第14話 二つのペルーン



 二ツ龍物語 14話 二つのペルーン



 居並ぶ兵達が不安そうな眼差しでユーリを見つめていた。

その中にライサンダを初めとしたホワイトホースの面々も見える。

今現在、ペルーンが陥っている状況を伝える為である。

少年の隣には副官たる半エルフの冒険者。

どこから話したものかと悩む少年に、いっそ包み隠さず全て話しなさい、と

助言したエイブリー=ホワイトホースであった。

隠せば疑いを招く。そして疑いは不信に変わり、そうなれば兵は従わなくなる。

重大である事を理解してくれれば自ずから、という訳だ。


 意を決して少年が話を進めるにつれ、騒めきが広がる。

かのドラゴンをヴォロフ=ペルーンが客人として迎えていると伝えるに至って、

殆ど怒号めいた叫びが口々に上がり始め、少年は大きく息を吸い込んだ。


「静まらんか!!領主の決定だぞ!!」

「しかし……しかし。ユーリ様、それは余りに。俺の家族も」


 年若い兵が悔しさを押し殺し、絞り出すように言葉を吐く。

死者こそ出て居なかったものの、為に蓄えや財産を破壊された者も少なくは無い。


「解ってる。僕だってそうだと答えたい。だけど」


 いきり立って反旗を翻せば、そのまま領内での内紛だ。

脳裡に浮かんだ不吉な言葉を飲み込み、ユーリは口を閉ざす。

一方で口々に不安を述べ立てる兵らにエイブリーがごほん、と咳払いをして

話の続きを受けとった。


「まぁ、だからってアタシたちの立場が変わる訳じゃない。そうよね?」

「あ、ああ。今の所、沙汰は無い」

「そ。こっちにも契約の話は来てないし……兵団そのものは存続?」

「そうだと思う。うん、きっとそうだ」


 少なくとも直ぐに食い詰め者を出すという心配だけはしなくて良い。

自らの能力を示している限りは用いられる筈だ。

努めて前向きに考えつつ、しかしながらユーリは改めて兵らに向き直った。


「急な話だ。皆、思う所はあると思う。余り無理を強いるつもりもない。

その上で諸君に尋ねたい。ドラゴンに仕えたいと思う者は、居るか?」


 返事はない。つい先日までの脅威と手を結んだと伝えられて、

直ぐに状況を納得できるような者など居ないようだった。

少年とて肯定を期待していた訳ではない。単なる現状の確認である。


「……解った。ただ、僕らも仕事はしなくちゃいけない。

兄上に何とか具申する。なるべく穏当な解決を図りたい」

「あの、結局どうなるので?」


 兵の一人が疑問の声を上げた。少年は腕を組んで考えこみ、それから答える。


「今の所、僕たちにすぐ出来る事は無い、って事だよ。

頭の上を飛び越えて兄上は敵と手を結んでしまった。振り上げた拳は宙ぶらりんさ。

……言っておくけど、僕だって納得がいかないし信用も出来ない」

「ヴォロフ様次第……でも、最近あまりいい噂を聞かないですよ。ウチの両親も」


 知らぬは己ばかりだったらしい。

その言葉に誘われたようにぽつりぽつり似たような意見が上がって来る。

無理に家屋敷を召し上げられただの、制限だの禁止が増えて困っているだの、

働き手を良く解らない拵え事の為に徴用してこき使っているだの。

為に、自分は兵にならざるを得なかったのだとヴォロフを非難する者すらあった。

成程。急に増員が成った理由はこれかと得心する。


 さはさりながら。兄弟とは言えユーリは剣でヴォロフに仕えているに過ぎない。

土地も財産も無い部屋住みだ。一方、兵らが今まで不満を口にしなかったのは、

言っても仕方が無い事だという諦め半分、兵になれば食えるという実利半分という所か。

見るからに悩み始める少年の姿を認め、はっとしたように兵らが居住まいを正す。


「ああ、いい。気にしないでくれ。皆の考えを知れるいい機会だった」

「そんな、滅相も」


 彼らを何とかしてやりたいのは山々だが、先立つものが全くない。

所詮は無力な子供か。自らの非力を突き付けられた格好だ。

せめて指揮官として、隊長としての務めだけは果たそうと少年が決意しかけた時。


「……何だ、こんな外れで通夜のような。ユーリ、ユーリ」


 呆れたようなウー=ヘトマンの声が投げかけられた。

顔に生乾きの泥粒を付け、足を引きずるような足取りで龍は歩いて来る。


「ウーじゃないか!どうしたんだ」

「どうしたもこうしたも……一段落したからな。様子を見に来た。

第一、 こっちの台詞だぞ。何だこの有様は。私がいない間にまたドラゴンでも来たのか」

 

