エピローグ 2




 *


 事件から一週間がすぎた。


 僕らの生活は、またたくまに、もとどおりになった。


 あいかわらず、来ない依頼を待って、家でゴロゴロしている。


 あんまりヒマなので、夏の収穫にむけて、トマトやナスビの苗を植えてみる。


 今日も、なべて事もなし。


「おーい、薫。今日の夕飯、なんだ?」


「豆腐ハンバーグ。つけあわせは豆苗とモヤシの中華サラダ。朝の残りのミソ汁あるしね」


 兄はガッカリしている。


「かーくん。女子じゃないんだぞ。なんで豆腐ハンバーグなんだ。ハンバーグならハンバーグでいいじゃないか。


 兄ちゃん、がんばって稼いでやったろ?」


「ああ、あれ。定期で貯金したよ」


 猛は特別ミッションクリアと、ハート二つで四千万、参加費とあわせて、四千五百万をかせいだ。


 残念ながらミッションのほうは、最後に更科さんを殺したのが速水くんなので、もらえなくなってしまったが。


 ちなみに僕の代理参加は認めてもらえた。川西さんは親切にも、それを全額、僕にくれた。


 兄弟二人、三日で五千万だ。


 ふっふっふ。笑いが止まりませんぜ。


「かーくん……全部、貯金したのか? 意味ないだろ。ちょっとは手元に残せよ」


「あるよ。支度金の残りが、まだ百七十万」


「なら、それで、焼肉でも食おうぜ」


「しょうがないなあ。兄ちゃんの好きな塩昆布キャベツもつけてやるよ」


「野菜ばっかだなあ」


「しょうがないじゃん。次の依頼が来るまで、あのお金で食いつなぐんだから。山陰の海の幸、たらふく食っただろ」


「ああ……一瞬のまぼろしだったなあ。サザエが、アワビが、カニが、鯛の刺身が遠のいていく」


 オーバーに頭をかきむしってるので、ちょっと、かわいそうになった。


 しょうがない。


 明日は広告に載ってた豚バラ肉グラム百八円を大量に買いこんで、ショウガ焼きにしてやるか。


 ヒマな会話をしているところに、玄関でチャイムが鳴った。


 時刻は五時半。この中途半端な時間。依頼人じゃなさそうだ。


「猛。苗に水やっといて。それと、スコップと肥料、かたしといて」

「はいはい」


 猛に頼んでおいて、庭から玄関にまわっていった。

 表門の木戸をひらいて、ビックリ。


 シルクハットを片手でつまんで、蘭さんが、そこに立っている。

「はい。おみやげ。しゃぶしゃぶ用黒毛和牛、A5ランク五キロ」


 おおっ! 目の前に巨大な肉の包みが!


「肉だあ! 肉が来たー! 兄ちゃん、高級肉が来たよッ!」

「肉が歩いてきたみたい。ひどい」

「あっ、ごめん……つい夢中で」


 ずしりと重い肉を受けとって、あらためて再会のあいさつ。下へも置かぬふるまいで、丁重に中へ案内する。


 猛に追われて、かくれてたミャーコまで、やってきた。蘭さんをひとめ見るや、親しげに体をこすりつける。すごい。蘭さんの魅力はメス猫にまで効くのか。


「よくわかったねえ。うちの場所」

「そりゃ、もともと京都人ですから。住所見たら、だいたい、わかります」

「こんなボロ屋に来てもらって、悪いなあ」


 夕食は、きゅうきょ、しゃぶしゃぶ。

 ミャーコに甘い猛が、高級牛をあたえようとするので、僕は兄の手に、しっぺした。


「ダメっ。舌が肥えて、高い肉しか食べなくなったら、どうするの?」

「きっついなあ。かーくん。いいだろ? ミャーコだって、うまい肉、食いたいよなあ?」


 ミャーンと、こんなときだけカワイイ声をだすミャーコ。


「ミャーコのご機嫌とろうと思ってるんでしょ。ミャーコにはカルカンで充分」

「そう言わず、ゆるしてあげたら、どうです? 肉なら、僕がしょっちゅう持ってきてあげますよ」

「えっ? ほんと?」


 しょっちゅうって——やっぱり、ひきこもりは、やめたのか。まだ戦闘服ではあるものの、スゴイ進歩だ。


 蘭さんはゴマだれの皿を置いて、僕と猛とミャーコと食卓をながめる。


「いいですね。こういうの。じつはねえ……たった一週間で、さみしくなっちゃって。一人の部屋って、こんなに静かだったかなって。夜中に涙がでるんですよ。ここに大海がいてくれたらって思うと……涙が止まらない」


 うっ。もらい泣き。

 しかし、兄は無頓着に言うのだった。


「赤城さんに、いっしょに住んでもらえば? あの人、泣いて喜ぶぞ」

「僕はゲイじゃありません。誰でもいいわけじゃないんだ」


「だからって、かーくんは、やらないぞ。おれが、さみしいじゃないか」

「大丈夫。僕が京都に引っ越してきますから」


「ええっ?」と、これは僕。「引っ越すって……そうか。実家に帰ることにしたんだ」


「それは兄が許さないでしょう。この近くにマンションを買います。セキュリティのしっかりしたやつをね。三LDKくらいの部屋を買って、そこに、あなたたちの探偵事務所を置くっていうのは、どうでしょう?」


 僕は猛と顔を見あわせる。


「ね? ちゃんとした事務所、あるほうがいいでしょ? そのかわり、あなたたちが、僕のボディーガードと秘書になってください」


 どっちがボディーガードで、どっちが秘書なのか、聞くまでもあるまい。


 うーむ。悪い話ではなかった。


 どうせヒマな探偵事務所。流行作家の秘書くらいしても、なんの差しさわりもない。むしろ、そっちが本業か?


「どうする? 兄ちゃん」


「ああ。いいんじゃないか。しゃぶしゃぶもいいが、おれは焼肉が好きだ」


 兄ちゃん、肉めあてか……。


「じゃあ、決まり。今晩は泊めてください。明日から不動産屋、まわってみますから」


 いいなあ。マンションの大人買い……あれ? そう言えば、うちだって。


「ねえ、兄ちゃん。岸さんの財産数十億、どうなったの? 兄ちゃん、勝ったろ?」


「何十億もいらないよ。つきかえしたに決まってるだろ」


 に……兄ちゃん。せめて僕にも相談してよ。一億くらい貰ってもいいじゃないか。


「財産は、あの人が死んだとき、今回の事件で殺された人の遺族に分配してもらうことにした。


 それと、ネココに少し。


 館は処分するなり、市に寄贈するなりしてくれって言っといた」


「僕なら、あそこをミステリーイベント付きホテルにするけどな」と、蘭さん。


 おもしろそうだけど、その場合、ほんとの殺人現場だってことが、プラスに働くかどうかが集客のわかれめ。


「じゃあ、一人で二階に行ったとき、兄ちゃん、そのこと岸さんと話したのか」


「それも……ある」


 猛の歯切れが悪いのは、なんなんだろうな。


「たいしたことじゃないよ。ただ、最初から、あの人の心理に、むじゅんを感じたから、聞いてみただけさ」


「むじゅんって?」


「あの絵だよ。本館の食堂に飾ってあったやつ。屋敷のなかには、あれと、もう一枚しか、本人の絵が残ってないんだ。二枚しかないうちの一枚だ。すごく重要な意味があるに決まってる」


 猛は語った。

 あのとき、老画家と話した情景を——

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