第11話 借金致し候
市姫様の無茶振りから一夜が開けた。
俺達は今、津島に来ている。
俺こと木下藤吉、前田利家、前田まつ、池田恒興の四人だ。
本当は内蔵助も来るはずだったが又左が嘘の合流場所を教え、さらに時間も変えて集まった。
今頃は待ちぼうけを食らっているはずだ。
又左曰く『内蔵助が居ると厄介事を起こす』と。
勝三郎も同じ意見で最後まで内蔵助が付いてくるのを反対していた。
反対されても内蔵助が付いてくると強情を張ったのは、まつと俺が一緒だかららしい。
新参の俺と想い人のまつが気になって気になってしょうがなかったのだろう。
しかし、しょうがない。
内蔵助はお呼びではないのだ。
だが、津島の町の入り口でお呼びでない二人と出会った。
男装姿の市姫様と、最近は苦虫を噛み潰した顔がトレードマークに成りつつある平手政秀の二人だ。
「たまには城の外に出ないとな」
「いくら行っても聞かんのだ。そなた達護衛を頼むぞ。わしは城に戻らねばならん」
平手のじい様は俺達に護衛の任を任せ、離れた所に居たお付きの者達と共に帰って行った。
呆気にとられた俺とは違い他の三人は平常運転だった。
「よし、では行くぞ」
「姫様。いえ、若様。お供いたします」
「は~、しっかし、本当に来るとは思わなかった。内蔵助を連れて来なくて良かった」
「まったく、どうしてこう似なくていい所ばかりそっくりなのか。いいですか、ここでは………」
まつは市姫の後ろに周り。又左は前に回り込み笑顔で周囲を見渡し、勝三郎は市姫の右隣に移動し説教を始めた。
俺はそんな三人の対応の速さに付いて行けなかった。
「ほれ、何をしている。藤吉行くぞ」
市姫様に声をかけられ慌てて市姫様の左隣に移動した。
これで良いんだよな?
護衛だから護衛対象の四方を囲むんだったか?
「こうしていると、兄上と共に町を歩いていたのを思い出す」
「そう言えば、そうですね。よく信長様と町を歩いたのを思い出します。姫、若様はよく疲れたと言って私や信長様に背負われておいででしたから」
そうなの?
信長が市姫様をおぶっていたのか。勝三郎。
それは見てみたかった。
「何時の話だ。藤吉、昔の話だからな、昔の」
顔を真っ赤にして両の手をブンブンさせる市姫様は大変可愛らしかった。
「そうだな。まつもよく俺がおぶってやったな」
「そうですね。酔いつぶれた兄上を勝三郎様で運んでいましたね。逆さにして、足を持って」
逆さにして足を持たれて運ばれる又左。
想像するだに実に情けない。
「ぶふ」
「笑うな藤吉。昔の…」
「半年前の話だったな。よく覚えている。あれは重かった」
誤魔化そうとした又左だったが勝三郎が直ぐ様否定した。
「くくく、兄上に置いて行けと、言われていましたね」
先ほど真っ赤にしていた市姫様は、いつも通りのいたずらっ子のような笑顔を見せていた。
そうして目的の場所まで昔話をしながら和気あいあいと歩いていた。
ではなぜ、ここ津島に来たのかと言うと…
金を借りにきたのだ。
そう、借金だよ、借金!
何をするにも金が無くては何も出来ない。
兵を整えるのにも武具を買うのにも兵糧を揃えるのにも金はいくら有っても足らないのだ。
そして今清洲の金蔵に金は無い。
金がないなら金を持ってる奴から借りればいい。
そして津島は織田家が支配下に置いている町の中で最も金を持っている町だ。
津島の支配権を持っているのは史実と同じだ。
そして、協力を仰ぐのは津島の豪商『堀田家』だ。
史実でも堀田家は織田家に協力している。
何としても金を出させないとな!
そう意気込んで行ったのだが……
俺達は堀田家の当主『
正龍は、物腰柔らかな印象を受ける。
眼差しも穏やかだ。
そして、少しふっくらとしている。
決して太っているとは言っては行けない。
通り一辺な挨拶を済ませ本題を切り出す。
しかし、こちらが本題を伝える前にいくつかの書状を正龍はこちらに差し出す。
「こちらが以前信長公の残した借書に御座りまする」
「兄上の借書?」
『借書』について簡単に説明すると…
まず、市姫が堀田家に金を借ります。
この時市姫が借用書を書きます。
これが『借書』です。
この借書を書いた人の名前が返済能力があるのか、無いのかによって借書に価値が決まります。
堀田家は、市姫の借書を売り払う事が出来ます。
例えば、堀田さんが市姫の借書を信行さんに売り払います。
信行さんはその借書を持って市姫に返済を迫ります。
でも市姫はお金を持っていないので借金を払えません。
そこで借書に書かれている金額に相当する物を要求するのです。
この場合、信行さんが欲しいのは家督ですから『家督を自分に売れ』と言って来るかもしれません。
現実的では有りませんが……
現実には土地を要求するでしょう。
もしくは今度収穫される米を要求するとか。
物か、土地か、銭等と交換されるのです。
ここで問題なのは、借金を返済しなくてはならない市姫様の資産が問題です。
返済能力の有無です。
それに信用も。
信用が無くては借書は価値を持ちません。
そして今、信長の借書が出てきました。
信長の借書は織田家の借書です。
織田家の借書は市姫様の借書です。
つまり……
「これを元に、銭をお貸しいたしまする」
呆気ないほどに金貸しは済んだ。
こちらが要求するはずだった金額を大幅に越えてだ。
全ては信長の残した遺産だった。
