第62話 松平潤平の存在
“端山”。会長は確かにこの名字の名前を言った。ただの偶然だと思いたい。理屈ではそんなことなどできないと分かっていても感情が何一つ受け入れようとはしなかった。
「衝撃を受けた、といった面だな」
会長は俺に一瞥もしないまま言った。
「……端山」
「そうだ。生徒会に居る端山美玖の、兄、だ」
やはりか。俺はぐっと心を掴まれた感覚に襲われた。美玖は俺に兄が居る、といったこともなければ、会長と従兄弟であるとも話してくれたことは無かった。
会長は暫くすると俺の眼の前の椅子に再び腰を下ろした。その眼からは他人の奥底を見通せるような恐怖を感じる。
「……どうして?」
考えることを止めた俺は感情で飛び出した言葉を口にする。美玖が俺に話してくれなかったから。会長が俺よりもよく美玖の事を知っていたから。俺が大原先生の話を後回しにしてきたから。考えるまでもない感情の言語化。俺はきっとどこかで期待していたのだ。
「完全に端山美玖はお前に心を許している、はずだったのに……か?」
外野が少しうるさいな。今俺は浅はかだった自分自身を悔いているんだから話しかけるなよ。
「今日、美玖が来ていたら話すつもりは無かった。だが、いなかった。だから話した」
「……美玖を俺への薬代わりとして使っていたのか?」
熱い。全身が焼ける程に熱く、踊っている。こんなに怒気を含んだ声はいつ振りだろうか。
「否定はしない。だが。これが俺のやり方だ」
「……誰から聞いた?」
「家族間、と言いたいところだが、俺は実際に見た」
これではもう、俺がここに存在する理由がないではないか。俺が居なくとも誰かが助けてくれる。替えが聞かない人間ではなく、必要性のない替えの利く人間。俺は結局そういう人間だったのだと感じた。
「……端山壮一」
会長はゆっくりと眼を閉じた。思い出を振り返っているのだろうか。
「お前がもし、このことを訊いて美玖に対する感情が依然と変わっているのならば、別れて欲しい」
「……な、何故知っている?」
「そんなもの見ていればすぐだ」
今は眼を閉じているくせに……。
俺はどうするべきか迷っていた。今はもう怒りも分解、消化し終え、比較的冷静な考えが出来る。会長の提示したこの条件。完全に、という訳ではないが少し考え方が変わったのを感じている。
「もし、変わらなかったとするならば、……あの娘のそばに付き添ってあげて欲しい」
会長は眼を開き、すくっと立ち上がった。らしくない発言を打ち蹴るように、続けて、
「しばらくは1人で居ろ。これから報告書整理などで忙しいからな。それに……お前が居て反論されては手間だ」
会長ならいの励ましの言葉なのだと思った。俺は無言で了承を返した。会長は何をいう訳でもなく、相談室を出て行った。
「……くそったれ」
会長が何故このタイミングで俺に秘密を話したのかを考える。だが今の俺の頭では考え切ることが出来ない。
表面上はだいぶ、抑えられているが、内心は荒れに荒れまくっている。
美玖が離さなかった理由や俺という存在について。俺は何のために生まれてきて、何を残して死ぬのだろうか。深く考えれば考える程、議題は大きく、難解なものにならい頭をきりきりと蝕んでくる。
今頃は茜達とプールに行っているのだろうか。自分の心は隠し通して、明るくふるまっているのだろうか。そんな演技は止めて欲しい。そしてその演技に気付けない俺自身にも情けないと感じる。
俺はじっと目を閉じた。そっとソファの感触を確かめる。ふわふわとはとてもじゃないが言えない。微妙にほこりをかぶったそれは、俺の中と重なって思えた。
「……何もない。俺には」
会長は俺のせいにしてしまうつもりなのだろうか。
俺は自分の下物事に対してはちゃんと責任をとる。が、他人からの身に覚えのない責任を押し付けられニコニコ笑って背負ってやるつもりは毛頭ない。
「……だが、俺は俺だ」
他人から存在を認められていようと、無かろうと。俺という人格を宿した子の身体は今もしっかりと動いている。それならば、俺は俺だ。
俺のやり方で。俺は指図される気は無い。そして美玖と別れる気など、さらさらない。
会長という大きな壁。その壁は存在理由が不明だ。何故そこまで学校にこだわるのか。何故そこまで完璧を求めるのか。超合理的主義である彼の手腕は見事だ。無駄が一切なく、万一の準備も万全。もし俺が何も考えることをしない何かだったら泣いて喜ぶのだろう。だが、お生憎様。
「……俺も混ぜてもらうぞ」
呑まれて死ぬならあがけばいい。
「……俺を怒らせたことを後悔させてやる」
俺は誰もいない教室で1人、決意した。狙うは会長の
「松平」
その時、申し合せたように大原先生から呼び止められた。振り返るとドアに体重を傾けている大原先生が居た。
「……そろそろだと思いました」
「そうしてそう思った?」
大原先生は表情一つ、崩すことなく薄笑い気味に訊いてくる。
「……間が良すぎるのと、
「そうだ。私が書類を抜いておき、沖田に指示をしたんだ。東野の責任逃れについては少し調べなければならないようだがな」
先生は右手に紙束を持ち、バサバサとアピールする。紙束の最初にはちらっと文字が書かれてあるのが見えた。……「報告書」まちがいない。
「……俺が犯人みたいな雰囲気なんですけど?」
「諦めて私の身代わりになれ」
とても先生が言うとは思えないセリフだった。俺は会議室へ戻ろうと先生の横を抜けようとした。
「松平。絶望か?」
「……全てを手の上で転がしておいて良くそんなことが言えますね」
「俺は何でも知っている、か?」
「……そうはいってないです」
俺は眼もくれずに会議室を目指した。大原先生は追いかけることも声を掛けてくることもしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます