6・奪われた聴覚
「わーい。ともにーちゃんだあああ」
子どもの無邪気な声で
没落したビル前には、佇んだまま空を見上げる
なにを見ているのだろううかと弦音が視線の先を追っていくも、そこには抜けるような青空がビルの間から覗かせているだけだった。もうずいぶんと西の傾いた太陽の光がビルのガラスに反射されて地面を照らし始めている。その光が朝矢を照らし、足元に影を作っている。
しばらくの静寂が流れたかと思うと、突然モニターから音楽が流れてきた。
朝矢はモニターのほうを見上げた。いまはペットボトルのコマーシャルが流れている。その中でオレンジ色の髪をした女性がペットボトルを頬に当てながら歩いてきる映像がながれる。艶やかな髪が風に乗って流れていく。
そのコマーシャルが終わると今度はライブ映像らしきものへと変わった。
そこに写し出されているのも、先ほどコマーシャルに出演していた女性と同じ人物だった。コマーシャルではヒマワリのワンピースをなびかせなかまら歩いていたが、次の画面ではフリフリのスカートをまとっている。手にはマイクがあるということは、これから歌おうとしているところらしい。
「そろそろ、はじまるかなあ」
優男は乾物をむしゃむしや食べながら、のんびりした口調で言った。
なにが始まるというのか。
単純にモニターの向こうの女性が歌うのだということはわかるが、この不思議な状況のなかでのんびりという優男にただ首をかしげる。
そして、隣にいた刑事が他の刑事たちに向かって耳を塞げとかなんとかいっているようだ。
「これって、なにがあったの?」
「えっと……」
その視線に弦音は戸惑った。
どう説明すればいいのかわからない。
なにが起こって、これから何かが起こるのかを知るには、あまりにも情報が足りないのだ。
「説明する必要ないよ」
子供が言う。
「この子は?」
樹里が聞いた。
「しらない。さっき、会ったばかりだ」
そうだ。だれだろう。
まだ小学生ぐらいの子ども。
けれど、いろいろ事情を知っていそうだということはわかる。
子供は満面の笑みを浮かべた。
「教えてあげるよ。だから、お兄ちゃん耳をかして」
「はい?」
「いいから。ほらほら」
そういいながら、子供は強引に弦音の耳を引っ張った。
「うわうわ」
子供はそのまま弦音の耳に栓をねじこんだ。
「え?」
一瞬なにをされたのかわからずにキョトンとするが、耳に詰め物をされた弦音は慌ててそれを取ろうとするが、子供のその両腕をにぎりしめた。
「なんだよ。突然」
子どもがなにかいっている。口の形からダメだといっているのはわかるがそれ以外の言葉はわからなかった。ただその笑顔がいたずらでも企んでいるように見えてならない。
弦音に不安がよぎる。
弦音は子どもの両手を振り払おうとするがまったく離れる気配はない。
なんだろう。
この子供は自分よりもずいぶん年下のはずなのに腕力が強い。
まったく振りほどけない。
なにかが起こる。
自分になにが振りかかろうとしているのはまったくわからない。
特に耳栓をされてなにも聞こえない状況というものは弦音の不安と恐怖をいっそう高めていく。
子供は大丈夫だよといわんばかりに無邪気な笑みを浮かべているが、安心できるはずがない。
その隣にいる樹里はただ困惑しているだけで、子供の手を離そうとしている気配はない。いやたぶん彼女にはそんなことをする余裕などないだろう。一番混乱しているのは彼女だ。
どうやら記憶が飛んでいる様子で、必死にいまの状況を考えている。弦音にどういうことなの?と問いかけているようだが、いまの弦音には彼女の質問に答える余裕はない。とにかく、耳栓地獄から解放されたい気分だ。
いったい俺はどうなるのだろうか。
もうわけがわからない。
だたひたすら子供が解放してくれることを待つしかなかった。
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