第3話 ノートルダム鐘八

「おかしい……」


 俺は思った。 もともとサキの作家デビューについては疑念を持っている。 ほんの数ヶ月間の在籍だったがサキの小説は文芸部で読む機会があったし、部長として幾つかのアドバイスもした。


 率直に言うと小説家としての彼女の才能は卓越したものだ。

  何よりサキ自身のあの強い気持ちを以てすれば小説家の夢をきっと成し遂げてしまうだろう。 彼女の眼差しに宿る光にはそれだけの説得力があった。


 しかし商業作家の世界は決して甘くはない。 大手の出版社が小説家志望の高校生をそうそうプロとして執筆させるものだろうか?

 俺が彼女が上京するのを支持したのは彼女自身がそれを強く望んだから。 そしてその困難を乗り越えるだけの決意を感じたからにすぎない。

  反対したところでそれを止める術など無いのだ。


 そうこう思案しているうちに一週間が過ぎ、サキから俺宛に葉書が届いた。


───

拝啓 お元気ですか?

 先輩との約束通り、お便りします。

あの後、私は上京し木戸出版を訪れました。

 それから紆余曲折がありまして、ここでは割愛しますが、とにかく私をスカウトした能登のと編集長との話し合いの結果、メキシコに行くことになりました。

  初海外っ! いい小説が書けるかな?