信長は清洲織田家織田信友を攻める為に借書をしていた。
この借書が信長が死んだ後に暴落して、紙くず同然の物になってしまった。
しかし、堀田家はある情報からこの借書を回収する。
その後赤塚の戦いに勝ったことで市姫様に借金返済の信用が証明され
織田家の借書、信長の借書に高値がついたのである。
そして事前に出来レースの情報を流したのは『織田信光』。
全て、信長の策謀であった。
さらにこの借書を売り払った時期を調べれば反信長勢力がわかるのだ。
案の定、林兄弟と柴田は信行が信長に会う前に借書を売り払っていた。
裏事情を知っていた勝三郎の説明を聞いて信長の偉大さが、死が惜しまれる。
信長は自分の死後をどれだけ見えていたのだろう。
兄信長の残した遺産を見て、市姫様はただ、涙するだけだった。
堀田家から借銭したその日の内に清洲城に銭が運ばれた。
その額『二万貫』
この時代、一貫で二石なので約四万石を借り受けたことになる。
現在の織田家の石高は『約二十六万石』ほど。
約六分の一にあたる。
大金も大金だ。
しかし、これだけでは足りない。
足軽に払う金が一人辺り三貫。
約六千人以上雇える計算になるがそれだと金が無くなる。
半分の銭で三千人を雇い残りを米に替える。
これだと一人当たり年に一石を消費するとして、二万石で年に二万人養える計算になる。
しかし、これはあくまでも銭を兵と米の支給に費やした場合の話である。
銭は、金は、それだけに使う訳にはいかない。
しかし、兵を揃えないといけない。
何故なら今の織田家は敵が多い。
現在の織田家の敵は北は岩倉織田家に西は北畠家と長野家、東は今川家だ。
内に信行と言う爆弾を抱えている為、常に抑えの兵を置いておかないといけない。
周り全てが敵のうえに内部にも敵が居る。
その為に兵が必要だ。
清洲城に最低でも三千の兵は必要だ。
そして現在、清洲城には怪我した兵を合わせて二千弱の兵が居る。
少なくない数だが心許ない。
まず金を使って三千人を揃える。
三千人を抑えに回し残った二千で敵を攻める。
市姫様にお味方する兵は約三千人。
合計五千人。
周辺を見渡して五千の兵で勝てる所は岩倉織田家くらいだ。
そう、正攻法とは弱い所から潰していくことだ。
当たり前ではあるが強い所、兵が多い所とは戦えない。
また、信行と戦う訳にはいかない。
表面上は信行の謀反は許されている。
信長暗殺の犯人の最有力候補ではあるが、信行を攻めれば後ろの岩倉織田家が出てくる。
下手をすれば挟み撃ちにあってしまう。
更に味方が兵を出さない可能性もある。
これが一番怖い。
信行攻めはリスクが高すぎる
それよりも先に岩倉織田家を攻める。
岩倉織田家の兵力は最大五千人。
こちらと兵力は同じだが常に最大兵力を出せる訳ではない。
最低でも二千ぐらい。
せいぜい三千も出せればいいほうだ。
また、岩倉織田家に攻めかかったその隙に、信行が挙兵しても信行側に呼応するのは、ごく一部だけだろう。
大義名分が信行に無いからだ。
仮に信行が挙兵したなら返す刀で信行を討てばいい。
その為の守備兵力三千人だ。
こちらの方がリスクが少ない。
そうして一つ一つ踏み潰していく。
尾張の統一が出来れば後はある程度楽が出来る。
苦しいのは今だけだと思いたい。
そう、今は物凄く忙しい。
銭の扱いは『勘定方』が行う。
その勘定方のトップが平手政秀である。
そして俺は平手のじい様の下に付けられて計算に明け暮れている。
右筆の仕事は秘書のような者だと思っていたがそれとは別の顔を持っている。
奉行を兼任しているのだ。
行政書類の作成、執筆と署名までする。
右筆の権限は代官のそれを上回る。
俺が思っていたより右筆の仕事と権限は大きい。
下手をすれば近習筆頭の勝三郎よりも大きい。
舐めていたよ、右筆を。
只の代筆屋だと思っていた。
薄々感じていたが仕事量と扱う書類の範囲の大きさ。
ブラックすぎる。
もっとホワイトな職場に就きたかった!
「手を止めるな!」
「その書は、あっちに回せ」
「これで合ってますか?」
「これは誰が書きやがった。数字が合ってないぞ!」
「これ、違う。そっち、違う。…………あれは、有った!」
「こちら署名をお願いします」
そこかしこで怒声と罵声が飛び交う。
そんな中で黙々と書き続ける。
早く、早く終わらせる。
これ、終わったら、寝る。
寝るぞ、断固寝てやる。
あっ、くそ、間違えた。
墨、墨が足りない。
あー、もう、いつ終わるんだよ!
頭の中で悪態をつきながらひたすら書き続ける。
終わらない仕事に絶望を感じていた。
そして、三日三晩の死闘が終わった。
死闘って何だよ?
…………足りない。
やっぱりこのままだと足りない!
兵も武具も揃えた。
でも肝心の兵糧が足りない!
また金策が必要だ。
出兵予定日まで日がない。
後十五日ほどで兵を出す。
今なら連戦続きの織田家が兵を上げると予想していないはず。
失った兵の補充を最優先にしていると思っているだろう。
兵を出す余裕はないと。
だから、今しかない!
人がやらないと思うからこその奇襲だ。
成功の確率は高い。
でも、今の兵糧だと一月と持たない。
籠城されれば兵糧が持たない。
攻め滅ぼす等出来ないだろう。
せめて三ヶ月分は必要だ。
………どうする?
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