 問われ、ユーリはあらましを搔い摘んで伝える。

見る見る内にウーは顔をしかめ、さも不快げに口を開いた。


「……ペルーンは狂ったのか?一体全体何を考えている。

無礼者に殴られたら殴り返すのが当然だろうに、尻尾まで振って」


 返答は何処までも乱暴で前時代的、かつ直截だ。

俄かいきり立つ龍に若干気押されつつ、ユーリは両手を上げて首を振った。


「そう単純じゃないんだよ。兄上はペルーンを豊かにしたいって」

「いいや、事の次第は単純さ。龍だからそいつが何を考えているのかも解る」


 ガン、と音を立ててウーは担いでいた鋤を地面に半ばまで突き立てた。

それから、集まる衆目をゆっくりと見回しながら後進に教えるような尊大さで続ける。


「要するにだ。乗っ取りに来ているのさ。

単なる腕力では上手く行かぬ、ならば取り入って我がものにしてやろうとな。

相手にとっても利益があれば表立って反論もされず、あれよあれよと掌の上。

甘言を並べ、利益を与え、都合が良いように動かす。解りやすい策よ」

「……言いたい事は解ったが、僕らに一体何が出来るってんだよ」


 ユーリの問いに少女は胸を張ると、何でも無い片手間仕事を語る口振りで続けた。


「館には入れるのだろう?なら、先手を打って殺してしまえば良い。

ペルーンの子よ。お前と私なら不意を打てばやれるぞ、多分な」

「何て事を言う……龍殿はペルーンの盟友だろ?」

「盟友ではある。然し、手下になったつもりは無い。友を害する不埒者は許せんしな。

だからドラゴンは殺す。心配せずとも、お前の兄上は助けるつもりさ」


 悪戯っぽい瞳で、しかしてにこりとも笑わずウーは排除を口にする。

けれども、ユーリは兄の断固たる姿を思い浮かべ、すぐさま複数の懸念を思いついた。

一発逆転を狙って理屈も捨てた大博打だ。邪魔だてとなれば弟とて容赦はするまい。

単純にドラゴン退治で事が住む話とも思えぬ。


「成功しても兄上との戦争になるな、間違いなく。ついでにペルーンが滅ぶ」

「今代のペルーンはそれ程入れ込んでいるのか」

「実際、兄上が仮装好きの童女趣味(ロリコン)とは思いもしなかった。ショックだよ。

昔の夢を叶えたがってる。理屈も通ってる。残念だけど、説得できそうもない」

「……ひょっとドラゴンめ、トチ狂ってお友達になりにでも来たんかの」

「知らないよ、そんな事」


 悪意があるならば謀略。利と道理を踏んでいるならば穏当な提案である。

だが、それで過去の遺恨がきれいさっぱり洗い流される筈もなし。

まして謝罪や償いの一つも無しに好き勝手と来れば鬱積するのも当然であった。

龍は衆目が集まっているのに気づき、瞳をゆっくり左右に動かす。

それから肩を竦めてさも残念そうに溜息をついた。


「はー、全く。どいつもこいつも雁首並べて貧乏臭い不安顔しおって。

ペルーンからの流れ者連中とそっくりな面構え」

