浮かべた。しかし、樫村は怒鳴りだすということもなく、頭をボリボリと掻いた。そして、悲しそうな表情を浮かべ、深いため息を吐いた。
「やっぱ、そうだったか……」
「あの、やはり、というのは……?」
蘭子が困惑気味に尋ねると、樫村は再び深いため息を吐いた。
「二週間くらい前からな、今までより水が汲みづらくなった気がしてたんだよ……」
樫村は悲しそうな表情を浮かべてから、五人に背を向けた。
「……お前ら、ちょっと昔話に付き合ってくれ」
そして、呟くようにそう言って、のしのしと歩きだした。
「ああ、分かった」
「分かっただぁよ」
「分かりましたー」
「は、はい。かしこまりました」
「へい。分かりやした」
五人は声を揃えて返事をすると、樫村の後を追った。
家の中に入ると、五人は居間に案内された。
居間の中には、簡素なサイドボードと、リンゴのウサギが入った大皿が載ったテーブルがあった。サイドボードの上には、銀色の長い髪をした耳の尖った少女の写真が飾られている。
「まあ、座ってくれ」
五人は樫村に促されるまま、席に着いた。樫村は五人が席に着いたことを確認すると、一旦居間を出た。そして、リンゴのウサギを載せた小皿を手に戻ってくると、サイドボードの上に小皿をそっと載せた。そして、軽く手を合わせると、自分も席に着いた。
「待たせたな、お前ら」
樫村がそう言うと、シーマは伏し目がちに首を振った。
「いや、気にしないでくれ」
「あの、樫村の旦那、写真のお嬢さんは一体どなたなんでございやすか?」
シーマの言葉に続くようにチョロが尋ねると、樫村は、そうだな、と呟いた。そして、リンゴのウサギをつまみ上げると、ヒョイと口の中に放り込んだ。樫村はリンゴを飲み込むと、淋しげな表情で口を開いた。
「……そこから、話すとするか。あれは、俺の嫁さんだ。若い頃は、バッタ屋と三人でよくバカ騒ぎしたもんだ。まあ、随分前に死んじまったから、お前は多分、知らないだろうがな……」
「そうだったんでございやすか……」
「写真をお見受けしたところ、まだ、お若いようですのに……」
目を伏せて呟くチョロに続いて、蘭子も悲しそうな声を漏らした。しかし、樫村は目を瞑ってゆっくりと首を横に振った。
「いや。あんなんでも、俺よりずっと年上だったらしい。なんでも、あれ以上、見た目は歳をとらない種族らしくてな」
樫村の言葉に、シーマがピクリとヒゲを動かした。その様子を見て、はつ江とモロコシが首を傾げた。
「シマちゃんや、どうしたんだい?」
「殿下、どうしたの?」
二人に見つめられたシーマは、あー、と呟くと、軽く耳を伏せてフカフカの頬を掻いた。
「いや、魔界にそんな種族の人っていたかな、って思って」
シーマが尻尾をゆらゆらと揺らしながらそう言うと、樫村はコクリと頷いた。
「そうだな。殿下が言ったように、嫁さんは魔界の出身じゃなかったな。どっかから魔界に迷い込んじまったらしい。そん時には、もうかなりの婆さんだって言ってたな」
樫村はそう言うと、再びリンゴを一つ食べた。
「で、右も左も分からねえって話だったから、俺が身元を引き受けた。でも、突然迷い込んじまったにもかかわらず、泣き言一つ言わないで、俺の仕事を手伝ったり、身の回りをしてくれた。そん時は、各地の炭焼きを手伝いながら旅して回ってたのに、文句も言わずにいつも笑いながらついてきてくれたな」
樫村はそう言うと、サイドボードに飾られた写真にチラリと目を向けた。
「でも、かいがいしくしてくれる奴をいつまでもその日暮らしに付き合わせるのも悪いと思ってな、正式に結婚を申し込んで、どこかに落ち着いて暮らそうって話になった。で、バッタ屋に相談したら、この辺りが住みやすいって話になってな」
「ほうほう、そうだったんだねぇ」
はつ江が感心したように声を漏らすと、ああ、と言いながら樫村は頷いた。
「ただな、家を建てて炭小屋を作ったら、蓄えが随分となくなっちまった。それで、上下水道をいっぺんに引くのは難しいくらいにな。でも、嫁さんは落ち込んだりせず、じゃあ井戸を掘りましょう、と言い出した。そっから、嫁さんがまじないみたいなのを使って、家の庭で井戸になりそうなところを探してくれて、二人で掘った」
「井戸を掘るのって、大変そうだね……」
モロコシがリンゴを一つ食べてから声を漏らすと、樫村は軽く首を振った。
