八章 陽炎

八章 陽炎 1—1

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 殺された!


 ごめん、兄ちゃん。


 やっぱり、僕じゃダメなんだ。


 何百年も続いてきた東堂家の呪い。僕らの代で、終わっちゃったね……。


 目をとじた、その一瞬に、僕は生まれて初めて走馬灯というのを経験した。


 まるで、スライドショーだ。


 めまぐるしく切りかわる映像の、ほぼすべてに猛の姿があった。


 いつも危険なときには、猛が助けてくれたから……。


 走馬灯を見てるあいだ、まわりで何が起こったのか、僕は知らない。


 知ってるのは、ナイフが風を切る音。


 とつぜん、それがやんで、誰かの気配が、かたわらに立ったこと。


 女のうめき声。


 そして、あの声が聞こえた。


「やっぱり、おれがいないと、ダメだなあ。かーくんは」


 えーー?


 まさか、そんな……バカな?


 でも、この声は、間違いなくーー間違いようもなく……。


 僕は、そっと目をあけてみた。


 そこに、その人が立っていた。


 血みどろで死んでたはずの兄ーー猛が……。


「に……兄ちゃん?」


 走馬灯のなかで、いつも、となりにあった猛の笑顔。


 僕は夢でも見てるんだろうか?


 しかし、それにしては、これは、ずいぶん都合のいい夢だ。


 僕の前に、つきつけられたナイフを持つ手を、猛がつかんでいる。


 猛が手に力をこめると、野溝名緒子は、ナイフをとりおとした。


(おかしい……たよりない弟を遺して逝かないといけなくなった猛の霊が、成仏しきれずに出たにしては、すごく現実的に助けられてる)


 ちろりと見ると、猛の霊っぽいものは、苦笑した。


「かーくん。霊じゃないぞ。妄想。妄想。ぼうっとしてないで、蘭のロープ、ほどいてやってくれ」


「……兄ちゃん? ほんとに生きてるの?」


「生きてるよ。あとで説明してやるからさ」


 うわーんッ! 猛が生きてた! 嬉しい。すごく、嬉しいッ!


 僕は涙をボロボロこぼしながら、催眠術的に蘭のロープをほどいた。


 蘭が手首をさすりながら、起きてくる。


「恨みますよ。猛さん。僕を悪者にしてくれて。かーくんに罵られるたびに、僕の胸は引き裂かれましたよ」


「すまん。とっさに、ああするしかないと思ったんだ。奇跡的に、おれの部屋の、おぜん立てが、そろってた。

 にしても、おまえ、迫真の演技だったなあ。ほんとに、やられるんじゃないかと思った」


 えっ? えっ? なんですか?

 まさか、二人、共犯ですか?