「ちょっと待てお前今なんてった」

「貧乏くさい辛気面」

「違うそっちじゃない。というか何だ無礼な、兵の前で僕を笑いものにする気か」

「くく。ちと冗句が過ぎたか。ま、緊張も解れたろう。流れ者の事?」


 そうだ、と答えるとウーは担いでいた荷物を地面に放り出す。

かつての装束を知らなければ丸きり田舎娘そのものであるが、そこは年経た龍。

よっこいしょ、と何とも年寄めいた呟きを吐いてから語り始めた。


「どうもな。村方が言うには少し前からちらほら見かけてはいたらしい。

百姓が土地から逃げるなど理由が解らなんだが、事情を聞いて得心した。

ん、何だ?心配は要らぬ。遅くなった理由をご覧じろという奴よ。

奴らは私の民として保護して……何だその顔は。そんなに意外か?」

「それだ!!それで行こう!よく考えたらお前、土地持ちの領主だったじゃないか!!」

「……何が言いたいか良く解らんぞ?」

「丸く収める方法を思いついたんだよ。ペルーンから離れるものをウーが保護すればいい」

「土いじりと小屋掛けで忙しいのだが……人が増えるとのぅ」

「領主でペルーンの盟友だろ?僕も手伝うし、来たものも働く。皆はどうだ?」


 畳みかけられて困惑するウーを余所にユーリは兵達に振り向いて言った。

口々に生活への不安が述べ立てられるが、殆どは取り合えず食いつなげれば良いらしく、

何やら思案しているらしい者も居るが考え込むばかりだ。

一方、冒険者たちは何事か内輪で話し込んでいる。

はしゃいでのぼせ上がる少年をウーは口をへの字に曲げて眺めていた。


「まるで無心を泣きつく都の学生よな」

「言ってくれるじゃないか……どこだって人手は必要だろう」

「その辺りはゴザクと相談になろう。急に増えても対応できるか知らむ。

飯、水、住むところに衣。全く、人間と言うのは見る面倒が多くて」

「嫌そうには見えんぞ」

「龍とて盟友に良く見せたいぐらいの見栄はある。知らなかったのか」

「これから一杯見せてもらう事になる。楽しみにしてるよ」

「ふん、調子に乗りおって、人間め」


 と、エイブリーがユーリに向かって歩み寄って来る。


「ねぇ、ユーリ君。私たちは良いとして、都からの兵はどうなるのかしら。

ヴォロフ様は追い返しそうな気がするんだけど」

「あ、そうか。兵が浮くのか……君等は何か聞いたりとかしてないのか?」

「それが何も。勿論、ストロングウィルからもね」

「気にはなるけど……聞いておくからそっちでも確かめて貰えないか?」

「手紙は出してみるけど期待しないでよ。時間もかかるし……あ、ごめん。

話の腰折っちゃったね、うーちゃん」

「だからその呼び方は止めろと言うに。ま、どちらでも良いのではないか?

仕事が無いと解ればすぐに帰ろうさ。それより」


 そこで言葉を切るとウーは居住まいを正す。


「問題はヴォロフの奴だ。何時までもその場凌ぎとはいかんぞ?

