第66話 貴方の為の大切な友人を
「あの、如何致しましたか?」
常に教室にいる筈のアスランが図書室にいる。
それだけでも十分驚くべき事なのだが、今それよりも、他の事に私は驚いているのだ。
「お前、何をしたっ!?」
ガタンと音を立てて椅子が倒れた。それもそのはず。アスランは私の首を抑え、机へに抑えつけようとしていたのだから。
いつも、なんの表情も浮かばず、冷静沈着であるはずのアスランの顔は鬼の形相をしている。
私は、その事に驚きを覚えた。何故、彼はこんなにも怒りを露わにしているのか。
身に覚えはまるでない。彼と関わったのは、あの誰もいない教室でが最後だ。
私は身を捩り、なんとアスランから逃げ出すと尻餅をついた。
「な、なんの話ですか? 私が、何か?」
絞り出した声で疑問を投げかけるが、冷静さを酷く欠いている彼に届く言葉ではないのは確かだ。
「何をしただって?」
しかし、現実は無情で、その言葉は彼に届き彼の怒りに油を注ぐ。
「しらばくれるな!」
余りに彼の勢いに、今にも殴られるのではないかと身構えたが、彼はどうやらそのキャラクター性に反して暴力を振るう気は無いらしい。
震えた手を、ただただ握りしめて私を睨みつける。
何がそんなにも、彼を怒らせるのか。
一体何があったのか。
彼の次の言葉で、私ははっと起き上がった。
「お前が、何でフィシストラと一緒に居るんだっ!」
フィンの名が、彼から飛び出したからだ。
そう言えば、彼は曲がり曲がって、フィンの婚約者だった男である。
そして、ある事実に私は目を見張った。
そうだ。この男は、アスランは誰かを毎日探していた。来る日も来る日も、真面目とはお世辞には言えないが、教室に通い中庭を見つめていた。
きっと、誰かが通るであろう、あの中庭を。
彼が探している人物こそ、フィシストラ・テライノズ。
そう、フィンだったのだ。
不味い。
このまま騒ぎが広まれば、本を取りに行ったフィンが戻って来て彼と対面してしまう。
今でさえ、騒ぎを聞きつけた人間が疎らにも集まってくる気配を感じる。
勿論、普通の状態であれば、大歓迎だ。
フィン自身、アスランの身を案じ、彼の容疑を庇ったのだから。
だが、今は不味い。
この男は、私に敵意を向けている。この状態でフィンに合わせれば、今の状態が余計に拗れるのは明白だ。
「アスラン様。場所を変えましょう。フィシストラ嬢のお話については、聞きますから」
集まって来た人間に視線を移して、極力彼の怒りに触れない様に細心の注意を払う。
フィンがフィシストラ・テライノズとして人目に付かないように生活しているのは、彼もこの学園で彼女を探す生活を通して知っているはずだ。
「場所?」
「人が集まって来た場所で、彼女の話は良くないでしょう?」
私が立ち上がり彼を睨めば、アスランは少しだけ考える素振りを見せて私に背を向け歩き出す。
付いて来いと言ってるようだ。
今ここで断る通りは何処にもない。
私はフィンに対して図書館のテーブルに常備されているメモにアスランと話してくる。ここで待っててくれと言う簡単なメモを残し彼の背中を追った。
行き着いた場所は、校舎の外。確かにここなら人目はないかという程の建物影に隠れた場所だった。
「何故、フィシストラがお前といるんだっ!」
振り向きざまに、アスランが声を上げる。
「フィシストラ嬢は私の友人でございます」
「フィシストラが友人なんか作るかっ! お前、何を企てているっ! フィシストラを、利用する気かっ!」
フィンは、この学園でずっと一人だった。
生まれ育った境遇は、きっと彼女に孤独を与えた。令嬢にも平民にも、彼女の生きた道と交わる場所は何処にもない。
彼はそれを良く知っている。
自分だって、該当者だったのだ。痛みは、自分の傷を見ればいい。
貴族にも馴染めず、平民とも合いいれらず、一人で彷徨うようにフィンを探す姿は、まさしく彼女に良く似ていた。
きっと、今もまだ、フィンはアスランの中では、剣を握り大人達を見上げるフィシストラ・テライノズのままなのだろうに。
「信じて欲しいとは言いません。しかし、私にとっては大切な友人なのです。彼女の孤独を、私が埋めれるとは思っておりませんが、少しでも彼女の支えになる様に努めております」
「お前がフィシストラの何を知っているっ!」
「全てです」
そんな訳がない。
それ程、烏滸がましい事を思うほど、私は愚かではない。
だが、彼女が私に見せた傷を、過去を、覚悟を。私は全てだと受け止める。
「彼女が、フィシストラ・テライノズという名を見せて来た全てを、私は知っている。彼女が自分の名を名乗った覚悟を、私は知っている」
