第14話 バッチリ

 ジメジメした空気が漂う、石のブロックで作られた地下の迷宮。

 壁に備え付けられた松明の火だけが、あたりをボンヤリと橙色に照らしている。


「今回は一本道だな」


 橙色の光の中で、黒い尖った耳をしたフードを着込んだサバトラの仔猫、シーマ十四世殿下がヒゲをピクピクと動かしながらポツリと呟いた。


「まことでござるな。拙者、少々拍子抜けしたでござる」


 最後尾を歩く黒い忍び装束を着た柴犬、柴崎五郎左衛門もくるりと巻いたフサフサの尻尾を低い位置でゆっくりと振りながらシーマに同意した。


「まあ、今回は難易度が『簡単』だからな。でも、あまり油断はするなよ?」


 シーマと並んで最前列を歩く、赤銅色の長い髪を一つに束ね白銀の鎧を装備した魔王が物憂げな表情で呟いた。すると、魔王たちと五郎左衛門に挟まれ、列の中央を歩く、クラシカルなメイド服に身を包んだ老女、森山はつ江がカラカラと笑い声を立てた。


「わはははは!ヤギさんは心配性だね!でも、ちゃんと気をつけるよ!」


 はつ江の言葉に、魔王は、そうだな、と呟いて頷いた。


「あ!見て見て!壁に何か出っ張りがあるよ!」


 丸い耳のついたフカフカの白いローブを着た茶トラ模様の仔猫、モロコシがはつ江の隣で壁を指差した。そこには、石のブロック一つ分が、他の場所より少しだけ飛び出ていた。

 一同は立ち止まり、ブロックが飛び出た部分に注目する。


「モロコシ、危ないから不用意に触るなよ?」


 耳を伏せて尻尾を体に巻きつけながらシーマが言葉をかけると、モロコシはコクリと頷いた。


「うん!分かったよ!」


 モロコシは元気良く答えると、しばらくの間は凛々しい表情で壁を見つめていた。しかし、徐々にヒゲがムズムズと動き出し……


「えい!」


 ……フカフカの手で、石のブロックを押し込んでしまった。


「うわぁ!?」



 咄嗟にシーマがモロコシの肩を掴んで壁から引き離し……


「あれまぁよ!?」


 はつ江が慌てながら二人を庇うようにかき抱き……


「柴崎君!」

「合点承知でござる!!」



 魔王と五郎左衛門は剣とクナイを構えた。


 すると、天井の一部に突如穴が開き、ヒュルヒュルと音を立てながら金盥かなだらいが降ってきた。そして、一同の中で一番背の高い魔王の頭にぶつかり、グワンと音を立てた。


「魔王陛下!?お怪我はありませぬか!?」


 五郎左衛門がクナイを懐にしまい、魔王に駆け寄る。 


「怪我はない……でも、ちょっとだけ痛い……」


 頭をさすり、若干涙目になりながらも答える魔王を見て、一同が安堵のため息を漏らす。魔王は床に落ちた金盥を拾い上げると、天井を見上げて様子を確認した。そして、軽く頷いてから、口を開いた。


「ひとまず、もう何も起きないだろうな」


「そうかい!みんなに怪我がなくてよかっただぁよ!」


 はつ江はそう言って、シーマとモロコシを腕から放した。放されたシーマははつ江に向かって軽く頭を下げてから、モロコシの方を向き尻尾を縦に大きく振った。


「モロコシ!何やってるんだよ!?」


「ごめんなさい殿下……見てたら押したくなっちゃって……」


 モロコシがヒゲと尻尾を垂らして涙目になりながら頭を下げると、シーマは軽くため息を吐きながら頬を掻いた。


「まったく!次からは絶対に押すんじゃな……」

「いや、そうとも限らない」


 シーマの言葉に被せるように、金盥を手にした魔王が声をかけた。


「……何でだよ?また何かあったら、どうする気だ?」


 尻尾を左右に揺らしながらシーマが不服そうに尋ねると、魔王は金盥を床に置いた。そして、無言で金盥の底を指差した。

 一同が覗き混んだ先には、魔法陣が描かれている。


「ヤギさんや、これは何て書いてあるんだい?」


 はつ江が首を傾げて尋ねると、魔王は、うーん、と唸って頭を掻いた。


「かなり古いタイプの魔法陣だから、合っているかは自信がないが……先先先代くらいの魔王を呼び出すときに使う物に似ているな……」


 魔王の言葉に、五郎左衛門が白目が見えるほどに目を見開き、尻尾を立てて驚いた。


「先先先代!?あの迷宮王でござるか!?」


 驚く五郎左衛門に向かって、はつ江が再び首を傾げた。


「あれまぁよ、ゴロちゃん。その人は、そんなに有名なのかい?」


「いかにも!近代的な迷宮の生みの親と言われ、魔界に現存する全ての迷宮の半数を作ったと伝えられているお方でござる!博物館の従業員研修で、そう教わったでござる!」


 五郎左衛門が胸を張って説明すると、魔王が静かに頷いた。


「ああ。しかも、魔王に就任してからほんの数週間でこの地下迷宮を作り上げ、作品作りに専念したいからと言って、魔王の座を捨てて放浪の旅に出てしまった。もしもご存命ならば、一度お目にかかりたい方だな……」