盟友としては即刻ドラゴンとの縁は切って欲しくあるが。

一つの土地に二つの龍は要らぬしな」

「……そう、だな」

「そう申し訳なさそうな顔をするな、ユーリ。

少なくともお前に原因がある訳ではないだろう。ほれ、お前らも。

小さきペルーンには恩義がある筈ではないか。それすら忘れ、心を惑わせてどうする」


 ざわつく兵の前でウーは更に言葉を続けた。


「逃れ流れて右往左往したいのならばそれも良かろう。

しかし、お前達は冒険者でも無ければ商人でも無く、他の土地からの旅行者でもない。

お主等はここさ。別の何処か、何処にでも行ける誰かとはいかん。

ペルーンの兵であり、ペルーンの民であるなら少し頭を冷やしてみよ。それに」


 龍は肩を落としたユーリの肩を支えて立たせてやると、言葉を区切る。


「事実が明らかになっただけだ。全てが失われた訳でもあるまい。

にも拘わらず勇気すら失っては出来るものも出来はせん」

「ウー……すまん、有難う」

「なぁに、これから忙しくなるのだからな。少しは恰好をつけても問題無かろう。

ユーリ=ペルーン、私の小さき友よ。呆けてる暇は無いぞ。さ、立ち上がってくれ」


 促されてユーリ=ペルーンは決意する。

ともあれ、再び忙しくなる事だけは確かであった。



/



 ヴォロフ=ペルーンは一枚の手紙を前に眉を顰めていた。

署名はシャルヴィルト。要件は予定通り兵隊を送ると言うものだ。

指で目元を抑えつつ、男は先日送った断りの書状を思い出す。

兵の護衛付きで送り出した正式なものである以上、問題があったとは考え難い。

と、すれば何らかの思惑があって送り付けようとしているのだろう。

問題はそれがさっぱり解らない事だが。矯めつ眇めつ、書面を舐めるように検める。

そうしていると、細面の男が脇からのぞき込んだ。


「フム、流石長い腕でございますな。ご友人殿」

「フェレス、何か知っているのかね?」

「ええ、勿論でございます。恐らくはこちらの動きを察知したのでしょう。

表向きは冒険者の元締め、その実は皇国の暗部の一つ。それがあの女でございますれば。

何か良からぬ事を企んで、無理にでもねじ込むつもりなのでしょう」

「その良からぬというのが解らなくてな」


 戦力というよりは政治的な思惑が絡んでいるのだろう、と判断する。

丁重にお帰り頂くのが最善であろう。さてどうするか。

こんな辺境の小貴族如きに大層な申し出だが有難迷惑には違いない。

理屈の方向性を思案しつつ、ヴォロフは彼方の人へと思考を飛ばす。


「……いずれにせよ手下が居れば口出しも出来る、か。しかし、えらく早いな」

「ええ。先程、サロメ様より便りを頂きまして。

本拠に彼らの間者が来たとかで、丁重に持て成して返したそうです」

「殺したのか?」

「まさか。言葉通りですよ。あの長虫に茶々を入れられると面倒なので」

「それはそうだな。その一件も原因だろう。全く、お上はこういう時だけ早い」

「然様でございます。最も、文句のつけようも無き事なれば。弟君の事は気にかかりますが」

「ユーリか……全く。困ったものだよ。兵を預かっているのだから」


 ペンを放り出すとヴォロフは頭の後ろ掌を組んだ。

当人の自覚は兎も角として、兵馬の権というものは極めて重い。

聞けば、先日オーソドクの隊と危うく切り結ぶ所だったらしい。

相性が悪いかもしれない、と思い試しに共同させたが結果は大失敗だったという訳だ。

余りにも軽率な振る舞いであり、当主としては決して見逃す事は出来ぬ。

必要な仕事であり、やってもらわねば困るのだが──傍らからフェレストスが囁く。


「兵を取り上げるべきでは?」

「あいつ以上にうまく使えるものがいない。外に頼り切りという訳にもいかんしな。

しかし、独断専行と身内争いはいただけない。何かしら処罰すべきなんだよな」

「ええ。御身内だからと不問に済ませれば禍根を残しましょう」


 柔和に微笑むフェレストスにヴォロフは息を吐き出す。

とんとん拍子に段階を進めてきたが、ここにきて人財の不足が足を引っ張っている格好だ。

ペルーン領の立ち遅れを改めて自覚しつつ苦笑いを浮かべる。


「君らほど優秀な連中が揃っていたら良かったのだが」

「豊かになれば人が増え、登用できる人材も増しましょう。それまでの辛抱です」

