第7話「ぼくはもっとパイオニア」

「……との事です」

 放課後、俺は彼に用件を伝え終え、役目を終えた。

 さて、早く帰るか。

 早く帰らないと、夕飯を家族に全て没収されてしまうだろう。

 帰ろうかなと踵を返した瞬間、俺の腕が突然掴まれた。

「ちょっと待ってくれないか、山口君!」

 俺の腕を掴んだのは、勿論うちの学校のロリコン会長だった。

 予想通りとはいえ、こんな行動を取られてしまうと迷惑で仕方がない。

 ほら、性にグローバル疑惑のある会長が大声を出して俺の腕を掴んだもんだから、俺達の周囲の生徒達が何事かと好奇の視線を向けてきている。ただでさえ最近目立ち過ぎなんだから、これ以上目立つ事はしたくないのだが……。俺は嘆息しながら会長の手を振り払い、まだ何か用件があるのか、と俯きながら小さく呟いてみせた。

「あるに決まってるじゃないか!」

 会長は今にも泣きそうな表情で絶叫する。

 まあ、確かに、告白しようとした相手の兄貴に出てこられるなどやり切れないだろう。その点に付いては俺も同情している。まあ、同情しているだけで、残念ながらそれ以上の事はしてあげられそうにないけど。

「それで何の用なんですか? 早急に済ませてください。俺も忙しいんですけど」

 俺は吐き棄てる。

 会長には悪いが、俺だって早く帰りたい。

 会長は再び俺の腕を掴み、更に悲痛な表情になって絞り出すように言った。

「真美さんに取り次いでくれ。俺が話をしたいのは断じて君じゃなくて、君の妹の真美さんなんだよ! 真美さんに俺の想いの丈をぶつけたいんだよ!」

「だから、さっき言いましけれど、真美は会長と付き合う気はないんですよ」

「それでも直接話がしたいんだ! 俺は彼女を愛しているんだ……!」

 真面目な顔をして恥ずかしい事を言う人だ。

 頭のいい人はこれだから困る。何処か一般人とは感性がずれていて、しかもその事に自分で気付いていない。知性の高さを手に入れるためには、やはり人格を犠牲にしなければならないのだろうか。だったら、やだなぁ……。

「そんな事言われても、会長……」

 そこで俺は一呼吸分区切った。

 真美が会長に何故ここまで好かれているのか、深く考えてみる為である。うちの学園のアイドルの会長がここまで心酔しているのだ。もしかしたら俺が気付いていないだけで、真美は本当に凄い女なのかもしれない。

 俺は腕を組んで深く黙考した。

 しかし、深く考えるまでもなく、すぐに答えは出ていた。答えは出ていたのだが、会長の為にももう少しだけ深く考えてみた。だけれど、やはり俺の中の答えはたった一つであり、その答えの不動は揺るがなかった。

 勿論、答えは、否だ。

「それにしても、会長」

 せっかくなので俺はずっと疑問に思っていた事を会長に訊ねてみる。

「何だい?」

「どうして真美なんですか?」

「どうしてって……」

「他にも色々な女がいるでしょう? 何も真美じゃなくてもいいでしょう。会長は下級生とかからも大人気なんですし、その気になれば誰とだって付き合えるはずだと思うんですけど」

 それこそが俺の聞きたかった事だ。

 何故、真美なのか。

 何故、真美でなければならないのか。

 その事をこそ、俺は会長に訊ねてみたかったのだ。

 だからこそ、厭々ながら姉貴の依頼も受けたのである。

 すると、ちょっと来い、という感じで、会長が俺の手を引いて歩き出した。

 何処の不良の呼び出しだろう……。

 まあ、校門前では流石に話し難い事なのだろう。

 そうして会長に連れて行かれた場所は、うちの学校の体育館裏だ。ちなみにうちの高校と真美の中学校はほぼ目と鼻の距離にある。学校の違う真美が会長の目に触れたのも恐らくはそれ故であろう。

 俺と二人きりになってから、会長は周囲を見渡して誰もいない事を認めると、

「馬鹿者ぉっ!」

 拳を強く握り締めながら、俺に向かって絶叫した。

 俺は事態を理解出来ず、恐慌に似た感情に襲われながら取り敢えず沈黙した。

「俺がいつそんな下級生達に好かれたいって言ったよ!」

 口調がまるっきり変わっていた。性格もかなり変わっていた。これが会長の真の姿なのだろう。普段の超人めいた会長の姿とは異なり、本性は意外と普通の人だったというわけだ。……俺がそう思っている間にも、会長の独白は続く。