「フィシストラが、名を……?」
アスランは今日初めて私に戸惑いの顔を見せてくれた。
彼だって考えれば分かる事だろうに。私は、偶然彼女の名を知ったわけではない。
彼だって、十分分かっているはずだ。フィン自身が、フィシストラ・テライノズの名を教える意味を。フィシストラ・テライノズの名の持つ意味を。
「お前に、自分から……?」
自分からだと言うにはだいぶ語弊があるが、こればかりは懇切丁寧に説明するつもりはない。
私はただただ、彼の言葉に頷いた。
「貴方方一族のことも、お聞きしました。それでも私の友人としていてくれる彼女は、私の大切な友人です」
「……そこまで、フィシストラが……」
がくりと、聞こえてしまうのではないかと思うほどに肩を落とす彼は、私を頭から足の先まで見たわした。
品定めをすると言うよりは、存在を確認する様に。
彼の中でも、彼女を受け止める輩など存在しないのだろう。フィンが、女騎士が存在する訳ないと思うように。
「フィシストラが、友人をか……。フィシストラが、そうか……」
ゲームで彼がこの学園を彷徨わなくなったのは、もしかしたら何処かでフィンに会ったのかもしれない。
彼女を探し、彷徨い、見つけて、声を掛けて。
私と出会ったばかりのフィンは、確かにアスランの思い描くままのフィンだ。
アスランの身を案じていても、あのフィンであればきっと彼女は彼にも心開く事はなかっただろう。
彼が、フィンに出会って、何を言いたくて、何をしたかったかなんて、それは私の知り及ぶ範囲ではない。ただ、わかることは、フィンは彼を必要としなかったと言うことだ。
婚約を破棄したのは彼の方からだと聞いたが、この世界は噂で出来ている。噂の真偽など、どうでもいい。あやふやな世界。
こんなに必死に探していたのだ。
こんなにも彼女を求めていたのだ。
それなのに、あの頃のフィンは全てを拒絶していた事だろう。淡々と、ただただ、淡々と。自分の夢さえ拒絶しながら求める迷子の様な彼女は彼に答える事さえ、きっと出来ない。
彼が探し物を辞めた理由が、やっと分かった。
そして、何をアリス様に求めていたのかも。
狡い人だとは思わない。恋の形も愛の形も人それぞれなのだから。
「アスラン様とのご関係も伺っております。彼女も、貴方の身を案じておりました」
「フィシストラが?」
「ええ」
私が頷けば、アスランは空を仰ぐ。
「本当に、あいつは変わったんだな……」
その表情は、どこか寂しげで、そしてどこか安心した様な顔。
何と言うか、事情が事情なだけに、初期王子の様な決めつけや話を聞かない態度に腹立たしさは感じられない。
そして、こいつ意外にも話せば分かるタイプの男だ。最初は確かに乱暴に扱われもしたが、フィンを思っての事ならば私だって怒る気もないしな。
「ずっと、一人で何でも背負う奴なんだ。フィシストラは」
「ええ。彼女はとても責任感が強く、そして真っ直ぐな人ですもの」
「そうなんだ。真っ直ぐ過ぎるんだよ。誰の手も借りずに、一人で背負って生きて行こうとする奴なんだよ」
「アスラン様は、彼女を追ってこの学園に?」
「ああ。事情を知ってるなら話は早いな。あいつは、大人達に用済みになったら直ぐにこの学園に入れられた。俺だって、何度も大人達に交渉したさ。あいつは、俺を助けてくれた女だ。何としても、何を捨てても守りたかったんだよ」
「婚約を、貴方は破棄されたとお聞きしましたが?」
「俺が? まさか。そんな訳ないだろ。俺から申し出たと言うのに。俺は、あいつを大人達から守る為なら、人生だって捨てていいと思ってた。けど、それだと不都合な奴らが沢山いるんだ。俺だって、正式な婚約申し込みと婚約破棄は同時に聞かされた」
アスランも、フィン同様にあの一族の犠牲者なんだろう。
彼の言葉を聞く大人なんて、あの一族には何処にもいないのだ。
「最初は、フィシストラが俺を許してくれなかったのかと思ってた。確かに、あいつに守って貰ってばかりの子供時代だったからな。それなら、致し方ないと思ってた。だが、それが間違いだったんだ。あいつらは、フィシストラを一族から追い出す為に……」
「酷い……」
私は大人の都合に振り回される二人に、思わず顔を顰める。
酷いだろう。そんな話があるものか。
「いや、俺もその酷い一族の一人だ。情けない。あいつの笑顔を取り戻すために、俺はずっと、必死に、生きてきた。けど、結局何も掴めてない。己の弱さが、未熟さが、全て悪いんだよ」
「そんな事……」
私は続く言葉を飲み込んだ。