追伸 : ひとまず私、来年からプロレスラーになるみたいです

───


「… … …。

 はあああぁぁ???」


 あっけらかんとしたトーンで綴られた予想外の文章に俺は思わず声を漏らし、部屋の椅子から滑り落ちた。


「いや落ち着け。まずはこの能登のとって編集長だ。いったい何者なんだ?」


 俺は早速ノートPCを開きその名前を入力した。


「木戸出版 能登 編集長・・・・・・だっけ?」


 するとそこには意外にもたくさんの情報が溢れ、この人物についての【まとめサイト】なるものまで作られていた。


─── 


【ノートルダム鐘八しょうはち

 本名、能登 鐘八のと しょうはち。 日本のスポーツライター。プロレス専門週刊紙「週刊キドクラッチ」(木戸出版)編集長。

 出版業界において幾多のヒットを手掛けてきた伝説的仕掛人。

 スポーツ雑誌のルポライターとしてプロレス、総合格闘技界の数々の名勝負をレポートしてきた。

 格闘技分野における人脈の広さは業界ナンバーワンとの呼び声が高い。

───


「葉書にあったプロレスラーになるってのと関係あるのか? 益々わからんぞ!」


 疑問が疑問を呼びいてもたってもいられなくなった俺は、翌日には木戸出版に向かうべく新幹線に飛び乗っていた。


─── 


【木戸出版】

 多くの有名作家を輩出する業界屈指の出版社であり、その出版物は文芸、実用書から週刊誌まで幅広い。 最近ではアミューズメント分野にも進出する総合メディア企業である。

───


「へへへぇぇ~。受付に制服着た学生さんが俺を訪ねて来てるって言うから会ってみたら。

 おたく? 【十黒木 咲】の保護者ってのは?」


 目の前のソファに、【まとめサイト】に書かれていた張本人、【ノートルダム鐘八】がどっかり座って俺を見ていた。


「保護者は言い過ぎましたが同じ学校の部活に通っていた者です。

 ……彼女は今どこに?」


「さぁ? 俺も忙しい身でね。

 嬢ちゃんはまだ未成年だからうちの社宅に仮住まいしてるよ。

 来月からの海外研修の準備でもしてるんじゃないか?」


「……その未成年を相手に【伝説の編集長】っていわれるいい大人がおかしな話を持ちかけるのは何故なんですか?」


 俺はメガネをクイッと持ち上げ、目の前の男を睨み付けた。


「……クックック。

 いい~目だねえ。迷いも混じりっけもねえ純粋な光だ。

 嬢ちゃんもそんな感じだったなあ。

おたくら兄妹? それとも恋人?」


 鐘八はソファに深々ともたれかかった。


「出版社ってのはなあ、毎日ファンレターや作家志望の持ち込み、就活の履歴書やらどっさり郵便が届くんだ。 もうヒッチャカメッチャカよ」


 煙草をくわえながら懐のライターを探すその腕はがっちりとしていて、長髪を後ろで束ねた風貌はさながら野武士のようだ。


「木戸出版は来春に新しい女子プロレス団体を立ち上げる。 俺はその総合プロデューサーって肩書きなんだけどよ。

 今や出版業界ってのは不況の真っ只中。 会社の新たなメディアミックス戦略ってやつ。

 でもって将来のエースになる金の卵を募集してた矢先に、【十黒木 咲】のプロフィールが俺のデスクに紛れてた。

 小説部門に送られてきた書類が手違いで届いたんだがよ」


 タバコの臭いが服にまとわりつく。 俺はあからさまに不快な表情をした。


「一目見てビビっと来たねえ。 長年の勘てやつさ。 俺の推薦で新団体のデビュー一期生として引き抜いたってわけ」


【ドンッ!!】


俺は机に手を叩きつけた。


「そんな世迷い言のためにサキは学校辞めたってのかよ!」


「……まぁ待て。

 【小説家なんて吐いて捨てるほどいる、叶わない夢なんぞよりよっぽどいい話だ】そう伝えたんだ。そしたら嬢ちゃん何て言ったと思う?」


「?」


「【一歩近づいた】だってよ。

 そして、【部門は違っても出版社、小説家の夢が絶たれたわけじゃない】って笑ったんだ。

 俺もそん時ゃ言葉が無かったよ」


【サキ……どんなメンタルしてるんだよ】


「その後、雇用契約書を読んだ嬢ちゃんから希望があった。

 細目に書かれてた海外研修、これは新人レスラーの登竜門である海外武者修行って意味なんだが……。 それに行きたいって言い出したんだ。

 【小説を書くための見聞を広げたい】ってよ」


【あんまりだろ……。

 夢に近づくまではいいとして、海外武者修行? そしてプロレスラー? 無傷ですむと本当に思ってるのか?】


「嬢ちゃんはおめえが思ってるよりずっと大人だし真剣だ。

 部活仲間なんざ出る幕ねぇよ。さっさと帰りな」


 鐘八の言葉がリピートする。

 その通りだ。 何のリスクもなく安穏と暮らす俺が夢に向かって進もうとするサキに何を進言できるというのか。


「……いや。ある」


「は?」


「業界に幅広い人脈を持つノートルダム鐘八。 そして海外にも支店ネットワークがある木戸出版の力があれば、未成年の高校生を研修生としてメキシコに送り込むことだって可能……だよな?」


「ううん? まぁ……。

そういうことだ。嬢ちゃんの面倒は心配ないから……」


「違う!」


「へ?」


「俺だ。 新団体の立ち上げには人手が必要だろ?」


「ぷっ!バァカ言うな!

 ボンボンの兄ちゃん一人、何で会社が面倒みなくちゃならん! 何のメリットもねぇだろがよ!」


「自費渡航だよ。 滞在許可のサポートだけして貰えば結構だ!」


「……お前、正気か?」


「本気で生きたいなら正気なんて意味ない」


 鐘八は額にうっすらと汗が滲んでいた。 気がつけば自分の半分も生きていない少年に気押されている。


「……まいっちまわぁ。この世でイカれてるのは俺だけかと思って来たけどよお。

 嬢ちゃんといいおめぇといい、ずいぶんピントが外れてやがらぁ」


───


 こうして俺はメキシコシティにあるレスラー養成施設で留学研修生として海外生活を始め、それから間もせず同じジムでレスラー修行をするサキと再会する事となる。


「!!あえ? シンジ先輩っ?

なんでここに!」


「お前が夢を追うように俺にだって追いかける物がある」


「???」


「俺のことはどうだっていいだろ。

 それより聞いてた話と全然違うじゃないか。プロレスラーなんて職業、俺は認めないからな」


「ええっ? だけどここに入塾したってことは、先輩もレスラーになるって事なんじゃ……」


「ああ。渡航費で貯金の大半を使っちまった。 ここで生活していくためにはこれしか無い」


「そんな……、先輩と一緒……」


「リングネームも決めてある。

 ジンノシンジ、短縮してジンジ。日本人サラリーマンレスラーのジンジ・カチョーってのはどうだ?」


「……ジンジ……カチョー……?

 ふふっ。高校生の先輩がサラリーマンって……面白すぎ!」


「俺は本気だぞ? レスラー目指して一からスタートだ! 文芸部の部長から格下げして課長になっちゃうけどな」


── それから数年後、悪事の限りを尽くす二人のルード(悪役レスラー)、【暗黒淫夢】「ダークソウル・サキュバス」と【最強経済生物】「ジンジ・カチョー」がメキシコシティーのマットを席巻することになるとは、誰も予想だにしていなかった。

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