「俺だって中学生の頃はモテたいとか思っていた……。それで努力したのさ。外見とか性格とか、それこそ女子に受けるように頑張ったわけだ。努力が実って晴れて女子からも大人気で、一週間に一度は告白されるくらいのモテ男にはなれたんだ……」

「万々歳じゃないですか」

「ああ、確かに嬉しかったよ……。それまで全然モテなかったしさ。これで俺の青春が来るんだ! と、それこそ踊り出したくなるほどだったよ。だけど、その幸福が長く続くわけもなかったんだ……」

「一体……、何が……?」

「俺、あの頃調子に乗っていてさ。クラスメイトは子供っぽく見えて付き合う気になれなかったから、年上の女と付き合ってみようかと思ったんだ。その時、年上の女から声掛けられたんだよ。いい女だったから、あの女とはすぐに深い関係になったんだよ」

「だが、それは不幸の幕開けだった……と?」

「そうだ。実はあの女、俺に夢中な振りをしたさくらんぼ狩りだったんだ!」

「うわぁ……」

 俺は思わず呻き声を漏らした。

 さくらんぼ狩り……。

 つまり童貞の男を弄んでしまう悪趣味な女の事だ。古い言葉だが。

 男にも処女狩りという人種がいるが、それの女性版だと思って貰えれば相違ない。

 男は処女みたく膜もないし、初体験は特に痛い経験でもないから、あまりさくらんぼ狩りの被害は重要視されていないが、その実は相当に厳しい過酷な試練なのだと聞いた事がある。特に男は女よりも恋愛に夢を持っている者が多いためか、酷い初体験から女性恐怖症になることが多々あるのだという。

 会長の涙の過去の独白は更に続く。

「俺、本気であの女に夢中になってさ。色々尽くしたりもしたんだよ。お姫様扱いって言うのかな、それくらい俺はあいつに夢中だったんだ。だけどあいつは俺の童貞を狩るとすぐにポイ。それどころか『あんた下手過ぎ』とか言い残してさぁ……」

「悲劇ですね……」

「それから俺は女が信用できなくなった。女性恐怖症さ。近付いてくる女全てがあの女みたいな女だと思ってしまうと……。肩が震えて、吐き気までするくらいに怖くて……、俺は……、俺は……!」

 若すぎた故の悲劇。

 女性に人気が出る風貌をしているが故の惨劇。

 会長はその惨劇を経験してきた人なのだと、俺には初めて分かった。

 強く見えた彼の、弱い本当の姿……。

「だからロリコンに……?」

「そうかもしれない。俺はもう年頃の女は信用出来ない……。だからこそ……」

「分かる気もします……」

 分からなくはない。

 俺も恋愛に対していい思い出を持っているわけじゃない。

 会長の気持ちは痛いほどに分かった。

 もしかしたら俺も会長の様になっていたかもしれないくらいだ。

「分かってくれるか、山口君!」

「はい、会長!」

 こうして俺達二人の心は一つになった。

 俺達はこれから同志として生きていく事ができるだろう。

 会長は満足そうな笑みを浮かべて、俺の肩を叩いた。

「だからこそ……、だからこそ! 俺は真美さんに惹かれたんだ! 下校途中、無邪気な顔をして俺の前に現れた真美さん! 彼女とならば……! 彼女とならば、二人共に生きていけるかもしれないんだ……!」

「そうですか……!」

「だから、俺と真美さんの交際を認めてくれ! 山口君!」

 そう言ってから会長は、俺の前に手を差し出した。

 同志としての契りの意だろう。

 俺は優しく微笑み、黄昏に照らされながら力強く会長の手を握り締めて言った。

「だが断る」

「断るのか! 今までの話は何だったんだ!」

「会長には同情しますし仲間意識もあります。けれど、それとこれとは話が別なのでした」

「ヒドイ!」

 会長はその場に膝を着いたが、俺はそれを無視して踵を返した。

 さくらんぼ狩りにあったからと言って、ロリコンになっていいというわけではない。

 ロリコンは悪い事ではないが、ロリコンの被害を受けるのはいつも彼らと関係のない幼い少女達なのである。少女達の幸福を護るためにも、俺は会長と真美の交際を認めるわけにはいかないのだ。まるで俺が過去に犯した過ちを繰り返させないためにも……。

 逃避は結局、自分を追い詰めるだけだから……。

 だけど、会長は素敵な人だし、俺と違ってまだやり直せると思う。だから……。

 俺はそう考えながら、夕陽に向かってゆっくりと歩き出していくのであった。

 夕陽だけが会長と俺を照らし続けていた……。

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