 魔王がそう言うと、シーマはヒゲと尻尾を垂らしてため息を吐いた。


「頼むから、趣味に迷宮作りまで取り入れないでくれよ……」


 シーマの発言に魔王はギクリとした表情を浮かべてから、軽く咳払いをして金盥を拾い上げた。そして、はつ江に向かって金盥を差し出す。


「というわけで、後々この金盥が必要になるかもしれないから、ポシェットに入れておいてもらえないか?」


「あれまぁよ!そんなに大きな盥が入るのかね!?」


 はつ江が目を丸くして驚くと、魔王は頷いた。


「ファスナーを開けて、中に入れたい物を指差せば収納されるようになっている」


 はつ江は、ほうほう、と頷くと早速ポシェットを開いた。


「ちちんぷいぷい」

「……呪文は別に必要ないぞ」


 魔王に指摘されながらもはつ江が指を差すと、金盥は細長く引き伸ばされシュルシュルと音を立てながらポシェットに吸い込まれていった。はつ江はポシェットを数回ポンポンと叩いてから、ファスナーを閉じた。


「ほー。便利なもんだねー」


「どうだ!魔術の力は凄いんだぞ!」


 感心するはつ江に向かって、シーマが得意げにふふんと鼻をならした。すると、モロコシも感心した表情でポシェットをポフポフと叩いた。


「すごいんだねー」


 そんな三人の様子を魔王は幸せそうな笑顔で眺めた。


「ときに、魔王陛下」


 しかし、不意に五郎左衛門に声をかけられて、魔王はハッとした表情を浮かべた。


「ふむ。どうした?柴崎君」


「今回のことを鑑みるに、怪しい出っ張りは押してみた方が良いのでござろうか?」


 五郎左衛門が困り顔で首を傾げると、魔王はその頭をワシワシとなでてから口元に手を当てて、ふぅむ、と呟いた。


「まあ……また重要そうなアイテムが出てくるかもしれないから、周囲に気を配りながら押してみるしかないだろうな……」


「そうでござるか……それはそうと、魔王陛下、何故拙者の頭をなでて下さったのでござるか?」


「そこは深く気にするな……おーい、三人とも!そろそろ先に進むぞ!」


 少し離れた場所で、金盥をポシェットに出し入れして遊ぶシーマとモロコシと、その様子をニコニコと見守るはつ江に向かって、魔王は声をかけた。三人は魔王の方を振り返り、姿勢を正して返事をする。


「はいよ!ヤギさん!」

「分かったよ、兄貴」

「魔王様ー!分かりましたー!」


 三人が声を揃えて返事をすると、魔王は軽く頷いてから、歩き出した。


 一同は再び、魔王とシーマを先頭、五郎左衛門を最後尾、はつ江とモロコシを中央にして迷宮を進んだ。しばらく進むと、魔王が床に視線を落として歩みを止めた。


「兄貴、どうしたんだ?」


 シーマも足を止め、耳を伏せて尻尾を体に巻きつけながら床を覗き込む。そこには、先ほどの壁と同じように、一箇所だけ石のブロックが飛び出ていた。


「多分、これも押してみた方が良いのだろうな……」


 魔王はそう言うと、天井を見上げてから手を掲げた。すると、五人の頭上に、赤い光の板が現れた。


「これで、頭上からの不意打ちは防げるな。じゃあ、押すぞ」


 四人が固唾を飲んで見守る中、魔王が石のブロックを踏み込む。すると、通路の後方からゴゴゴと言う不気味な音が響き、先ほど通ってきた通路が坂道のようにせり上がった。そして坂の頂上に位置する天井に、ポッカリと穴が開く。