「いや、俺も力仕事は得意な方だし、嫁さんもまじないで掘るのを手伝ってくれたし、つるべや屋根なんかはバッタ屋が作るのを手伝ったから、なんとかなった。でも、流石に少しは骨が折れたから、井戸が完成した時には、三人で顔を真っ黒にして喜んだな」
樫村はそう言うと、昔を懐かしむように微笑みを浮かべた。しかし、すぐに悲しげに目を伏せた。
「ただ、嫁さんには負担がかかっちまったらしくてな、井戸が完成してからは寝てる時間の方が長くなった。すぐに医者に診せたが、病気じゃなくて寿命が近づいて来たんだろうって話だった。あの頃は俺も若かったから、それでもなんとかしろ、と医者を怒鳴りつけた。でも、嫁さんはニコニコしながらを止めた」
樫村は、一度言葉を止めると、顔をワシワシと擦ってから、再び口を開いた。
「今まで誰かを看取る方が多かったから、看取ってくれる人に会えただけでも幸せだ、と。井戸も完成したんだから、自分がいなくなっても、ちゃんと元気に暮らせ、ともな」
樫村はそう言うと、深いため息を吐いた。
「それからすぐに、嫁さんは死んじまった。その後、水も飲めねえくらい落ち込んだよ。どうせ水を飲む気が起きねえなら、井戸も潰しちまおうかと考えた。でも、バッタ屋が花持って尋ねて来てくれてな。嫁さんとの最後の思い出が詰まった井戸なんだからちゃんと使って大事にしろ、とえらく叱られた。そん時は反論もしたが、嫁さんにも、ちゃんと元気に暮らせ、って言われてたからな。井戸に行って、大声で泣いて、水被った。そんとき、嫁さんに、その息だ、って言われた気がしたよ。それから、何か吹っ切れてな、ボチボチ食欲も戻って仕事もできるようになった」
「ならば、樫村様にとってあの井戸は、凄く大切な思い出なのですね……」
蘭子が目を伏せながら呟くと、樫村は、ああ、と返した。
「だから、前回の調査ですぐにでも潰せって言われた時は、腹が立って水道屋を怒鳴りつけて追い返した。だが……」
そう言うと、樫村はリンゴをまた一つ口にして、バリバリと噛んでから飲み込んだ。
「水位が下がってるってことは、このまま枯れちまうかもしれねえんだろ?だとしたら、そのままにしといて、リンゴ屋の坊主ぐらいのガキが間違って落っこちても危ねえからな……まあ、あの井戸も寿命がきたんだろ」
樫村はそう言うと、深いため息を吐いて口を一文字に結んだ。すると、それまで樫村の話に耳を傾けていたはつ江が、円らな目をカッと見開いた。
「蘭子ちゃんや、井戸の水は一度少なくなったら、絶対に枯れちまうもんなのかね?」
不意に声をかけられたビクッと身を震わせた。そして、そうですね、と呟くとクチバシに水かきのついた指を添えて、眉間に軽く皺を寄せた。
「確かに、干ばつが起こって枯れてしまうということはありますが……ここ最近の降水量も例年通りですし、何か別の原因がありそうですよね……その原因を取り除くことができれば、あるいは……」
蘭子がそう言うと、モロコシが耳と尻尾をピンと立てて、テーブルに手をつきながら身を乗り出した。
「じゃあ、井戸は枯れないかもしれないんだね!」
モロコシが目を輝かせていると、隣の席に座ったシーマが耳を立てて目を細めた。
「なら、その原因をすぐに調査しないとな!ボクが協力してるんだから、すぐに解決できるぞ!」
シーマが得意げな表情でそう言って鼻を鳴らすと、チョロもニカッと笑いながら鼻の下を擦った。
「そう言うことなら、アッシもお手伝いしやすぜ!」
四人の反応を見ると、はつ江はニッコリと笑った。そして、樫村の顔を見つめると、笑顔で首を傾げた。
「そんなわけで樫村さんや、ちっとばかし時間をくれねぇかね?」
はつ江に問いかけられた樫村は、キョトンとした表情を浮かべた。そして、頭をボリボリと掻くと、目を細めてニッコリと笑った。
「今度も、雑な仕事したら承知しねえからな?」
「ああ、任せてくれ!」
「任せるだぁよ!」
「がんばるよー!」
「はい!お任せ下さい!」
「任せてくだせぇ!樫村の旦那ぁ!」
五人が声を合わせて返事をすると、樫村は小さく、ありがとな、と呟いた。
かくして、五人は井戸の水位が下がった原因の調査を始めることになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます