第一圏――“螭の竪穴”

一:下都-迷子の森霊人、組合へ

 五合目の村より降りてきた商人の大山羊車おおやぎぐるまに便乗し、下山。山麓の乗合所のりあいじょで王都方面に向かう電走車でんそうしゃに乗り換え、途中の宿場町で一泊。朝早くにまた乗り込み、揺られることおよそ三石刻しゃっこく

 玉龍山二合目に位置する白皙院から、潜行士協会の本部が置かれている王都まで、およそ一日半。王都への入国手続きを終えたテンゲンが、跳ね橋を渡って門を通過したときには、初夏の太陽が燦々と青い空を照らしていた。

 初夏とは言え、王都の所在地の気候はどちらかと言えば乾燥しており、西の果てのようなじっとりとした空気はない。からりとした熱気が降り注ぐ中、規則的な模様を描いて敷き詰められた石畳の上では、氷菓ひょうかや冷えた飲料を売る屋台が売り上げを伸ばそうと精を出していた。

 そんな屋台から適当に一本買い、もしゃもしゃと齧りながら、テンゲンは携帯端末に開いた地図を横目に道を行く。

 ……が。


「そこのお兄さん中々イイ男じゃない」

「いいです間に合ってます」


 やたら華美な化粧を施した女に呼び止められては艶めかしく迫られ、


「イイもん持ってんね兄ちゃん。潜行士志望かい? うちの武器見ていかないか?」

「必要になったらでいいです」


 どう見ても大量生産の粗悪品にそれらしい装飾と売り文句を足してぼったくる商人から執拗に声を掛けられ、


「その時計とナイフ寄越しな」

「どっちも僕しか使えないので無理です」


 ちゃちな短剣や釘を打ち付けた角材で武装したごろつき共に、テンゲンではどうしようもない無理難題を突きつけられ――


「国宝級の霊具見せびらかしながら氷菓咥えて散歩とはまた、やたら呑気してるな森霊人エルフの兄ちゃん。組合本部まで載せてってやろうか?」

「えっと、どなた様?」

「これでも潜行士だよ」


 王都の人口、侮るべからず。

 人波に流されるがまま歩いていたテンゲンは、瞬く間に裏路地を彷徨う迷子と化し。偶然出会った四十男の駆る霊走大型四輪オドトラに便乗するまでの二石刻しゃっこく、童顔の青年はひたすら後ろ暗い者どもに絡まれる羽目になった。

 そんな危なっかしい森霊人エルフにお節介を焼いたのは、頑丈な防刃の服と外套で身を固め、腰から分厚い本のようなものを提げた壮年の男。銀球が埋め込まれた霊透玉の板、もとい銀札ぎんふだ潜行士の登録証を首に下げ、入り組んだ裏路地をすいすいと走り抜けてゆく彼は、名を連綴レンテイと言った。

 曰く、レンテイは廃界で活動する潜行士への物資補給を行う行商隊『麻葉あさば』、その一団を纏め上げる長であるらしい。仕入れの為に廃界から帰還し、市で一通りの作業を終えた帰り道にテンゲンを見つけて声を掛け、今に至る。

 拾われた当の本人は、食べ終えた氷菓の棒を口に咥えたまま。ほへぇ、と間抜けな声を上げる様に、レンテイは呆れの色も露わに肩を落とした。


「確かに君、装備は凄いけどさ……もぉーちょっと危機感持とうか?」

「後ろから殴られないように警戒はしてます」

「信用できないから。夜発やほつから無防備に声掛けられてる時点で信用できないからね」


 あのままうろついていれば間違いなく財布を抜かれるか身包みを剥がされるか、悪ければたちの悪い人売りにでも飛ばされたか。そんな未来が簡単に予想できる程度には見目が良い森霊人エルフで、そして圧倒的に警戒心が足りていない。

 今も尚膨大な霊力オド渦巻く時計を手持ち無沙汰に弄る青年、その何処かいたいけな横顔を尻目に、レンテイは不安一杯にトラックを走らせた。



 潜行士組合の屋舎は、テンゲンが入国手続きを行った関所から車で一石刻しゃっこく。都をぐるりと囲む高い城壁に密着するような形で建っている。

 つい最近改装工事でも入ったのか、重厚な石造りの建物はまだ新しい。その外壁の白さを以って、組合本部は、きょろきょろと落ち着かない田舎者を厳粛に出迎えた。

 とは言え、恐ろしげに見えるのは外面ばかり。一旦中へ入ってしまえば、中は気さくな空間である。まずは広々としたロビーが出迎え、潜行士達が依頼の受注や成否報告の為に右手の窓口へ並ぶ姿がよく目に留まった。人が多すぎるせいで、新しく入ってきた者への興味はほとんど向けられない。

 そんな、がやがやと忙しい広間の左手には、簡易な間仕切りが設けられた休憩所兼打ち合わせスペース。テーブルの上に地図を広げて議論を戦わせる者もいれば、自販機で買った飲料片手にのんびりと雑談する者もおり、少し視線を奥へやれば、隅の方で顔を青くしている者までもいる。

 良くも悪くも賑々しい場所だ。気圧されて人に流される前に、テンゲンはそそくさと空いた窓口へ駆け寄った。


「白皙院のテンゲンです。書類の提出と、あと潜行士の登録をしに来たんですけど」

「かしこまりました、書類はお預かり致しますね。新規登録を希望される方は此方の申請書に御記入の上、三番窓口へどうぞ」

「はーい、ありがとうございまーす」


 潜行士の登録は、さして難しい手続きの要るものではない。

 登録申請書に必要事項を記入し、それを規定の窓口に提出し、適性検査を受けて適格と判断されれば、それだけで登録が完了する。

 かくも門戸の広い理由はごく単純で、単に一つの広大な世界を探索するにあたって、豊富な人材を確保せんがためだ。種族も性別も門地にも左右されず、実力と自己責任の上に成り立つ潜行士と言うこの職は現状、差別なき職として多くの人間の受け皿となっている。

