第43話 貴女の為の挨拶を

「……フィン。動けない、動けないから。私」


 耳に響く様な悲鳴を上げて、私の背中に飛びついてきたフィンの頭をポンポンと叩きながら私は溜息をつく。


「アリス様、シャーナ様も。一体どうしたのかしら?」


 伸びてきた四つの腕の正体に体を雁字搦めにされながら、私はまた一つ溜息をつく。

 トイレのお化けの正体は、アリス様とシャーナ嬢であったのだ。


「……人?」


 ひょっこりと、顔を出しながらフィンが二人を確認すると、スルスルといつもの無表情に戻りながら恥ずかしそうに私の隣に立つ。

 どうやら、強い騎士様もお化けには弱いらしい。

 随分と可愛らしい一面があるじゃないかと、苦笑しながら、今度は正面から抱きついている二人の背中を叩く。


「何かありましたの?」

「ローラ様が、無視した!」

「私達も挨拶したかったのに!」

「あらあら」


 どうやら、私が原因の様だ。

 無視とは、あの食堂での一件の事だろう。


「私達、何かしちゃったんですか……?」

「ローラ様は私達の事、嫌いになっちゃったんですか?」

「まさか! そんな訳ありませんっ!」


 何故、私が彼女達を嫌いになると言うのか。

 そんな恥知らずだと思われているのは、随分と心外だ。


「あの時、ご挨拶が返せなかったのは、色々と事情がありまして……」


 困った様な顔を見せて、何とか誤魔化せないかと思うが、アリス様とシャーナ嬢は疑いの目を向けてくる。

 流石に、全面的に信用してくれとは言えないが、これはこれで少し物悲しいものがあるな。

 しかし、そんな事を嘆いていても致し方ない。


「貴方達、ローラ様の仰る事が信じられないと?」


 先程まで、お化けを怖がっていた人物が出した声とは思えないぐらい、低い声を彼女達に向けて放った。

 ここまで、信じてもらうのも色々と問題かもしれないな。ここは素直に、認識を改めた方が良さそうだ。


「信じてないわけじゃないけど、私達を見て、軽蔑したのかなって……」

「でも、私達も不可抗力で……」


 しかし、無視をしてしまったしにしては、随分と大袈裟すぎる反応であるのは確か。

 彼女達の言い分も、何やら気にはかかる。

 気にかかると言えば、あの人垣もだ。

 明らかに、あの人垣はアリス様とその隣にいたシャーナ嬢を中心として出来ていた。

 何度も言いうが、彼女達はあくまでも一般生徒。

 シャーナ嬢は貴族だが、身分はどちらかと言えば平民に近いものがある。

 あんな人が集まる話題が、何か彼女達にあると言うのか。

 人望であれば、勿論あの五千倍以上は集まらなければ話にならないが、そもそも、人望だけで人が集まるのならば、彼女達の周りには入学当初から某有名遊園地のアトラクション並みの並列が出来ていることだろうに。

 そうなると、何かが彼女達の身に起きたと言った方がしっくり来るものた。


「一体、何があったか詳しく同じ聞かせて頂けるかしか?」


 私が話を二人に促せば、彼女達はお互いの顔を見合って、頷いた。


「それが……」


 この後、少し話が長くなってしまうので割愛させて頂くが、要は、こう言うことだ。


「アリス様とシャーナ様が王子の命を救った事が噂に?」


 信じられないことに、昨日のあの騒動が、既に噂になって生徒達に広がっていると言う。

 どう言うことだ? あの騒ぎの中、生徒達は授業中だろうに。

 また、王子の周りには人が簡単には入れない様に警備体制がこれまで以上に引かれたと聞くが、何処でこれが漏れたのだ?


