019 七色飛蝗の翅と内職




 それから二日、瑪瑙大亀の甲羅を削る作業に費やした。

 職人たちは良い匂いを振り撒きながらの作業だ。ミントとラベンダーの香りは作業効率を上げた。

 クリスは、彼らのように湿布を貼るほど筋肉痛にはならなかった。普段から力仕事をしているからだろう。

 男たちは密かに落ち込んでいたようだ。


 納期に間に合った瑪瑙大亀の甲羅は、薬研台として綺麗に仕上がった。

 無理を言った薬師ギルドの本部長は大層喜んでくれたらしい。

 直しが入るかもしれないとのことで待っていたクリスと職人たちは、そのまま打ち上げパーティーを始めた。


「え、じゃあうちの店の七色飛蝗の破損品が欲しかったのかい?」

「そうなの。まとめて売ってあるから高くて買えなくて。だから、その、少量売りしてもらえないかなーと」

「そんなの、早く言ってくれたらいいのに!」


 店主も奥さんも「水臭い」と半分怒ったような顔で言う。それから店へ戻って、樽ごと持ってきた。

 やった、売ってもらえるんだ! と思っていたら違った。


「持っていきな」

「え?」

「そうよ、持っていって。力持ちだから持てるわよね? あら、でも持ち運ぶのは大変かしら」

「そうだな、樽だと持ち運びが難しい」


 クリスが戸惑っていると、職人たちが酔っ払った状態でトンカチやらノコギリを持ってきた。

 何をするのかと思えば、瑪瑙大亀を剥がすのに使っていた土台の板を切り始める。

 そして、あっという間に桶を作った。岡持ちのような形だ。もう少し深くなっている。


「おっ、それはいいね」

「さすがね。ほら、これだと持ち運べるわ」

「あの、あの、それって」

「持って帰ってね、クリスちゃん」


 そう言われても、子供のクリスなら素直に受け取ればいいのかもしれないが、頭は大人の記憶があって……。

 それでもニコニコ笑う彼等に、遠慮するというのは失礼のような気がした。

 クリスは自分でも赤くなっているのを感じながら、有り難く頂くことにした。

 皆、微笑ましそうに見ているものだから余計に恥ずかしい。


「……あの、でも、高価なのにいいのかな」

「本当は余り物だから捨ててもいいものなんだよ。ただ、これを使って売り物を作る職人がいる。だから売っていただけだ」

「小売りにしないのは手間がかかるからよ。それにね、実はこの間、とても状態の良い七色飛蝗の後翅が大量に入ってきたの。そうなると、少しランクの落ちるこれは売れないわ」


 店主や奥さんの言うことは、半分はクリスに気を遣ってのことだろう。

 大人の記憶があるクリスにはそれが分かった。けれど、素直に喜ぶことにした。


「ありがとう! すごくすごく嬉しい。これで作ってみたいものが、いっぱいあったの」

「そう。良かったわ」

「クリスちゃんにはお世話になったからなあ。良かったよ」


 職人たちも小さなクリスを可愛がってくれた。本当は十三歳で、中身はもっと大人なので詐欺に近いが、まあいいかと開き直った。



 その日も遅くなったが、送っていってくれるという職人の厚意で一緒に帰った。だからか、後を付ける者はいなかった。

 先日のことは宿の女将さんや旦那さんには言ってある。クリスだけでなく、ご近所の治安にも関わることだからだ。おかげで、自警団が見回っている。

 職人に送ってもらった時も声を掛けてもらった。


 部屋に入ると、イサが桶の上を飛び回った。中を見ようと言っているらしい。


「イサも綺麗なものが好きなんだね」

「ピッ」

「イサの家にも飾ろうか」

「ピピピピピ!」


 シューッと飛んできてクリスにぶつかると、イサはスリスリしてきた。好きというのを体全体で表現しているらしい。クリスは笑って桶の中身そろそろと床に広げた。


 七色飛蝗の後翅の余り物というが、色ガラスの破片そのものだ。

 一片が子供の手のひらサイズのものから、爪ぐらいの大きさまで様々揃っている。

 七色飛蝗は一メートル級のサイズだから翅も大きい。前翅は硬いながらもしなる素材で、武器や道具類に使う。こちらも人気はあるらしいが後翅には負ける。

 クリスは桶を全部ひっくり返して、手でザラザラと後翅を広げた。


「わあ、綺麗」

「ピピ!」

「これだけあったら、ランプシェードにも使えそうだね」

「ピッ」


 イサも喜んでいる。青色ばかりを嘴で摘んで避けていた。爪サイズばかりなので、自分の体のサイズを理解しているのだろう。

 クリスもサイズや色別に仕分けていった。

 夢が広がる。クリスはこれで、家馬車の窓の一つを丸窓の飾りにしようと考えていた。

 二階部分の寝室に付けようか。いや、天井に明り取りの窓を付けたいから止めよう。

 そんなことを考える時間は楽しい。


 とりあえず仕分けてしまったら、蔓籠に分けて仕舞う。

 使用する分だけ出しておいて、残りはポーチの中だ。


「ポーチの中もちょっと限界かなあ」

「ピッ?」

「収納袋だよ。あんまり入らないから、定期的に中身をチェックしてるんだけどね。あと、いざという時に収納しなきゃいけないものもあるから、パンパンに詰め込むわけにもいかないし」


 中を覗き込んで思案する。不思議なことに、口を開いて中を「視」ようとすると見えるようになっていた。魔女様が「あんた専用にしといたからね」と言っていたので、たぶん他の人には見えないのだろう。イサも一緒に覗き込んだが首を傾げていた。

 とりあえず、今は使わない七色飛蝗の後翅は固めて隅に配置した。シュルルっとポーチの中へと入っていく。

 開けたついでに、紋様紙を作るのに必要なセットを取り出した。


「あー、良い万年筆が欲しいなあ」

「ピル?」

「ペン先がこなれてきたのはいいんだけど、小さい紋様紙に描くには線が太いんだよ」

「ピピ……」

「他の材料は今のところオッケーっと」


 とはいえ、先々のことを考えれば紙もインクも十分とは言えない。

 ガレルの都市で手に入るのかどうかも分からないため、そろそろ仕入れのことも想定しなくてはならないだろう。

 もしも数年暮らすのなら、安定して手に入れる必要がある。


 数年先の不安を考える前に、クリスは納期の近付いた紋様紙作りを開始した。

 こうなると独り言もなくなる。イサは相手をしてもらえないと悟ったらしく、いそいそとベッドの横にある小さな籠へと飛んでいった。クリスが作った即席の小鳥用ベッドだ。




 最近同じ魔術紋ばかりを描いている。納品するに当たって、迷宮でよく使われるものを選んだからだ。

 目標枚数に達成したため、腕が訛らないようにと、納品しないが売り物になるサイズのものを描く。

 中級以上の攻撃用紋様紙は他の町ならいくらでも売れる。

 迷宮だと誤爆を恐れて、攻撃用の魔法の種類は少ない。暗黙のルールというやつだ。

 外だと、単純に爆発してくれるものなどが有り難い。

 指向性を持たせて、離れた場所から打ち込むのだ。魔物に襲われた時に町全体で使ったりする。

 町では中級の紋様紙となる「爆炎」などがよく売れた。

 迷宮では「爆炎」も「水撃」も敬遠されるそうだ。その代わり中級だと「防御結界」「浄化」「治癒」が人気だった。

 上級の紋様紙でも攻撃用ではなく補助用の「探査」「修復」が人気だ。


 クリスは最近作ってなかった上級の「業火」と「完全結界」を描いて、この日の内職を終えた。

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