 その点で言えば、テンゲンは些か異端だった。


「時計修理資格一級、常界語じょうかいご検定二級……え、ええと……霊力駆動旋盤オドレイス取扱資格一級、霊力駆動掘削盤オドフライス取扱資格一級、危険物取扱資格甲種……資格を沢山お持ちのようで……」

「ちょっ、ちょっちょい、ちょい待ってちょい待ってテンゲン君や。君普通に時計の修理工で食べていけるよな? 何で潜行士なの? 正気か? 腕のいい心医しんい紹介しようか?」

「レンテイさんひどーい」


 彼には既にして食い扶持はある。やろうと思えば、今からでも時計屋に飛び込んで修理工になれるであろうし、武具や霊具の修理工として組合に雇われてもおかしくはない。おまけに、今の彼には丁稚時代に支払われた給金が丸々二十年分ほど貯蓄されている。

 つまるところ、金には困っていない。何であれば今から稼いでもいい。その程度には経済的に余裕のある者が、何のために危険渦巻く廃界へ赴こうと言うのか。窓口で対応した組合職員にも、気になって傍にくっついていたレンテイにも、テンゲンの意図がまるで掴めないようであった。

 ともあれ、書類自体に不備はなく、職員は困惑しつつも適性検査の準備をすべく奥の部屋へ。二人して受付カウンターの前に残されたレンテイとテンゲンは、途端にこそこそと言い合いを始める。


「いや命大事にしろって、俺の隊商だって毎年誰かが死んでるんだぞ。金にも困ってないのに命張るのはほんと止めとけって」

「そんなこと言われても……僕目的があって廃界に行きたいんですけど」

「君みたいなのが命賭けるほどの目的って何さ」

「兄が第九圏で失踪したので探しに」

「ぶごォ……っ!? ごふぇっ、げほっ、ごほっ!」


 組合内の自販機で買ったらしい、缶入りの香茶を盛大にぶっ放すレンテイ。咄嗟に時計の竜頭を押し込み、レンテイに遅延ディレイの術を掛けて席を立ち後退れば、ぎょっとしたような視線がそこら中から突き刺さる。数瞬遅れて、術の解けたレンテイからも信じられぬと言わんばかりの顔が向けられた。

 『鳴響』の再来だ、いや『鵆』の再来だと誰かが囁き、またしても周囲がざわり。訳を知らぬはテンゲンばかり、きょとんとして首を傾げる青年に、頭を抱えながら商人が告げた。


「だ、第九圏て。えっお前『鵆』の弟? マジ?」

「えっ? え、はい。名義上は弟ってことになってます。でも、僕も良く知らないんです。僕に兄が居て、しかも凄腕の潜行士だったなんて、死亡通知が来て初めて知りました。だから探しに来たんです。……知らない所で死ぬような人じゃないと思って」

「あー……嗚呼」


 成程、と独り言ちるレンテイの表情は、大きな憐れさと、それ以上に大きな微笑ましさを交えた奇妙なもの。一体『あに』の何を知っているのだろうか、そう尋ねようと口を開きかけたテンゲンに、レンテイの碧眼が少しばかり早く突き刺さった。

 ぎょっとして動きを止めたところを、がっしりと掴まれる。事情を聞かせてもらわねば逃がさぬと言った構えだ。何をされるのかとどぎまぎしながら言葉を待てば、じきに商人のどろどろと這うような声が耳元へ這いあがってきた。


「君、『鳴響』の養子おこさん?」

「いや、その、『鳴響』って誰ですか?」

「組合が出来たばっかの頃くらいに居た潜行士だ、ヤボシってんだが」

「ヤボシ? 人違いじゃなければ僕の養父で師匠です。背が高くてムキムキで、耳とか腕とかに飾りじゃらじゃらの森霊人エルフですか」

「そぉーっそいつぅーっ!」


 劇的な声を上げて仰け反るレンテイに対して、テンゲンが返すは苦笑ばかり。

 翁が珍しい術を操るのは確かであるし、いくら森霊人エルフが長寿とは言え、九百年もの長きに渡って生きているのは輪を掛けて珍しく、もっと言えば筋骨隆々装飾華美の森霊人エルフなど彼しかいない。そんな存在が潜行士として活動していれば、それはさぞかし目立ったことだろう。おまけに、潜行士として活動中にも“バケモノ”から生還すると言う偉業を成し遂げている。第一圏を主に出入りしていたとは言え、それだけ物珍しい要素が重なれば、人目を集めるのも無理はない。


「そんなに凄い人だったんですか?」

「凄……いやまあ、ビックリするほど強いって訳じゃなかったらしいけどな。でも時計師としての『鳴響』は超有名人だぞ。新作の複雑時計が三億てんとかいう話も」

「じゃーん」

「んがああああっ! がああああっ!」


 余程悔しかったのか、“北辰”を見せつけた途端手負いの獣めいた叫び声を上げて、商人は更に仰け反る。そうして水揚げされた魚よろしくのたうつ様をテンゲンが見守る内、先程応対してくれた職員から声が掛かった。

 喚く商人をその場に残し、テンゲンは職員の背について窓口の向こうへ。応接室や給湯室の扉を通り過ぎ、案内された先の部屋で待っていたのは、三人の男だった。

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