ないと言って、何の慰めになるのか。
確かに、フィン自身もアスランは虫も殺せぬ程か弱い少年だったと言っていた。
喧嘩に明け暮れる今となっては見る影もないが。
そうなるまでに、彼は自分を責め続けたのではないだろうか。
いくら、事情を知っていたとしても、私如き他人が彼を上部だけで慰めたところで意味はないのはよく分かっている。
でも、それでも……。
「ごめんなさい。私が言うには過ぎたる事かもしれないけども、貴方の彼女を思う気持ちは、きっと、彼女の救いになってたと思うわ」
彼の気持ちを、努力を、無かったと言う言葉で終わらせてあげたくない。
報われたか、報われないか。
そんな簡単に終わる話にしないでくれ。
私だって、私の中の孤独にいた。一人積み上げてきた一人の塔に、一人で篭って、一人で喚いて、一人で絶望して、一人で涙を流していた。
だからこそ、わかるんだ。
必死になって手を伸ばしてくれる誰かの存在がどれ程力になるかを。
どれ程、救いになるかを。
届かなかったタクトの手を思い出しても、私はあの時一人では無かったのかと安心できる。そして、前を向けるのだ。
だから、アスランのフィンへの思いだって、届かなくったって、掴めなくたって、無駄じゃないって、思いたいのだ。
「優しいな……」
ふっと、アスランが私を見て笑う。
そこには何処か幼げで、フィンの話で聞いていたアスランの本来の姿があったような気がした。
「俺は、フィシストラに守られて来た。誰かを傷つけるのが怖くて、震えていた自分を、あいつは庇ってくれた。だから、今度こそあいつを俺が守ってやりたいんだ。その為に、俺は強くなって来た」
「アスラン様……」
「強くなるのが、あいつへの恩返しだと思ったんだ。大人に負けないように、誰も俺に指図出来ないように。そうなったら、今度こそあいつを守れるって、馬鹿みたいに思ってた」
彼らを取り巻く環境は、最悪だ。
違法な賭博で命を掛けさせられ、大人に頭を抑え付けられながら育って来た。
普通ならば、既に心が折れていてもなんら不思議ではない。
それなのに。
「初めて俺の意思でここに来て、俺の意思であいつを探そうと思った。だから、お前の申し出も断った。あの時は、悪かったな」
「いえ。私もあの時は、まさか彼女を貴方が探しているだなんて思いもしなかったので、お役に立てず申し訳ない事をしました」
「謝るな。お前が悪い事をした訳じゃない。でも、お前の様な友を持てて、きっとフィシストラも幸せなのだろうな」
「まさか」
私は首を振り、アスランを見る。
「私の方が彼女を友に持てて幸せですもの」
「……本当に、いい友人を持ったんだな。あいつは」
優しく笑う彼を見ると、本当にフィンをどれ程心配していたのかよく分かる。
この男の兄が、今回の事件の黒幕だなんて思いもしないぐらいに。
アスランも、ギヌスが生きている事は矢張り知らないのか。
それはそうだろう。兄が生きていると知れば、わざわざフィンの心配なんてしないだろう。なんたって、フィンの正式な婚約者はギヌスの方だ。
「アスラン様、一度彼女にお会いになりませんか?」
「え? いや、しかし、もう一人じゃないなら俺なんて……」
「言ったでしょう? 彼女も貴方のことをいたく心配していたと。貴方に会えば彼女も喜ぶことでしょう。彼女には図書館で待っていて貰っております。私と一緒に戻りましょう」
私が手を差し出すと、アスランは困惑した顔付きになってきた。
どうした。
あれ程、探していたのに。
「どうか、なさいましたか?」
「いや、でも……」
とうも、歯切れが悪いな。
そんなにも、子供の頃の事が後ろめたいのだろうか。
いや、しかし、あれ程探していて、尚且つ私達を追ってきたと言うのに?
「あの、アスラン様。何か他に心配事でも?」
「いや、それは……」
「それは、な……っ!?」
何ですか。
そう続けようとした瞬間、頭に激しい痛みが走った。
ぐらりと視界が反転し、意識が遠のいて行く。
何が、一体……。
考えようにも、頭も体も動いてくれない。
「だから、お前は駄目なんだよ」
私が意識を手放す前に聞いた声は、知らない男の、呆れ果てた声だった。
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次回は9月16日(月)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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