「ああ。だから一刻も早く領を立て直さねばならん。少々の不都合は予想の内さ。

さて、何の話だったかな?ストロングウィルの兵の話か。ユーリの処遇も考えねば。

全く、諸君らには頼り切りだな」

「ご主人様のご友人とあれば主も同じ。誠心誠意仕えさせて頂きましょう」

「期待しよう。さて、まずはユーリの件だが暫く謹慎でもさせる他ないか。

全く、余りに貧乏だと取り上げる財産も無い。兵権の濫用は重いが、

さりとて鞭打ち打擲、晒刑は体面に関わると来た」

「では、そのように。書状はこちらで」

「ああ。沙汰は私からも申し付けよう。使いの者を送っておいてくれ。

ストロングウィルについては精々こき使ってからお帰り願うとしよう」


 ヴォロフは役人を呼びつけると沙汰の作成を命じる。

そして、それで面倒事は終わりだとばかりに思考を切り替え、フェレストスに向き直る。


「土地の接収は順調なようだが次の準備は出来ているのか?」

「勿論でございます。既に工場の建設を開始しておりますれば。

この分であれば一年とかからず完了しましょう。

製糸に鍛冶場、木材加工に市場の拡充。万事滞りなく。

予算についても私めに秘策がございますからな」

「しへい、だったか?あんな紙切れが良くもまぁ。まるで錬金術よな。

持ち込んだ機械のお陰で幾らでも作ることも出来る。進む限り尽きぬ富だ。

実にお前達は賢い。今じゃ棚引く黒煙が勝利の証の様に見えるよ」

「どのような才覚も用いられなければ無用の長物です。全てはご友人様の寛大さのお陰で」

「まぁ、良かろう。ところでシャロムはまだ戻って来な……」


 言いかけた所でバタン、と音を立てて扉が開いた。

それは得意満面の笑みを浮かべた少女──

否、ドラゴンである所のシャロムであった。

興奮に小鼻を膨らませ、口いっぱいに詰め込んだ話の口火を切ってやろうと

今か今かとうずうずしている様子。


「ヴォロフや、今帰ったぞ!聞いてくれ。忍び共めの間抜け話を仕入れて来たのじゃ」


 言うなり駆けてくるシャロムに苦笑しつつヴォロフは椅子を勧めた。

座るや否や持ち戻った自慢話を開陳しようとする様子はまるきり子供だ。

これで素直に掌で転がってくれれば尚の事、といった所だが淡い期待めいた感情は

雨あられと身振り手振りを交えた言葉に降りこめられて中断する。

む、とシャロムが動きを止めた。じろじろと男の顔を眺めて片眉を吊り上げる。


「どうした。魂が抜けておるぞ」

「いや、済まない。少し前までは考えられない程充実しているからな。

幸せ過ぎて気が緩んでいたんだろう。君のお陰だ」

「嬉しい事を言う。ふふふ。忙しいのは良い事じゃ。

しかし、焦慮し過ぎるのも体に悪い。人は脆弱じゃ。

ほれ、何をしておる。とっとと菓子でも出さぬか」


 仰せのままに、とフェレストスは部屋を出る。

その後ろ姿を見送りつつ、ヴォロフは改めて室内をぼんやり眺めた。

急ぎ都から取り寄せた新しい調度は古臭い石造りとは如何にも不釣り合いではある。

とは言え、まずは手近から理想を模索しなければ始まらない。

既に館も敷地の一部から改装を進め、どんどんと形は出来上がりつつある。

これは一時の仮住まい、と思えば我慢も出来ようというものだった。


つらつらヴォロフが考えていると、盆の上に菓子皿と湯気を立てるポットを乗せて

フェレストスが部屋へと戻って来た。

傍らの机に人数分を設えると細面の執事は男に耳打ちする。


「ご友人殿」

「どうした。菓子の準備は済んだし、今日の仕事はもう終わっていた筈だぞ?」

「いえ、別件です。館の前で乞食が喚いておりまして」

「摘まみ出せばいいだろう」

「弟君と知り合いだと。他にも良く解らぬ戯言を叫んでおります」


 その言葉にヴォロフは小柄な隻腕の薦被りを思い出した。

時折、子供相手に手品だの占いだのをやっている流れ者だ。

金の匂いを嗅ぎつけて早速商売にはせ参じたのかもしれない。


「ああ、アレか。最近、焼けた市場跡に住み着いてた奴だ。

時々ユーリの奴と話してたから覚えてるよ。早く摘まみ出してくれ。

態々、見苦しいのを館に招く理由も無いからな」

「では、そのように。オーソドクに申し付けましょう」


 言って席を外すフェレストスを後目に、シャロムが早速菓子に手を付けた。

