1-㊲

 かけるはソファに腰を掛けて、机――いや、未音からもらった鍵と向き合う。

 不意に頭に病院で見かけた純一と薫の姿が浮かべる。彼は頭を振ってその映像を消そうとする。

 未音が言う金曜日は明日だ。

 彼女の話には二つの疑問があった。一つ、彼女が十年と言ったこと。もう一つ、水色の花畑のことだ。

 かけるは首を傾げる。十年前は五歳の事だ。彼女が言いたかったのは、あの時二人でとある花畑に遊びに行ったということなのか。

 彼女の顔に嘘を感じれなかった。一方的に疎遠されていると思ったのに。もしかして何かを忘れたのは自分の方なのではないか、と思えば、大事なことだったら最低野郎ではないか。


 忘れようとしていた過去の記憶の断片が次々と走馬灯のように浮かぶ。


 体育座りしてぼーっと空を見上げて、雲の形で空想する。

 ――ねえ、早く行こうよ。

 振り向いたらそこには女子達が楽しそうに笑っていた。彼女もいるのに自分に一瞥もくれずに、まるで自分は存在しない……いや、ように。


 違う、これじゃない。もうちょっと前だ。


 ――かける!

 幼い彼女が嬉々として走ってくる。掌に乗せているものを見せる。


 ああ、これだ。――水色の花。


 ――きれいでしょ? わたしがみつけたよ!

 どこで見つけたの? と彼女に聞くと付いてきてと手を引かれた。




 曖昧な思い出に導かれ公園の小道を通ると、自然の風景が目の前に広がる。タイムスリップしたのかと勘違いするほどに緑色が染まる環境だ。

 花畑を見つけ出すのは困難ではなかった。水色は緑色の中で目が惹かれてしまう。

 かけるは蹲って花弁に触れる。小柄で可憐な花の脆弱なイメージがそのままで、丁寧に扱わなければならないお嬢様みたいだ。


「ワスレナグサって言うの」

 鈴のような声。立ち上がってかけるは後ろに向けると、未音は嫣然と笑う。

「来てくれたんだね」

「……ワスレナグサ?」

「かける興味あるの? 昔は知らなかったもんね……」

 伝説では一人の男がこの花を見つけて、恋人に送ろうと花を摘むが川に落ちてしまい、恋人にこの花を投げて彼女に“私を忘れないで”と残したそうだ。“勿忘草”とも書かれる。


「花なのに草って呼ばれてて変だよね」

「そうだな」

 私を忘れないで、か。

 自分には、何かを忘れてしまったようだ。

 かけるはポケットから彼女に渡された鍵を取り出す。「……この鍵は?」


「これ」と未音は背中に回した腕を前にして、その掌に木箱を乗せている。木の色であるが、やや黒を帯びる茶色の表面と土が付いているので、掘り返したものだと思われる。

「これは……タイ……」

「タイムカプセル」と彼女は彼を遮った。そして小悪魔っぽく笑った。「なーんてね」

「え、違ったか」

「……ううん、違わないよ」と未音はかけるに聞かれないように囁いた。彼が首を傾げて自分を見るのを感じて慌てて言う。

「と、とりあえずその鍵を使ってみて?」


 鍵穴に合わせて回すと、パカッ、と蓋が弾いた。中には一本のかんざしが眠っている。

「こっ……これは……ッ」

 かけるは言葉を失った。土に埋められたとしてもきらきらと輝く銀色の簪に小さな花が飾り、五枚の花弁は青色でダイヤのように煌めく。これは、かけるの母親――彼女がかけるに送ったものだ。

 咄嗟に沢山の感情が胸に押してくる。


 忘れたもの、忘れたかったもの、忘れてしまったもの……。少女と遊びに行ったこと、最後に見た母親のこと、葬式で父親の言葉のこと、一人になったこと、新たな出会いのこと……何だろうと全ては一気に湧いてくる。


 気付いたら涙が零れて、手がぎゅっと握られている。横を見ると彼女と目が合ってしまう。未音は下に向ける。

「ごめんね……、今までごめんね……」


 頬を撫ぜる春風の暖かさに包まれ、花の匂いと日の眩しさで眩暈さえ覚えた。

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生と死の境界線:目撃者のナイフ ここのか @huuhubuki

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