「おかげで僕は、かーくんに恨まれて。


 猛さんのウソつき。かーくんが僕をおそうことは、絶対にないって、以前、言いましたよね?」


「すまん。まさか、かーくんが、あんなマネするとは思ってもみなかったんだよ」


「人間って、ほんと、意外な一面を持ってますね」


 す……すみません。


 ふりかえった蘭が……いや、蘭さんが、微笑する。


「かーくん。本気で、僕がカッとなったぐらいで、殺人を犯す人間だと思ったんですか? 心外だなあ」


「おれが話を持ちかけたんだよ。あのままゲーム終わると、おれたち全員、放火で殺されかねないと思ったからさ。あるいは毒入り豪華ディナーとか」


 猛が野溝さんの手をロープで縛りながら言った。


「だって……二人とも、いつ、そんな相談……なんだよ、あの血! てっきり、ほんとに猛が殺されたと思った」


 僕が泣いて抱きつくと、猛は大きな手で、ぽんぽんと僕の頭をたたいた。


 なさけないけど、嬉しい。


「悪かったよ。だからな、おぜん立てが、そろってたんだ。


 あの部屋は、もともと、おれが盗聴器をはずしてたし、蘭たちが監視カメラも目隠ししてた。


 ナイフがあり、カードキーもあった。


 そのうえ、蘭は大塚のことで、取り乱しても不思議じゃない状態だった。


 血のりも常備されてるしな」


 血のり……もしや、それは……。


 僕の脳裏に、いまわしい記憶が、よみがえる。


「まさか! 赤チン?」


 猛が笑う。


「その、まさか。けっこう、それっぽく見えたろ?」


 そうだ。ちょうど、あの前に、別館の全室に赤チン常備されてることを、三村くんと話したところだった。


「僕がアレでやられたから、ヒントにしたの?」


 猛は変な顔をしてる。


 とりすました猫みたいな。失笑をこらえるような。おもしろがってるような。


 こういう表情のときの猛は、何かイタズラをしかけたときだ。


「……猛? なんか僕に、かくしてない?」


 猛は口笛をふいた。


 僕は確信した。


「おまえかァ! 僕の顔に『死体』って書いたの、おまえかァー! たけるゥー」


「だって、かーくん。兄心なんだよ。


 ゲームが進めば進むほど、みんなの行動、エスカレートしてくと思ってさ。


 なるべく早く負けさせとくほうが無難だったんだ」


「だからって、よくもマジックで……油性マジックで……」


「兄ちゃん、ちゃんと朝方まで、おまえのそばについて守ってたんだぞ。まあ、そのあと、しばられちゃったけどな」


「ううう……」


 そこで、ハッと気づいた。


「あれっ、じゃあ、あの脅迫電話の呼びだしもーー」


「あの時点で、おれたちが兄弟だと知ってたのは、おれと、おまえと、蘭だけ。蘭は切り札に、とっといてた。つまり……」


 くそォ。兄ちゃんめえ。


 生きててくれて嬉しいけど、ゆるさないぞっ。


「だからって、それならそれで、僕には言っといてくれて、よかったろ!


 さっきの芝居だって、なんで教えといてくれなかったんだよっ。


 僕が、どんだけ悲しんだと思ってるんだ。僕の涙、返せ」


「かーくん、ウソつけないタチだからなあ。言うと、あんな演技できなかったろ?」


「それは……そうだけど」


「まあまあ、かーくん。兄弟ゲンカは、あとにしましょう。今は事件を解決しないと」


 蘭さんに言われて、僕は思いとどまった。


 たしかに、いろいろ気になることがある。


「なんで、猛は死んだふりなんかしたの? 野溝さんが、おそってきたのは? だいたい、どうやって猛が本館へ?」


 猛は言った。


「アントリオンの定理だよ」


「なに、それ」


「こういうふうに大勢が集められて、客が死んでく場合、犯人は客を招いたがわの人間だってこと。


 客が主催者をだまして、人を集めさせるとか、主催者が客になりすますとか、そういうのも、ふくめてな。


 少なくとも、ホストがわに、ゲストを殺したいと願う意思がある。


 自分で手をくだすかどうかは別としても」


「でも、僕らは更科さんを死なせた人をあぶりだすために、集められたんだろ?


 ホストが復讐したいのは、その一人だけなんじゃないの?


 殺人が起こったのは、たまたま過激な人が、僕らのなかにいたからで」


「違う。おれたちに待ってたのは、皆殺しだ。そうだよな? 野溝さん」


「………」


「しらばっくれても証拠がある」


 猛はポケットから、赤いカードをとりだした。


「馬淵さんの指令書だ」

「馬淵さんの?」


 そういえば、前に見つかってたな。馬淵さんを拘留する前、荷物を移すときに。


「馬淵さんと赤城さんは、おれたちの芝居の協力者だよ。おまえと三村と淀川を地下に追いはらったとき、四人で相談したんだ」


 ああっ! どうりで。

 あのとき、帰ってきた僕ら見て、急に黙ったよね。

 二人とも、妙に蘭さんの肩持つと思ったら、そういうことか。


「そのとき、馬淵さんに、これを見せられた」


 猛がかざしたカードには、こう書かれていた。


『あなたの部屋に隠されたカードキーを、三人以上の参加者の前で提示してください』


 ちぇっ。いいな。馬淵さん、ミッションクリアだ。


「これって、どういう意味があるの?」


「あの時点では、まだキーの存在が知られてなかった。暴露されれば、パニックになる。おれたちを精神的に追いつめるワナさ。主催者サイドに殺人の意思があった証拠だ」


 野溝さんが反論する。


「それはただ、優衣を自殺させた男をあわてさせようと思っただけ」


「違うね。カードキーの存在が恐ろしいのは被害者のほうだ。殺人者が自分の部屋に入ってくるかもと思えば、平穏でなんていられない。自分が殺人者なら、殺される心配ないんだからな。こんなカギ、怖くないよ。あんたは、おれたちを追いつめ、正気でいられなくしようとしたんだ。おれたちを争わせるために。

 馬淵さんはサムライだから、他人の宝をネコババしようなんて気は、サラサラなかった。川西さまの宝は未開封のまま。だから、カードキーなんて言われたって、なんのことだか、さっぱり、わからない。

 いつまでたっても馬淵さんがアクションしないから、あんたは自分から言いだしたよな? みんなの前で、この館には、こんな恐ろしいものがあるんだぞって」


 あ、そうだ。たしかに、カードキーのこと言いだしたの、野溝さんだった。


「あのときから、おれは、あんたを疑ってた。間違いじゃないだろ? 秘書さん」

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