七章 大峡谷グラウンドキャニアン
百二十話 ヒスイの異変
「おとうさん、ヒスイちゃんが大変なのっ!」
最初に気付いたのは、夏梛だった。
ルルガ鍛冶工房の扉を勢いよく開けて入ってきた夏梛は、その時たまたま扉の前に居て、吹き飛んでいったミュシュには全く気がつかなかった。
篤紫はちょうど、日本から持ち帰った車をルルガの工房に持ち込んで、色々検証して新しい魔導機のアイデアを出し合っていた時だ。
今日の朝、ヒスイには城から魔神晶石車でコマイナ自治領まで送って貰った。その後ヒスイは、いつも通りゴーレム五体を出して、西のシロサキ自治領に向かって散歩に向かっていったはずだ。
別れ際もいつも通りで、特に変わった様子はなかったはずなんだけど……。
「それなら、連れてきてくれれば良かったのに」
「それ無理なの、抱き上げようとしたって、重くて持ち上げられないんだもんっ。
何でか転移魔法もヒスイちゃんには効かなかったし、どうしようもないの。おとうさん、何とかしてよ」
「いやそんなはずは……マジで?」
「マジだよもう、冗談言ってる場合じゃないんだよ。一緒に居たゴーレムも、全く動かなくなっているし」
「なん、グフッ――」
夏梛の言葉に目を見開いてびっくりしていると、横から腹を殴られた。
「何やってんだよ、篤紫。さっさと行ってこいよ。こんな車の研究なんかより、ヒスイの方が大事だろうがよ。篤紫の大事な娘なんだろう?」
メタゴブリンのルルガが眉間に眉を寄せて、親指で入り口の方を指さしていた。その後ろでは、プチデーモンのマリエルが心配そうに立っていて、篤紫と目が合うとしっかりと頷いてくれた。
まあ……確かに、車の魔改造はいつでもできる。
今は早急に、ヒスイの元に駆け付けないと駄目か。と、そこで肝心なことに気が付いた。
「だめだ、俺じゃ魔神晶石車を動かせない」
そう。ヒスイが居て、初めて魔神晶石車が動く。
ヒスイがいない今、ルルガ鍛冶工房の駐車場に駐めてある魔神晶石車は、ただのタイヤが付いた置物になっていた。
動く車も、城に帰れば何台かあるけれど、今は持ってきていなかった。
こんなことなら、何台かホルスターのポケットに収納しておくんだった。
「なんだよ、ここにあるポンコツ車はみんな動かないしな。篤紫が日本から持ってきた車だって、みんなガス欠だしよ」
ルルガが眉間にしわを寄せる。
何故か日本から持ち込んだ車は、篤紫がホルスターのポケットから取り出した途端に、ガソリンが全て無くなった。一滴すらも残っていなかったので、エンジンをかけようとしても、全く動く気配が無かったのが半月前の話だ。
今実際に走っている車は、発掘した古式の魔道機の車か、パース王国のルーファウス陣営が開発に成功した魔術式魔道機のどちらかだけだ。
「それなら大丈夫だよ、あたしが自分のに乗ってきてる。そもそも、おとうさんに貰った車でドライブしていて、ヒスイちゃんが倒れているのに気が付いたんだから」
「でかした。夏梛、さっそく案内してくれ」
「いいんだけど、おとうさんオルフの居場所知らない? 先にオルフ探したんだけど、どこにも居ないのよ。電話も繋がらないの」
ルルガ鍛冶工房から出て駐車場に向かいながら、夏梛がさらに問題を投下してくる。
オルフェナとも今朝、食堂で顔を合わせた以来、顔を見ていない。ここのところ、日本から移住してきた三人娘のサポートを、桃華と一緒にしてくれていたはずだ。
「そっちもか。そもそも、オルフに何の用だったんだ?」
「ヒスイちゃん乗せるのに、オルフなら何とかなるってかなって思って。オルフは車体をある程度自由に変形できたはずだから」
「桃華には?」
「おかあさんには電話繋がったんだけど、オルフ近くに居ないみたい。
今は魔法の練習をしていて、オルフとはしばらく前まで一緒にいたんだけど、言われてみれば居ない、みたいなこと言ってた」
「何だよ俺、旅に出てないぞ」
ルルガ鍛冶工房の駐車場には、真っ黒なピックアップトラックが駐車されていた。最初この車を発掘した時には、リアのホーシングと荷台の右側のパネルが損傷していた。
それをルルガと一緒に直して、夏梛にプレゼントした。いや、実際には夏梛に見つかって奪われた方なのだけど……。
「運転は?」
「あたしがやるよ、けっこう遠いし。それにあたしの運転の練習にもなるし」
ちなみに文武両道だと思われていた夏梛だけれど、唯一、車の運転だけは絶望的なセンスを持っていた。
しばらくは篤が隣に乗って練習したのだけれど、あまりの下手さに、慌てて魔術を使って車に不壊処理を、対物にも瞬間的に不壊と衝撃吸収の魔術が発動するようにした。
「いくよっ」
「うっ……ぐう――」
急速な加速とともに、ルルガ鍛冶工房を飛び出した車は、一気に車道に飛び出した。
「対向しゃあああぁぁぁ」
当然、道には他の車が走っている。迫る車、叫ぶ篤紫。
