1-㊱

「まだッ彼女に会えないんですか!」

 純一は病院の廊下でナースに吠えた。

「申し訳ありません、開口さんはまだ目が覚めていないです」

「俺が行けば起きてくれるかもしれませんよ!」

 何言ってんだよ、とかけるは心でツッコミを入れたが、彼が焦ってしまう気持ちは分からなくもないのだ。


「ああ、若い探偵さん、ええと」

 女性の声にかけるは振り返る。そこに開口玲子が小走りで近寄ってくる。

「椿原です」とかけるは答えた。


「ばあさん! 薫が……、薫が……」

「分かってるわよ。純一君、落ち着きなさい。椿原君、一体全体何があったの?」

「……開口さんは、冷静に聞いてられますか?」

「薫に何が起こっているのか、母親の私に知る権利があると思うわ」

「そうですね……」


 かけるは語り出した。

 純一が薫に気をかけていること、彼女が抱いている感情が徐々に歪んでいったこと、彼を尾行していたこと、――そして、同級生、男、綾野を殺害したこと。

「そん……、な……」パタッ、と玲子が血色のない顔で椅子に座り込んだ。「嘘……よね……? ねえ、椿原君。薫は良い子よ。ちょっと笑うのが苦手なだけで、根は良い子よっ……」

 かけるは冷ややかな目で彼女を見る。

「……あなたは、娘のこと一つも分かってない。あなたの知ってる薫さんはもうこの世にいない」


 純一は拳をぎゅっと握った。彼は静かにかけるの話を聞いていた。

 薫が求めていたのは最初から優しさなんかじゃない。……愛だ。

 愛を知らない少女は、優しさを履き違えた。そして、それを依存してしまう。

「わ、私は一体どうすれば……」と玲子は顔を両手に埋めて嗚咽した。


 かけるは隣でオロオロするナースに言う。

「すみません、もし彼女が起きたら連絡してくれませんか」

「あ……、はい、分かりました」

「どこに行くんですか」と純一。

「帰ります」

「え……」

 純一は口を開けかけるが、彼を止められなかった。いや、止める理由はないのだ。かけるの背中を見送り、玲子の隣で脱力して座り込んだ。


*


 開口親子が住むアパートは静寂に包まれる。

 薫は罪を問われるだろう、とかけるは虚無感に襲われる。が最期に辿った部屋に足を踏み込み、彼がここにいたことを想像する。

「すまんな……、あんたのために何もできなくて」

 ふわっと半透明な男――綾野は普通の霊の姿で現れる。彼は頭を振った。

「薫さんのことは……心配するな。きっと乗り越えられる」

 綾野は頷くと、かけるに頭を下げた。


 かけるは更に前――綾野が倒れた場所である寝室へ進んだ。ドアは開けられていて、かけるは入った。明らかに薫の所有物である教科書や服が、一週前と全く違わない状態で放置されている。

 ゆっくりと彼女のベッドに近付けるかける。たった一体のクマのぬいぐるみが枕に寄り添っている。かけるはそれを抱き上げると黒く光る両目は寂しさを感じさせる。

「お前、ずっと一人だったな」

 無言で、かけるを見返す。


*


 鞄を抱えて、かけるは大通りに出る。赤と明滅する信号灯の前に駆け抜ける車の残像から、前日よりも増えた花束が見える。

 青に変わりかけるは道を横切る。

 右手に握っている買ったばかりの花を添えて、かけるはボソッと小声で言う。

「……見つけてやったぞ、浩」

 信号灯が変わり、背後に駆ける車が起こす風が強く吹く。

 花は風の中でゆらゆらと揺れて、花弁が空に舞う。




 唐突に鳴り出したスマホの画面に着信が来たのだが、名前が表示されていない。かけるは電話に出る。

「はい、椿原です。……そうですか、目が覚めたんですか。いや、俺が行く前に彼女にこう伝えてくれませんか」


*


 薫が入院された病室の外に着けると、玲子がいた。彼女は彼に気付き席を立った。

「つっ、椿原君? どういうことなの? 薫に会うなって……」

「ええ。俺が来る前に会って欲しくないです」

 コソコソとかけるは鞄から紙袋を取り出す。「これを薫さんに渡して仲直りしましょう」

 玲子は袋を受け取り中身を確認する。「こ、これは……」

 クマのぬいぐるみだ。

「開口さんが作ったでしょ?」

「な、なんでそれを……」

「細かいことはいいんで、行ってあげてください」

 彼女の目に涙が溢れて、かけるにありがとう、と言った。




 かけるは純一と並んで帰り道を歩いだ。

「色々とありがとうございます」と純一は言った。彼の顔から焦りも怒りも薄くなってかけるに微笑んだ。

 かけるは答えなかった。

 二人は夕日の橙色に染められて、長い影が地面に差す。

「まだ、終わってませんよ」

「分かっています」


 ――“今まですまんな……薫の気持ちを気付いてあげなくて”

 何故今は病院で彼が幼馴染にかけた言葉を思い出すのだろう。

 何故あの時、純一は泣いてて、薫は彼を触ったのだろう。

 ――理解できない。


 かけるは足を止まった。純一も彼を倣った。

「椿原さん、あの」と純一が言う。

「もし良かったらさ、友達になってくれないか」

「友達ですか。無理です」

 きっぱりと断られ唖然とした純一を残して、かけるは再度歩き出した。ああ、でも、と彼は続いた。

「悩みがあれば聞きますよ」と振り返らずに夕日を目指していった。


*


「よう、調子はどうだ」

 見坂は病室の一室のドア枠に肘をかけて女性――植田江実に言う。

 江実は笑顔を浮かべて彼を招き入れる。「お陰様でだいぶ良くなりました」

「前回もそう言ってなかったか」

「そうでした」ふふ、と彼女は軽く笑った。「刑事さんの方こそ、どうでしたか」

「順調だ」

「達也を殺した犯人、見つけましたか?」

 ぎらり、とか弱い女性が放てると思えないほどに殺意が満ちた視線が、見坂に投げる。

「……ああ、捕まえたぞ」

「そうですか」

 彼女が淡々と言ったのは予想外だった。


「名は聞かないのか」

「いいんです。知ったところで私は何もしません。この子のため……」と彼女は腹を撫でる。「もうちょっと前ならナイフを持ってそいつを探し回ってたかもしれませんが、なーんて」

「おいおい、笑えないぞ」

「ふふ、すみません」


「で、あんたはこれからどうするんだ?」

「どうもしませんよ。いつも通りで過ごします。でも、いつに経っても彼が居ないことは慣れないですけどね」

 彼女はぽつりと言うと、窓に顔を向けて外を眺める。

 いつまで経っても彼女は声を発しないので、見坂はハンカチをベッドに置いて、震えているように見えた背中を残し、静かにこの場を去った。

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