薄焼きはパリパリと音を立てる。ドラゴンと言えど美味い物は好きらしい。


「すげない。話ぐらい聞いてやっても面白かもしれんじゃろう」

「冗談を仰る。折角のゆったりとした時間が見苦しくなるよ。流民の戯言」

「ハハハ、そうじゃな。確かに考えてみれば臭いそうじゃ。

折角、館の掃除も済んだというに軽率じゃった。壁か柵でも作った方が良いかも知れぬな。

邪魔者、与太者に入り込まれては興が削がれていかん」

「俺の城という訳か。やる価値はありそうだ。手伝ってくれるか?」

「妾の趣味を出してよいならばな」


 言葉を区切ると、シャロムは其処らにあった書状の裏に

意外にも達者な図を幾つも書き始めた。

石造りの大きな壁、そこに備え付けられた弓狭間や石くれ、油壷。

その後ろ側にあるのは投射機の類だろうか。

複数に重ねた壁や多数の兵舎を備えている様などは殆ど城塞都市である。

興が乗ったらしく、精緻な図面に幾つも逆茂木を植え始めた段になってヴォロフが遮る。


「予算の都合があるぞ?口を出すなら金や手を」

「解っておる解っておる。ぱーとなーじゃもの。無下にはせぬ。

が、投資と言うならば利点を述べて貰わねばな。防衛設備というのは儲からん」

「困ったな。思いつかない」

「金を出すなら作ってやってもいいぞえ?困れ困れ。取引は成るまではタダじゃ」

「手厳しいな……」


 自らも焼き菓子を一つ摘まむとヴォロフは口に放り込む。

もぐもぐと口を動かし、行き詰った話題を転換すべく頭を巡らせる。


「仕事の話ばかりと言うのも色気が無いな」

「では、忍び共の間抜け話でもしてやろうか」

「ああ、ストロングウィルの」

「うむ。シャルヴィルトの婆、もとい、奴の手勢の話じゃ。

奴も今の今まで妾の事を良く知らなんだようじゃからな。連中と来たら!

まるで大戦中の斥候兵よ。人を悪魔か何かと勘違いしおってから、無礼者共じゃ。

……まぁ、お主は妾の事を人間か何かだと思っているかもしらんが」

「実際、勘違いしそうになるよ。利発な娘さんだと」

「ふん、小娘扱いは脇に置く。形が似れば心も似通って来ようさ。

実際、人と交わる人外の者も少なくないのじゃ。有名無名の別なく、の」

「そうなのか?噂には聞いていたが、与太話の類だと」

「当人共が隠したがっておるのじゃ。目立つ事を嫌うものが多いからのぅ。

お前の所にも龍がおるじゃろう。伝えがあれば事実あり、じゃな。

ま、仮にこの土地が豊かになればそう言った連中と顔合わせする事も増えようさ」

「覚えておこう。しかし、人間とは違うと言っても利害が一致すれば共存できる」

「妾とお主が良い例じゃな。金と発展は異なるものを結び付ける魔法の業じゃて。

ああ、そう言えば気になっておった事が一つあっての」

「ん、何かな」

「この館、えらく女ッ気が少ない。奥の一人もおらん。いい歳じゃろうに」


 その一言にむぐ、とヴォロフは焼き菓子を思わず喉に詰まらせる。

実に痛い所を突かれた。見合いを薦められ、忙しさに断って来た苦い記憶がよみがえる。

げほげほとむせ返りながら薬湯を啜る様子にシャロムがさも面白そうに笑う。

両手で橋を作って足をブラつかせ、それからにやにやしながら口を開く。


「本当に面白い奴じゃ」

「大人の男をからかうもんじゃない」

「いかんか?それとも女が怖いとか。そりゃあ妾も女よ。ならばお前が恐れるのも解る」

「……ご主人様、お戯れが過ぎますぞ?」

「ちぇっ、教師ぶりおって」


 何時の間にか戻って来たフェレストスに諫められ、シャロムは唇を尖らせた。

それから見上げるように悪戯っぽい目でヴォロフを覗き込む。


「ま、こう窶れていては魅力に欠けるというのは否めん所じゃ。

ほれほれ。領主というに顎に頬に骨が浮かんでおる」

「苦労が多かったものでね。最近、漸くまともな食事と言うものが理解できた位だ。

きちんと毎食肉も食えるようになったのは素直に嬉しい」

「……妾が言うのもなんじゃが、良くもっておったな」

「ああ。感謝している。全く、ユーリの奴も現実を理解すりゃいいのに」


 言うと、ヴォロフは体を椅子に預ける。

彼は遥かな未来を思い浮かべながら、ひと時の休息を楽しむ事に決めた。



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