「だいじょぶ、もんだいないよ……っと」
車ごと、迫ってきた車の後ろに短距離転移して、そのままフルアクセルで直線を駆け抜ける。
前を走っている車は急ハンドルで華麗に追い越し、迫り来る対向車は全て転移で躱す。歩行者は車ごと飛び上がって、驚いて目を見開いたまま立ちすくむ人々の上を飛び越えて、全速で走り続けた。
「ぎゃあああ、壁っ、壁が迫ってくるううぅぅ――」
「おとうさん、ちょっとうるさい」
コーナーは重力を制御しながら、そのままの勢いでドリフトしながらすり抜けていく。
その動きはまさにジェットコースター。いや、まだレールに乗っているだけジェットコースターの方が遙かにマシな状況だった。
「あっ、金貨が落ちてる」
「ひええぇぇぇ、車が斜めになってるええぇ――」
「だから、おとうさん。うるさいってば」
道路を横向きに滑っていた車体が、そのまま横転していく様子が、スローモーションのように流れていく。夏梛は窓を開けて、路面に落ちていた金貨を拾ってダッシュボードの貯金箱に入れると、再び窓の外に手を伸ばす。
「そっ、空をおおぉぉ――」
「おとうさん。あたしただ、道を走っているだけなんだよ? さあ、飛ぶよっ」
ゴッ、と言う音とともに突風が車体を上空に跳ね上げる。そのままついでと言わんばかりに、家を越えて、コマイナ自治領の壁をも飛び越えて、外の街道まで飛び出た。
「グフッ――」
そして、着地の瞬間に篤紫はあまりのショックに意識を飛ばした……。
気が付くと車は停止していて、開け放たれた助手席の外に夏梛がいた。助手席で気絶していた篤紫を、一生懸命揺らしていたようだ。
「あ、おとうさん。起きたね」
「いや、起きたね。じゃねぇし! なんだよ、あの運転は」
おもわず、篤紫は実の娘に突っ込みを入れてていた。
突っ込まれた夏梛はと言うと……。
「えっ、あたし普通に運転してきただけだよ。事故起こしていないし、これでもだいぶマニュアル車の運転に慣れたんだよ」
「待て待て、あんな運転教えてないぞ。確かにギアチェンジと加速は驚くほど滑らかだったけど、暴走しすぎだろう」
「なんで? おかあさんにも乗って貰って、上手になったって褒めて貰ったのに」
「マジか……マジか……うわ……」
そう言えば、桃華の運転技術も大概だったな。
日本で暴走した日は酷かった。近くのスーパーまで桃華と出かける時に、運転して行くと言う桃華を、運転席に座らせたのが間違いだった。
軽四のオートマ車で、一気にトップスピードまで加速して目的地のスーパーを通り過ぎた。
赤信号はその場でドリフトターンをして反対車線に出て、細い路地に入って暴走。そのまま一度として事故を起こすこともなく、二時間かけて近くのスーパーに辿り着けた。
普通に行って、五分の距離なのに。
途中でパトカーに普通に追いかけられながら、それなのにぶっちぎりで振り切った。買い物を終えて車に戻ると、警察官が車の側で待っていたんだっけ。
もちろん桃華は免許取り消し、俺がかなりの額の罰金払った……今はもう昔のいい思い出……。
篤紫が現実逃避していると、夏梛が服の裾を引っ張ってきた。
「それより、ヒスイちゃん。ほら、早く早く」
「お、おう」
忘れていた、ヒスイが大変だったんだ。
慌てて車を下りて夏梛に付いていくと、道端にヒスイがうつ伏せで倒れていた。周りには、ゴーレム五体が直立不動のまま、一直線に並んでいる。
どうやら散歩の途中でヒスイが倒れて、ゴーレムに繋いでいたリンクが切れたようだ。
「夏梛が見つけてから変わった様子は?」
「うん、まったく位置も状態も変わっていないよ」
抱き上げようとして、一切持ち上がらないことにまず驚いた。念のため虹色魔道ペンで変身してから持ち上げようとしたけれど、持ち上がる気配すらなかった。
脈は……そもそも無いか。
息もしていないから、どんな状態なのか全く分からない。
着ている服は、最近お気に入りの探検服一式。とくに服装に乱れはない。
完全に詰み、何も分からない状態だった。
「駄目だよ、やっぱりオルフに電話繋がらない」
オルフェナは……確かに電話が繋がらない。出ないじゃなくて、繋がらないだ。オルフェナは電話機能を体内に搭載している、だから本来ならあり得ない状況だ。
桃華に電話するも、誰もオルフェナの姿を見ていないらしい。さらに、あれからみんなで手分けして、お城の中を探していたらしい。
「こうなると、後は頼みの綱はナナナシアか……」
「ああっ、たしかにナナちゃんなら知っているのかな」
「……ナナちゃんって、何だよ」
正直、ナナナシアに電話したくはなかった。
ただ今回は非常事態。篤紫は腰元のスマートフォンをたぐり寄せると、ナナナシアに発信した。
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