「私達、誰にも何も言ってないのに、今日教室に入ったらいきなり……」

「王子の元に集まった先生達とかには、事件の話をしたんですが、本当にそれだけなんです。それに、本当ならローラ様の功績なのに、私達がなんて……」


 成る程。そう言うことか。

 彼女達は、私の言いつけを守って、後々駆けつけた大人達に私が行った王子救出の手立てを自分が行ったかの様に伝えたいが、それが思わぬ手柄になってしまったわけだ。

 彼女達が望む望まないの問題ではなく、その事は生徒達に広がり、彼女達を英雄の様に持て囃す波が起こった。

 それが、今日の食堂での人垣の正体というわけである。

 また、彼女達にも本来ならローラの功績であるのに、自分達だけの神格化に少々居心地の悪い後ろめたさを感じていたのだろう。

 そんな時に、そんな事情なぞ知らぬ無知な私が無視をした事により、嘘で持て囃されている自分達が私に軽蔑されたのではないのかと悲しんでいたというわけだ。

 矢張り、素直だけが良いというわけではないな。

 そんな事、どうでもいい。

 寧ろ、そんな事に振り回される彼女達の方が気掛かりだ。

 私に功績など、猫に小判に、豚に真珠だ。必要なく、持つ気にもなれない代物に他ならない。

 嫌われ者が功績を持った所でクソほど役に立たないのは知っている。

 

「お話は分かりました。ご安心してください。あれは、私の功績などではない。ここに居る、四人の功績です。誰一人欠けていたら王子は守れなかった事でしょう。ただ、アリス様とシャーナ様はこの四人を代表して頂いているだけなのです。そんな事で胸を痛めないでくださいませ。こんなにも優しくて素敵なお二人が独り占めしたなんて、思いませんわ」


 嫌われ者は面に出れば碌なことがないのは分かっている事だ。

 寧ろ、こちらとしては押し付けた型になってしまって、逆にそれが後ろめたい。 申し訳ないなんて、思ってくれるな。謝らなけばならないのは、私一人なのだから。


「ローラ様……」

「さあ、お二人とも涙を拭いてくださいませ。私のハンカチでよければ、お使いください」


 私はポケットからハンカチを取り出し二人の頬を拭く。

 幼い頃から母にハンカチはかならず持ち歩け。自分が使わなくても、エチケットだと口酸っぱく言われたが、まさかこんな所で役にたつとは思わなかった。

 まさしく、その通りなのだから。


「じゃあ、ローラ様は起こっていらっしゃらないのに、何で食堂で私たちを無視したんですか?」


 私が涙を拭いてあげていると、シャーナ嬢が私に飛びついて問い掛けた。

 有耶無耶に、出来るならばしたい所だ。

 しかし、この二人を泣かせるだけの理由ではない。


「そうですね。今後のためにも、お話ししましょう。兎に角、私は貴女方お二人を嫌ったり、意地悪したわけではないのはお分かりになって頂きたい。これは、貴女達を守る為のものですからね」

「私達を?」

「どうして?」

「私と、アリス様達の仲は世間では悪いと思われているのは、ご存知かしら?」

「誤解よ! 私、ローラ様の事、凄く好きだもの! ローラ様だって、一度も私を邪険に扱ってないし、他の貴族みたに馬鹿にだってしてこないわ! ローラ様が一番、私を人間として見てくれてるもの!」

「わ、私もっ! ローラ様は地位を振りかざして意地悪なんてしないし、身分も凄く下の私にだって、礼儀正しくしてくれるし、ローラ様は私を命がけで守ってくれて、私は、私は……っ」


 感情が高ぶったのか、あの医務室での一件を思い出したのか、シャーナ嬢はまた涙を流しながら私に抱きついた。

 身分とは、一体何なのだろうな。

 こんなにも可愛らしく素敵な二人を、見下して何が楽しいと言うのだ。

 人は人だ。

 その本質だけは誰一人として変わらないと言うのに。

 流れている血一つで、偉いもクソもないだろ。


「お二人とも、わかっていますよ。私も、貴女方お二人は大切な友人だと思っていますわ。命を懸けてでも、守りたい二人だと」


 少し横で羨ましそうに見ているフィンに、私は笑いかける。


「フィンは、命を預けれる大切な人よ」

「ローラ様っ! はいっ!」


 そんな事はわかっている。

 私達だけ、それがわかっていれば十分だ。世間一般の目など、関係ないし、どうでも良い。

 だけど、この件ではそうも言ってられないのが現実だ。


「しかし、世間では私は貴女達を目の敵にして虐げていると認識しています。確かに、これは事実無根の噂ですが、今回はそれに助けられているのも事実」

「そんなひどい噂に?」

「ええ。この噂があるからこそ、私とお二人の関係が気付かれない。恐らく、この王子の件に私が敵味方で関わっていると、遅かれ早かれ勘づくものもいるでしょう。その時、私達の交友関係が周りに暴露れば、アリス様とシャーナ様に疑いが掛かる可能性がある。その場合、私を逃したアリス様とシャーナ様は間違いなく、罪に問われます。そして、お二人の身分を考えると、刑は軽くはないでしょう」

