四章 殺人ゲーム 三幕 3—2


「今まで何人にストーキングされたことか。正確な数はわかりません。二、三度、あとをつけられるとか、変な手紙を送ってくるとかは、いちいち数えてたらキリがないですし」


 キリがないのか……。


「いきなり路上で、見ず知らずの男に包丁をつきつけられるんですよ。あれは高校のときだった。親友が助けてくれて、マンションに帰った。

 僕、高校のときから東京で一人暮らしだったんです。中学のとき、イヤな事件があって、女にはウンザリしてた。だから男子校に入って、すごくノビノビしてたわけです。あいかわらず、ラブレターとか、告白とかはあったけど、そういうのはスルーですよね。気のあう友人が何人かいて、それで充分だった。僕は親友を本当の兄のように信頼していた。

 だから……まさかね。その親友がストーカーに変貌するとは、思わないじゃないですか。包丁つきつけられて、ふるえて帰ってきて、送ってくれた親友を泊めたわけです。そしたら急に『おまえが好きだ』とか言いだして、追いかけられて。一晩中、トイレに立てこもりましたよ。『警察、呼ぶよ。帰れ』って言って、どうにか追いはらって……。

 そのあとですよ。そいつから、ひっきりなしに電話がかかってくるようになって。『蘭。嫌わんといて。おまえに嫌われたら、生きていけへん』そんな電話が、五分おきに。電話に出なくなると、メールが。メアド変えたら、マンションの前で待ちぶせするようになって。こっちもノイローゼぎみになるじゃないですか。『もう、つけまわすなよ。訴えるぞ』って、言ってやったんです。翌日、彼は首をつって死にました」


 ハードだ。ハードすぎる。

 そんなビターな思い出、僕にはないぞ。

 僕なんか、せいぜい、学祭でメイド服きせられたり、こいつめカワイイぞと言われて、兄ちゃんにチュウされたぐらいだ。


「なんだかね。そのとき、僕は悟ったんだ。ふつうの人が、ふつうにしていることが、僕には許されないんだって。ふつうの人と同じことしてたら、痛いめ見るのは自分なんだって。恋愛も友情も、けっきょくはそんな形で破たんするなら、いらないじゃないですか。

 もうね。僕は絶海の孤島で、ひとりぼっちで暮らしたい。猫とオウムとウサギを飼って、ネットが通じてれば、それで充分。農作業ができないから、自給自足はムリなわけで、実行できないんですが。文明的な暮らしが守られて、外界との接触が極力、絶たれる世界。それが理想なんですよ。この屋敷は、まさに僕の桃源郷」


 なるほど。そうきたか。


「でも、結婚が条件だぞ」


 猛が言うと、


「そこは目をつぶらないとですよね。でも、じいさんが死んだら、即、離婚って手もある」


「ここ、盗聴……」と、これは僕。


「初日に全部、はずしましたよ。自宅でも定期的に、盗聴探知器で調べてます。前に機械マニアのストーカーに、家中、盗聴器やカメラを、ウジャウジャ、とりつけられたことがあって……」

「はあ……男って、怖いね」


 蘭さんは薄笑いをうかべた。

「女のストーカーのほうが怖いですよ」


 うっ……また、怖そうな。


「ある日、とつぜん、おぼえのない予約の件で、結婚式場から電話がかかってくるんだ。僕と、名前も知らない女の披露宴だって。一件や二件じゃなく、毎日、いろんな式場から、そんな電話がかかってくる。また誰かがやってる——そう思って、ぞッとした。警察はそのくらいじゃ動いてくれないしね。このまま変な女と結婚させられるんじゃないか。自分も知らないうちに婚姻届が受理されるんじゃないか。そう思うと、気が狂いそうなほど怖いよ。

 まあ、運よく、その女は区役所に婚姻届を提出しようとして捕まったよ。職員につっぱねられて、ナイフを出して、あばれまわったんだってさ。一度も会ったことない、六十すぎのおばさんだった」


 怖い……涙がでる。


「でも、こんなのは序の口。一番、強烈だったストーカー体験は、三年前の冬。ちょうどクリスマスの夜だった。いつものフロックコートの上にインバネス。狐のえりまき。シルクハット。厚い革の手袋もしてた。おかげで助かったんだけど」と言って、蘭さんは最恐話を語りだす。

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