第4話「Can you feel my soul」
実は俺の学園は由緒ある伝統的な学園なのである。
明治から続く俺の学園は当初女子校であり、共学校と化した今に至っても女子の数が多く、その多数の女子の数に圧倒される事が多々ある。
また女子生徒たちも清楚そのものであり、柔らかな色調の制服に身を包んだ女子生徒たちは、優雅な雰囲気を醸し出しながら学園内を歩く。伝統的な女学園の後を継いでいるだけはあるという事だろう。
俺の学園には少々特殊な制度がある。
それが男子生徒は男子の先輩、女子生徒は女子の先輩から、個人的な指導を受けるという制度だ。何故だか分からないが、ある一人の上級生がある一人の下級生を家族として指定し、手取り足取り学園内の儀礼を教えていくのだ。ちなみに俺にもその制度によって結ばれた上級生の兄、『お兄様』が存在している。
……ごめん。
俺嘘吐いた。
何が嘘かと言うとほぼ全てが嘘だ。嘘です。ごめんなさい。
本当の俺の学校は名前に学園という文字が付いてもいないただの県立高校だ。しかも女子生徒は断じて清楚ではないし、優雅でもない。彼女らが話すことといえば、大体が男の話と遊びの話。勿論、彼女らには恥じらいも何もなく、体育の時間では男子の前で平気で下着姿になって着替え、それどころか夕方の教室を密会の場所に使っていたりもする。ただしそれは男たちでもそうは替わらない。よく言えば俺の学校はそんな大らかな校風で、よく分からない制度など一つも存在しない、極普通の高校なのだ。
ならば、先刻の学園説明は何だったのか。実は俺の同級生の理想の学園像なのだ。
「こんな学園に通いたい!」
と、馬鹿なアイツは馬鹿げた事を馬鹿馬鹿しくほざいているのである。それでその馬鹿な同級生がどんな奴なのかと言うと、実は現在俺の目の前に立っていて、普段通り下らない戯言をほざいていたりする。困ったものだ。
「やっぱり俺の理想としては、そんな学園で彼女と出会うってのが理想なわけよ」
「そうなのか……」
「それで。その女の子は童顔で背も小さくて、ちょっと臆病なんだけど、本当は芯が強くて頑張っている子なわけよ。しかも、小さな頃から純粋培養されてきたから、男と話すだけで赤面しちゃうわけ。萌えるだろ、この設定!」
「別に燃えないけれども」
「字が違う! くさかんむりに明るいとかいて萌え! それこそが男のロマン!」
「漢の浪漫という言葉には少し惹かれるが………、浪漫なのか、それが?」
「分かってないねぇ、てっちゃん。女子への恋心を失くしたら、人間終わりだぜ?」
「おまえのはただの妄想ではないのか」
「分かっている! それくらい分かっているのさ! だがな! もしかしたら……! もしかしたら! そんな清楚な子がこの世に存在していて、いつか巡り合えるかもしれないだろ? 俺はずっとその時を待っているのさ!」
「夢を壊して悪いが清楚な女はトキと同じく絶滅しているそうだぞ。清楚な男もだけど。いや、頭の悪い雑誌に書いてあった事だから、真偽の程は知らないけどさ」
「夢がない! 夢がないぞ、てっちゃん! まったく近頃の若いのは……」
「……俺が悪いのか」
「その通り!」
「すみません。帰ってもいいですか?」
「ならん!」
何時までも話していても切りがないので説明しよう。
このよく分からない妄想をのたまう生命体こそが、俺のクラスメイトの川田正志だ。川田は何故だか分からないが俺に懐き、何故だか分からないが自分の妄想を嬉々として俺に語るのである。……同類だと思われているのだろうか。
俺が頭を抱えて悩んでいると、川田は不敵な笑みを浮かべて続ける。
「しかも、てっちゃん。義理の姉妹が存在するという恵まれた環境に在りながら、どうして姉妹萌えという存在を理解しないのさ!」
「何度も言うけど恵まれた環境じゃないよ。彼女らの相手するのって大変だぞ?」
「馬鹿者! 姉か妹こそ男にとって究極の女性で理想の恋愛対象だぞ!」
「……何でだよ」
俺は少し口篭もりながら言った。妹の場合はともかく、姉の場合は少しだけ分かってしまったからだ。いや、当然ながら姉貴の事ではない。もっと違う……、他の人を思い出してしまったからだ。勿論、それは言えなかったが、川田は俺の様子を特に気にしてはいないようだった。
「しかも、てっちゃんの場合、全員義理じゃないかよ! 特に義妹が最高過ぎだ!」
「何で義妹ならいいんだよ」
「実妹に手を出したら駄目だろう!」
「義妹に手を出しても駄目だろう……」
「馬鹿者! 義理の兄妹なら結婚出来るんだぞ?」
「え? そうなの? 知らなかったけど……」
「そうなんだよ! だから手を出しても問題ナッシング!」
「出さないよ」
「分かってない! 分かってないな! それこそ若さゆえの過ちってやつだ!」
「さっぱり理解出来ないよ……」
呟きながら、どうしてこいつはそこまで妹にこだわるんだろうと俺は思っていた。しかも、こいつの好みのタイプは童顔だ。そんなにも同世代の相手に興味がないのだろうか。年下でないと愛せない特殊な性嗜好でもあるのだろうか。
まあ、反面それも仕方がないかなとも思う。こいつはあまり異性に人気のある方ではない。バレンタインなども誰にもチョコを貰えなかったらしい。勿論、俺も家族からくらいしかチョコを貰った事がないのだが。くれないんだよなあ風音。幼馴染みなのに。
多分こいつは過去に誰かにこっ酷く振られた経験でもあるのだろう。もしくは自分に自信がなくて、未だに誰にも告白したことがないのだろう。そのどちらでもなければ、とにかく同世代の女にいい思い出がないのだろう。だからこそ、奴は架空の女にこだわっているし、義妹にもはまっているのだろう、きっと。