「っ!」


 アリス様とシャーナ嬢の顔が、刑の言葉を出すなり強張る。

 随分と可笑しな話だ。

 刑ですら、身分が関わってくるだなんて。


「だからこそ、私達の今この関係を周りに気づかせてはならないのです。お心苦しいとは思いますが、しばらくの間、人の目がある所での私への接触はお二人ともお避けくださいませ。私は、貴女方二人に何かある方が、怖い。怖く、辛く、悲しい」


 私の喜びは、アリス様の笑顔。

 アリス様が笑顔でいる為には、シャーナ嬢の笑顔が不可欠。

 だからこそ、私はこの二人をどんな事があっても守る。守り通す。

 心でも、体でも。そして、命でも。何を賭けても、張ってもいい。

 二人が笑顔で居てくれるならば。


「ローラ様……」

「出来れば、私と不仲という話に乗って頂きたい所ですが……」

「それは絶対に嫌です! 嘘でも、ローラ様の事を悪く言いたくないっ!」

「ローラ様が無視しても、私は挨拶します。させて下さい。ローラ様が私を庇って、殴られて、それでも、私を庇って守ってくれたの、忘れたくないし、少しでも、ローラ様と繋がってたい……」

「シャーナ……。私もっ! 私も、無視して貰ってもいいから、挨拶だけでもさせて下さいっ。私だって、ずっとローラ様に助けられてたの、知ってるもん……っ」

「シャーナ様、アリス様……」


 私が困った顔をすると、フィンがコホンと小さく咳払いをし、私の肩を叩く。


「挨拶ぐらいさせてやれば良いのではないですか? ローラ様は一度王子や候補生達の前でシャーナ様を庇っておられますし、皆、彼女達だってそれについての恩を返していると思いますよ」

「フィン! 貴女までっ」

「それに、挨拶を無視した方が不仲な雰囲気が上がりますよ」


 フィンに指摘され、思わずため息を吐く。

 どうやら、フィンの中にも彼女達の絆があるらしい。


「……分かったわ。フィンの言う通りね。でも、本当に挨拶は返さないから、こうしましょう。私は二人が挨拶した場合、こうやって掌をぐっと握って拳を作るわ。御機嫌よう。そう言って、お辞儀しながら挨拶していると思って頂戴?」


 アリス様とシャーナ嬢が、私の顔を見る。

 可笑しな提案だろうか?

 なんだか恥ずかしくなって、私は顔を隠しながら言い訳をした。


「だって、私だって挨拶したいじゃない」


 言い訳と言うよりは、本心だ。


「ローラ様っ!」

「ありがとうっ! あ、あのっ! フィンさんも、ありがとうっ!」

「私の事はお気になさらず。ローラ様が困っていたので、口を出した迄ですから」

「フィンさんもぐってしてね!」

「ええ。気が向けば」


 きっと、フィンもする事でしょうに。


「でも、どうしてこんな所で泣いていたのかしら?」

「実は、王子のお見舞いに行ってたんですが、王子を見たらシャーナがローラ様のことを思い出して泣けて来ちゃって」

「だって、あの時のローラ様を思い出しちゃって……。ローラ様が必死に守ってくれたのに私、ローラ様に嫌われることしたんだって思ったら悲しくて……」

「だから、なるべく人が来ないトイレに隠れたの。ここが、一番近いトイレだし」

「王子? ローラ様、もしや用事とは、王子の所へ?」


 フィンの言葉に、私は頷く。


「ええ。昨日の忘れ物を取りにね」





_______


次回は7月16日(火)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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