「なんだか、昔観た探検映画を思い出すねぇ」


 はつ江がシミジミと呟くと、シーマが顔を洗う仕草をしてから、メイド服のスカートの裾を引っ張った。


「えーと……はつ江。念のため聞きたいんだが、その映画ではこの後どうなるんだ?」


「確か、でっかい岩が転がってくるだぁよ!」


 シーマの問いに、はつ江がカラカラと笑って答えると、魔王が珍しく満面の笑みを浮かべた。


「うん。多分そうなるだろうな」


 そう言うや否や、魔王ははつ江を抱きかかえた。


「あれまぁよ!?ヤギさん、重くないかね!?」


「このくらいなら大丈夫だ。シーマ、一人で走れるか?」


 魔王がはつ江を抱えながら尋ねると、シーマは尻尾を縦に大きく振った。


「当たり前だ!バカにするなよ!」


「よし。では、柴崎君。モロコシ君を頼む」


「合点承知でござる!」


 五郎左衛門は勢いよく胸を叩いてから、モロコシを抱え上げた。


「モロコシ殿、しっかり掴まっているでござるよ!」


「うん!五郎左衛門さん、ありがとう!」


 モロコシが五郎左衛門にしがみついたのを確認すると、魔王は小さく頷いてから息を吸い込んだ。


「走るぞ!」


 魔王が号令をかけて走り出すと、シーマと五郎左衛門もそれに続いた。後方では天井の穴から巨大な岩が現れ、坂道を転がり降りてくる。

 一行は息を切らしながら通路を走り続けるが、岩は止まる気配もなく一行を追い続ける。


「いつまで付いてくるんだよ!?」


 シーマが走りながら弱音を吐くと、魔王が目を凝らして通路の奥を見つめた。


「あと少し走れば道幅がせまくなっているから、岩が引っかかるはずだ」


 魔王がそう言うと、五郎左衛門はスピードをあげていち早く通路の奥にたどり着いた。そしてモロコシを降ろすと、三人に向かって大声で叫んだ。


「皆様!モロコシ殿の安全は確保しましたでござる!」


「柴崎君!良くやった!」


「ゴロちゃん!凄いだぁよ!ありがとうね!」


 魔王とはつ江に褒められ尻尾を大きく振る五郎左衛門の隣で、モロコシも大声で叫ぶ。


「殿下ー!あとちょっとだから頑張ってー!」


「分かった……うわぁっ!?」


 モロコシの応援に気が緩んだシーマは、つまずいて転んでしまった。


「シーマ!?」


 思わず魔王が足を止めて振り返ると、はつ江はヒョイと魔王の腕から飛び降りた。


「はつ江!?危ないぞ!!」


 魔王の制止も聞かずに、はつ江はシーマの側に駆け寄った。


「シマちゃん!!大丈夫かね!?」


 揺り起こされたシーマはゆっくりと起き上がると、ボンヤリとした表情で目を数回瞬かせた。そして、ハッとした表情を浮かべると尻尾の毛を逆立てた。


「……はつ江!?何をしてるんだ!?早く逃げろよ!!」


「置いて行けるわけないだろ!さあ!走るよ!」


 はつ江はシーマを抱きかかえると、ヨタヨタと走り出した。しかし、岩はすぐそこまで迫ってきている。


「はつ江!降ろせ!僕にぶつかれば岩が止まるかもしれないだろ!」


「馬鹿なこと言うでねぇよ!そんならシマちゃんが先に行きな!」


 そう言うとはつ江はシーマを放り投げ振り返ると、迫り来る岩に向かって両手を広げた。


「うわっ!?はつ江!?やめろ!!」


 よろめきながらも着地したシーマははつ江に駆け寄ろうとするが、すでに岩ははつ江のすぐ近くまで迫っている。

 はつ江は振り返ることなく、穏やかな声でシーマに語りかけた。




しまちゃん。会えて良かったよ」




「はつ江?」


 シーマが戸惑っていると、その横を漆黒の影が猛スピードで通り抜けた。影はそのスピードのまま、はつ江の頭上を軽々と飛び越える。


「奥義!柴タックル!」


 そして、掛け声とともに岩に体当たりをして、はつ江の前に着地した。

 体当たりをされた岩は後ろに吹き飛ばされ、小さく2、3回跳ねてからその動きを止めた。


「……間に合ったでござるな」


「あれまぁよ!ゴロちゃん!怪我はないかね!?」


 尻尾を振りながら岩を見つめる五郎左衛門に、はつ江がパタパタと駆け寄った。


「バッチリ大丈夫でござる!」


 五郎左衛門が笑顔で親指をあげると、はつ江はホッとした表情を浮かべた。


「そんなら良かっただぁよ。ゴロちゃん、ありがとね」


 はつ江はそう言うと、五郎左衛門の頬をワシワシとなでた。その後ろから、シーマがトコトコと駆け寄ってくる。


「はつ江!五郎左衛門!怪我はないか!?」


「大丈夫だぁよ!」

「大丈夫でござる!」


 シーマは二人の元にたどり着くと、目を潤ませながらため息を吐いた。


「良かった……五郎左衛門のおかげで助かったよ、ありがとうな」


 シーマが目を拭ってから、ペコリと頭を下げると、五郎左衛門は凛々しい表情を浮かべながらも尻尾を左右に激しく振った。


「滅相もないでござる!昨日のご恩に比べたら、なんのこれしき!……ただ」


 そう言うと五郎左衛門は、岩の方にチラリと視線を向けた。




「あの岩……メチャクチャ軽かったでござる」




 三人の間に、しばしの沈黙が訪れる。


「あれまぁよ!!」

「何だったんだこの茶番は!?」


 ジメジメした空気が漂う地下迷宮には、はつ江が驚愕する声と、シーマが憤慨する声が響いた。

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