1-㉞

 あの夜から、ナイフと共に薫は二度と姿を見せていない。


 指を絡んで頭をその上に乗せて真琴の部屋にいるかける達。

 つまり、と見坂。「翌日で同じナイフで綾野を殺害した犯人は、開口薫、もしくは――開口薫を殺害した犯人、になるか」

「ややこしいですよ。自称通り魔のホームレスを殺した薫さんを殺した名も知らない誰かが殺した綾野とか。まず薫さんを見つけたら物を言いましょう」


「もう捜している」

「いやぁ、薫さんが殺されるとかマジで勘弁して欲しいですよね。まあでも彼女が亡くなっていたら大好きな桑下さんの周りに現れるはずですから、まだ生きてるのかもしれません。というか綾野と薫さんの繋がりはどうですか?」


 最後の一言は真琴に向けて言った。

「T――綾野が話していた相手は、薫さんですよね? IPアドレスでとっくに分かったことでしょ。早く教えてください、二人はなんて話してたんですか? 愛してるとかは要らないんで」

「うるさいわね、ちょっと黙ってて。二人の会話が思ったより量が多いのよ」


 かけるは肩を竦めて、残った二人に聞く。

「見坂さんと犬井は何か飲みます? 朝霧さんが用意してくれてるはずなので」

「ちょ、椿原くん、勝手に取らないで!」

「じゃあ俺はカフェオレで頼む」

『りんごジュースでお願いします』

「た、隊長と犬井さんまで!」

「いやー、喉乾いたからなー」


 彼らが閑談する声を後にして、かけるはキッチンを向かう。滅多に使われない白色のキッチンは日当たりがよく、清潔な印象を与える。かけるは冷蔵庫のハンドルに手を掛けようとするが、唐突に動きを止めた。


 もや、もやとした暗黒物質は徐々に空間を満ちていく。かけるは振り返らずに言う。

「あんただろ? ……綾野達也」

 靄――フォグは日光を遮る。

「俺を襲った……いや、記憶を見せようとしたのもあんただったよな。あんたからは悪意を感じなかった――」

 かけるは振り向ける。フォグの核として霊の本体はただ黒に塗り潰されたのだ。


「――生きたかっただけだろ?」

 フォグは止まった。何も返さず――いや、返せずに、静かにかけるの話を聞いていた。

「そして恋愛対象ではないはずの、ネットで出会った薫さんに、殺されても想いを伝いたかった。だから夢を介して俺に教えた。違うか?」


 かけるを包む靄は薄くなっていく。やがて黒い“本体”だけがかけるの前に立つ。

 表情が見えない。

「イエス……と解釈してもいいんだな?」

 コクッと綾野は頷いた。


*


 疲れ切った身体を辛うじて――大学生の予算が許す範囲で買えたオフィスチェアに投げる綾野達也。

 筋肉痛になってないかと確認するように、彼は自分の頬を抓める。

「はあ……、今日の俺はどうだろな」


 彼は大学の人々を思い出す。誰にも良好的な関係を築こうと、一日笑顔を作るのは疲れてしまう。スムーズに望ましい結果を得られたが、一人になると虚しい気持ちになる。

 仮面を外したい、誰にも言えずにそう思う日々を過ごしてきた。


 癒しを求めて何人かの年上の女性と付き合ってきたが、誰一人も自分のことを見ようとせずにいた。性的関係を求められることは多々あるが、精神的に触れ合うことはない。彼女達のご機嫌を伺うのは本末転倒、癒されるどころか疲労感が増す一方だ。

 それだから仮面はいつまで経っても剥がせない。


 少し疲れを取れた綾野は机に向き合い、パソコンに電源を入れる。

 レポートを書くこともあるが、彼はサイトにアクセスした。それは、匿名で書き込めるネット交流サイトである。

「今日もお話する相手になってくれるかな……えーけいちゃん」


 彼は“えーけいちゃん”に全てを吐露した。

 “えーけいちゃん”は彼を受け入れてくれた。

 彼は顔も名も知らない“えーけいちゃん”に、告白した。




「って、それから一年、会わないって誘った、か。その日付は」

 四人は真琴のモニターを見つめる。

「……綾野が、死体として発見された前の日、か」

「あと、綾野のスマホの電源も回復させて彼が最期に打ったメッセージを修復してみました」と真琴は現場で収集したものが保管されているダンボールから、綾野をスマホを取り、ケーブルでコンピューターに繋がる。


 パッと画面に飛び出したウィンドウの表示名は、例の交流サイトの中に一つのトークルームである。

 コメント欄のような空欄がページの下に配置され、話している相手に言葉を送れるスペースだ。

 数文字だけ、そこに書かれていた。

 ――“なんで”。

「最期で書いた……、開口薫とのトークルームで」


 “なんで”……、綾野は夢で泣き叫んでた言葉。遅れた言葉。

 でも、とかけるは思った。例え彼に時間をもらったとしても、恐らく彼の想いは、彼女に届けられないだろう――。


*


「まだ早いんですけど」とかけるは三人に声をかけた。

「ちょっと同級生にもらったスイーツを、皆で食べませんか」

「同級生? 女子?」と見坂。

「そうです。なんでですか?」

「い、いや、お前でもそろそろだなーと思ってな」

「なんですか、そろそろって。お前でもとかは失礼なことを考えてるでしょ」

「気のせいだ」


「しかし、椿原くんに女子が退院のお祝いねぇ……」

「まだ彼氏がいない朝霧さんは人の事を言えませんよ」

「私まだ何も言ってないでしょ!」

「どーせ失礼なこと考えてるんだから、分かってますよ!」


『いえ、皆さんはただかけるさんにもモテ期が来たんだなと思っただけですよきっと』

「犬井てめぇ! にもとはなんだ! もういい! 一人で食べますから」

『拗ねないでください。高校生活に慣れてきてるというのはいいことじゃないですか』


 かけるは黙り込んだ。

 慣れてきてる、か。少し、綾野の気持ちが分かったのかもしれない。

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