いいだろう。俺は別に気にしない。
にしても、だ。
川田だけならばともかく、最近教室内での視線が痛く感じるのは、俺の気のせいだろうか。どうも俺に義理の姉妹がいることに対して、嫉妬している輩が多い気がするのだが。川田の同類は意外に多いという事なのだろうか。
……気のせいだといいな。
俺が少し不安そうな表情をしていたせいだろうか。
「どうした、てっちゃん?」
川田が怪訝そうに尋ねてきたので、俺は微笑んでからかってやった。
「女子達の熱い視線を感じていた」
すると、川田は苦笑しながら突っ込んでくれた。
「いいんじゃないか? 男の熱い視線でもその想いには応えられないっしょ?」
「今のところその気はないよ」
それから川田が笑い、俺も笑った。二人して馬鹿馬鹿しく笑ってやった。
教室の同級生は何事かと俺達を見つめているようだった。
「何か面白い事でもあったんですか、兄さん?」
唐突にさとみが俺の肩を叩いた。
眼鏡が半分ずり落ちているのは、走って俺達に近付いたせいだろうか。さとみは先刻まで教室の女子達と話していたはずだが、いつの間にか俺達の場所へとやって来ていた。俺たちの笑い声を怪訝に思ったに違いない。
そう。実はさとみは俺と同じクラスなのだ。運命的というより何か嫌がらせの如き作為的なものを感じるが、それは気にしない事にしている。誰かが細工したのだろうか、いや、県立高校にそんな権力を持った知り合いは居ないはず、多分……。
俺は笑顔のままでさとみに言ってやった。
「女子達の熱い視線を感じたと言ったら、川田が笑ったんだよ。失敬な奴だ」
「そう言いながら、おまえも笑ってるじゃんか、てっちゃん」
「ま、冗談だし。そういう事だよ、さとみ」
「え……っ?」
俺の言葉に何故かさとみが驚いた表情を浮かべた。
それには俺の方が驚いた。
俺はおずおずとさとみに理由を訊ねる。何か厭な予感がする。
「ど……、どうした、さとみ?」
「よく分かりましたね、兄さん。さっきから私達、兄さんの事を見てたんですよ」
「何だって……!」
「兄さんの事、皆でお話していましたから」
先刻よりもひどく厭な予感がした。
否、むしろ確信と言ってもいいかもしれない。
「それで……、さとみ達は一体何を話していたんだ?」
「実はですね……」
さとみがゆっくり言う。その間に俺にはある程度、予想ができていた。
うちの学校の女子は妙に擦れている。俺がどうも固い性格だという事をネタにして下品に大笑いする冷酷非道な女ばかりだった。妙に誘惑して来る事もあるし、どうやら安全牌だと思われているらしい。そう思われているからこそ、妙に彼女らも俺をからかったりするのだろう。
だが、それはさとみが俺の事を話しているせいではない。むしろ俺が馬鹿にされる理由は風音のせいなのである。神は時として残酷な事をする。実は風音も俺は同じ組であり、風音は俺の幼馴染であるのをいい事に、俺の過去を話して馬鹿にしているのである。
許し難きは木村風音なのである。
やはりあいつは幼馴染みであり、敵なのである。
俺が風音への恨み辛みを再確認している間にも、さとみの話は続いているらしかった。
慌てて、俺はさとみの話に耳を戻した。
「クラスの皆がですね。『義理の兄って結構憧れるけど、相手が山口君じゃつまらないでしょ?』って、私に言いながら兄さんの事を見ていたんですよ」
まあ、それはありそうなことだ。
ただでさえ奴ら曰く、
「山口ってさあ、性格が固いのよねえ、つまらん」
「女に興味ないって素振り、今時ダサいわよ。ボーイズラブを気取るならもっと美形じゃないと」
「山口君って、昔、風音に酷く振られたでしょ? 駄目よ。身の程は知らなきゃ」
だそうだ。
まったく、失礼な事この上ない。
……それらの主張を完全に否定できないのが悔しい。
「それでですね、兄さん」
「ああ、それで?」
「そんな事はないですよって、私は言ったんです」
さとみにしては意外に殊勝な心掛けだが、どうも裏がありそうだ。
「それはどうも」
と言いながら、俺はまだ警戒を解いてはいなかった。
そして、思った通り、さとみはその後にとんでもない発言をした。
「それに私、反論する為に一つ言ったんです」
「ちょっと待て、厭な予感がする。おまえ、他に何言った……?」
「『いつもの兄さんは確かに地味だけど、夜は凄いんです!』って……」
「……………………………」
沈黙して周囲を見回すと、ひどく痛々しい視線が俺に浴びせ掛けられていた。
その視線は、
「シスコン」
「変態」
「義妹萌え」
とか言っていた。絶対に言っていた。間違いなく言っていた。
「ご……、誤解だ!」
俺がいくら叫んでも誰も聞かない。
当然、川田も俺の顔を憎らしげに見つめていた。
さとみだけ照れて頬を染めていた。上目遣いで眼鏡の奥から俺を見つめている。
……やはり策を弄する演技女なのか。
「違う! 弁解させろ! 弁解させてくれ! 弁護士を呼ばせろ!」
だが、言えば言うほど、嘘っぽくなる気がした。
しかも、奴らは俺の言う事より、絶対さとみの言う事を信じるだろう。
奴らはそういう奴らだった。
それから、俺はクラス内でずっと痛々しい視線を受け続けた。
机を涙で濡らして(泣いてないけど)、俺は昼休みまでの長い時間、不貞寝した。
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