第24話 周瑜の死

魏延は襄陽から江陵へ物資の輸送を命じられ胡車児と共に江陵に来ていた。そこで曹操が涼州の馬謄と戦闘状態になっているという話を耳にした。


兄弟魏延、曹操は最初から涼州を狙う気があったんじゃないのか?」


「言われてみればそうかもしれないな。」


胡車児の話に相槌を打ちつつ、曹操が涼州や漢中に目を向けた事で劉備が西蜀遠征を決意する日が近いと魏延は思った。


*****


曹操は漢中で五斗米道という宗教集団が支配権を握っている話を聞いて討伐する事を決定した。涼州の馬謄に先鋒として協力するよう要請したが使者に立てられた夏候淵の態度が尊大だった為、馬謄が立腹して協力を拒否した。


夏候淵の報告を聞いた曹操は再度別の者を使者に立てて説得を行ったが状況は変わらず、馬謄は曹操の事を帝の代弁者面した簒奪者だと罵った。報告を聞いた曹操は漢中遠征を一旦取り止め涼州討伐を決定した。


曹操は夏候淵を先鋒として自ら親征を行った。しかし馬謄は盟友である天水の韓遂と協力して守りを固めて戦闘も散発的に留めるなど持久戦に持ち込んだ為、長期戦の様相を呈していた。


*****


魏延と胡車児は役目を果たし襄陽に引き揚げる準備をしている最中、劉備から至急の呼び出しを受けた。


「二人とも忙しい時に済まない。襄陽へ戻る前に一働きして欲しい。」


「何なりとお命じ下さい。」


「尚香の護衛役として呉に行って貰いたい。」


「理由は私からお話ししましょう。」


*****


呉は周瑜が指揮を執り徐州を攻めていたが予想外の事態が起きた。周瑜が小沛城を攻めている最中に負傷、それが元で亡くなった。代わりに魯粛が指揮を執り小沛を落としたので先に落とした下邳を含めて徐州を制圧したものの他州へ攻め込む事を取り止める事態になった。魯粛は部下の陸遜に徐州の統治を任せ、周瑜の遺体と共に建業へ帰還した。孫権は周瑜を弔った後、魯粛を後任の大都督とした。


周瑜の死と前後して孫権・孫尚香の母親である呉夫人が病に罹り、快方に向かう事なく悪化していた。孫権は妹の顔を見れば母も具合が良くなるだろうと考え孫尚香の一時的な帰省を求める使者を劉備に送った。孫尚香は呉と縁を切った以上戻る気は一切ないと使者の説得を突っぱねていたが劉備から親孝行するよう説得され渋々ながら帰省する事になった。


*****


孫尚香帰省の話を聞いた諸葛亮と龐統は呉の同盟反対派がこれに乗じて動きを見せる可能性があるので護衛役として相応の者を付けるべきだと劉備に進言した。劉備も孫尚香が呉に残るようなら劉孫同盟が有名無実化する危険性などを考えて二人の言葉に同意した。江陵に来ていた魏延と胡車児が二人の目に入り抜擢されるに至った。二人は呉の将兵と全く面識がないので余計な警戒をされる心配がないだろうというのが理由である。


「呉の内情をお前さんの目で実際に見てくると良いよ。」


「承知致しました。」


龐統からも念を押されたので魏延は受けざるを得なかった。襄陽の事が気になっていたが関平と廖化を向かわせる手筈になっている話を聞いたので安堵した。

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