1-㉚

 なんだろう、これ。なんで話しかけてくるの?

 ……誰?




「退院おめでとう」

 かけるは着替えている私服のボタンから顔を上げると、声をかけてきたのは、スーツが整えているのにだらしない顔をしている見坂であった。

「……煙草をやめるのはきついでしょうけど頑張ってください」

「誰がやめるって言ったんだ! 全く……」

「じゃあ女ですか?」

「ちげえ。今は女なんて考える時間もない。それよりだ、かける」


「進展があったんですか、それとも薫さんを見つけましたか」

「それがな……、開口薫のスマホが見つからなかったから彼女が持っているだろうと、GPSで特定しようと思ったが、電池切れたみたいで使えなかった」

「マジですか、だからこの顔ですか」

「お前……」

「しっかりしてくださいよ。取り敢えず薫さんを捜索するのは警察に任せて、どうしたら桑下さんに吐かせるのかを考えましょう」


「吐かせるって……」

「限りなくクロに近いでしょ? 彼」

「確かにな……ったく、こうなったらもう誰が上司なのか分からなくなったぞ」

「厳密に言えば見坂さんは俺の上司じゃないですけどね。朝霧さんは? 進捗ありましたか? なんか二つの仕事を同時にやってるみたいで可哀想と思いましたけど」


「お前ってやつな……。真琴によるとスマホのサイトアクセス履歴の解析は時間かかるそうだ」

「アジトで集合します?」

「……そうだな」


「あれ、荷物を持ってくれないんですか」

 かけるは踵を返して部屋を出ようとする見坂に向けて、呆れたような口調で呼び止めた。見坂は彼に振り向くと、病床、机、椅子を順に目で回したが、荷物と呼べるものは彼が提げている紙袋だけだった。ふと、反撃したくなる子供みたいな気持ちになった。


「なんだ、お友達がお見舞いに来てくれなかったのか」

「いえ、来て欲しくないので、犬井に伝言を頼みました」

 その内容は、なんとかイメージできるな、と見坂は想像してみた。

「せっかくできた友達は大事にしろよ」

「余計な世話です。見坂さんにも分かってるでしょ? 俺に友達がいるとダメですからね」

 だから彼らとは距離を置いている。

 遊びも殆ど行かない。

 そして彼女――二ノ宮未音も同じだ。断るべきなのに、何故彼女が病院に来た時はそんなことを言ってしまったのだろう。


*


 ――ダメだよ、純一。そんなことしたら。お母さんの言われた通りにしたら。私のためなのは嬉しいけど、無理はして欲しくないよ。でももしもがあれば、私が守るからね。絶対に。




 幾つかの認証を行われ、かけると見坂、そして合流した三夏の前に異世界にあるような重たい扉が弾けて開けられた。三人が潜ったのを検出できるかのように、扉は間もなく彼らの後ろに閉められた。

「もしもし朝霧さーん、生きてますー?」

 廊下を渡って奥にある一室は、他のどの部屋よりも人間が棲んでいる痕跡がある。――そこは、真琴の部屋だ。


 前方のモニターを見つめて、無我夢中になった真琴は返答しない。映し出されているウィンドウは、目が追えない速さでプログラミングの式が次々と出力されている。

「真琴?」

 ハッとした真琴は椅子から飛び上がった。

「た、隊長! も、申し訳ありません!」


「いや、問題ない。進捗はどうだ」

「そそそれですね……。大量なデータを解析してるんですが、彼が書き込んだことのあるページを絞り込んでもあと一時間くらいかかりそうです。本当に申し訳ありません……」


「仕方ないですね。ここで朝霧さんの漫画を読むことにしようかな……」とかけるは本棚に手を伸ばす。

「ま、待ちなさい! それはあなたが触っていいものじゃないのよ!」

「焦らないでくださいよ、忙しい人ですね。朝霧さんの性癖なんて分かっちゃっても興味ないので意味がないですから。まあ暇潰しにはなりますけど」


 そう言いながら本棚に並ぶ一冊を手にして、本を奪い返そうとして襲ってきた真琴を躱しながらページをめくる。

『かけるさん! 早まらないでください!』

 彼の目が届くページに横目で見た三夏は地面を蹴って彼の手から本を落とそうとする。


「なんだよ、犬井まで。一体何があるというんだよ……」と視線を落とす。すると彼は目の前に広がる未知の世界に、思わず吹き出しそうになった。

 一文字を重複に使うことでキャラクターの心情を表現し、トーンで丁寧に女性の魅力と液体を強調しようとして、黒い線は彼女の曲線を描写する……。


 三夏はかけるが呆然とした瞬間を狙い、彼から本を奪うことは成功した。数秒の間、かけるの思考は停止したようだ。

「……犬井、それを燃やしてくれ」

『そのつもりです』

「ちょっと犬井さん! 燃やしちゃダメよ! 私のものなのよ!」と真琴は抗議する。

『こんなところに置いたのは朝霧さんが悪いです。未成年がいると言うのに』


 かけるはアームチェアに座り背もたれに寄りかかる。

「どーしてくれるんですか朝霧さん。ここはパブリックエリアですからね」

「ちょ、ちょっと一冊だけよ……、他のは普通の本だから」

「そうですか。まあ、ずっと仕事してたらストレス貯まってしまうでしょうね。ちょっと仕事手伝いましょうか。ちゃんと感謝してくださいね」


 これもあなたが頼んだからでしょ、と真琴はかけるを睨むが、彼は見て見ぬ振りして桜の模様で印刷されたノートを手に取る。

「これが、薫さんの日記ですか?」

「ええ、そうよ」

「ふーん、可愛いですね」と言いながらそれを開ける。




 ――明日は純一がお母さんのお手伝いしに行くみたい。なんで私ではなく純一を誘ったのか私には分からない。でもそんなこと関係ない。後を付いていくから。


「ああ、そうだ、かける」

 見坂は何かを思い出したように、バッグからあるものを取り出す。

「お前の誕生日はまだまだ先だが、おめでとう」

 え、とかけるはノートから顔を上げる。見坂に渡された矩形の白い箱を受け取り、蓋を開けると中にはスマホが置かれてある。

「前の方は壊れたからな。これは連絡用にな」


 かけるは箱を見下ろして納得していない様子。

「見坂さん……いくらですか」

「バカ野郎、誕生日プレゼントだって言ってんだろ。お前は礼を言えばいい」

「……ありがとうございます」と彼はそう言いつつ不信感が拭えない表情は消えていない。

 いきなりスマホなんて持ってたら伊織のからかいの的になるのは間違いない。とかけるは密かにスマホの使い方をマスターしようと決意した。




 ――何があったみたい。気付かれないように見てるだけだから中は一体何があったか分からない……、純一が心配だけど中に入れない、と思ったら純一は逃げ出して、変なお面なんか被って――

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