1-㉗

 曇り。

 見坂は煙草を咥え、横の美女、真琴と再び最初の現場となったアパートを訪れる。

「今日雨が降るかもしれないな」

「そうですね」

「朝のニュース観たか」

「観ました」

 などと、世間話をする二人だった。


 そんな有益な会話を交わさない二人は、エレベーターの中の静寂と重りの音を耐え、開ける自動ドアを潜った。

 開口の部屋のドアは閉められていて、テープは既に撤収された。

 玲子の実家は遠いらしく、彼女はここで住み続けると決めたみたいだ。そして、彼女と娘の薫は、先週まで同じ部屋で生活していた。今日はその“薫”が所持していたものを集め、彼女が純一との関係と行方の糸口を掴めるためだ。


 家に住むのは勇気が要ると思った。――普通の人間ならば。

 見坂はふと、鬱蒼とした森の中で今よりも幼いかけるの姿を思い出す。彼もまた、恐れる顔一つもせずに前方を見つめる――。




 現場は既に元に戻っていて、綾野が血まみれで倒れていたのはまるで夢だ。その場所の右側はこの部屋で唯一の寝室になる。

 寝室こそ狭いが、辛うじて二床のベッドを入れられた。服をまとめるクローゼットを設置するスペースがなく、床やベッドの上に置いている。代わりに引き出しがあり、下着はそこに締まっているのではないかと考えが付く。

 真琴はすたすたと引き出しに向かい、無言で見坂にここを任せてくださいと訴えかけた。


 ここは被害者と最も近い部屋として血液反応を行った。が、血痕があるのはドア枠までで、寝室の中に続かずキレイだった。

 ベッドは――どちらが母のものか娘のものか一目瞭然だ。薫のベッドの周囲には教科書や制服が整えている。机こそないので普段はどこで勉強するのだろうと素朴な疑問を持った。


「隊長」

 真琴は引き出しと壁の隙からある物を引っ張り出して彼に見せる。それは一冊のノートだ。塵こそが少ないものの、最近まで使われていたことを覗える。ピンク色の桜の花柄が表紙で、乙女らしいものである。

 ノートを開けて一ページ目から滑らかに書かれている女子の手書きの文章だ。

「これは……」

「日記みたいですね。今頃では珍しいんですが」

「そうだな……、こいつは読む価値ありそうだ」

 しかし、と真琴が言う。「内容を解読するなら私に任せてください」

 乙女の日記ですから。

「分かった。頼んだ」


*


「疑問に思ったんですが」

 かけるは湯が立てるカップの中に注がれたココアを飲み、淡々と言う。

「なんで桑下さんはここにいるのでしょうか」

 椅子に腰をかけている純一は姿勢を正している。

「昨日刑事さんがうちに来て椿原さんのことを聞いてきたんで知ったんですよね。病院なんてここしかないので」

「病院というより墓地の方が近かったですけどね」

「すみません……」


 かけるは首を傾げて不思議そうに純一を見る。

「なんで桑下さんが謝るのです?」

「いや……、うちから出てすぐに襲われたでしょう? こちらが注意してれば……」

「過ぎたことですし、桑下さんは女の子に気をかけてやればいいんですよ」

「それでも……」

「ほんと真面目ですね。損しますよ」

「くっ……、言い返す言葉もありません……」


「それで、どうしましたか」

「母が、差し入れ持って行けって言われたので……、お口に合えるか分かりませんが」と紙袋を提げる手を上げる。

「わざわざありがとうございますって代わりに伝えてください。で、桑下さん自身は?」

「はい?」

「来たくないでしょ。顔色が悪いですよ」

「それはその、ちょっと寝付けが悪くて……」


「そうでしょうか。実はですね、桑下さんの部屋で見つけた薫さんの足跡のことなんですが――」

 ごくん、と純一が唾を飲んだのを、かけるは聞き逃さなかった。

「――ちょうど、サイズ的に現場に残ってるのと合ってると思ってるんですよね」

「か、薫が……、そんな……」

「さて、本題なんですが。その夜、彼女に会いましたか?」

「あ、会ってません」

「では何故、あなたが助けた女性を襲った男の死体が、発見された場所に薫さんがいたのでしょうか?」

「わ、分か――」


 ――りません。

 という言葉が喉に詰まった。

 どくん、どくん。

 心臓音がただだんだん大きくなる一方だ。顔を上げると少年の透き通った瞳に、全てを見抜かれたようだ。


「――りません……、俺はただあの男をパブから追い出しただけです」

「そうですか? 逆恨みを買うことにならなかったんですか」

「いえ、そんな……」

「あの男が、大人しく帰ったと?」

「まあ、そんなところ……」

「そんなところ?」


 怒涛の質問攻めに純一は眩暈がした。何故、こいつの頭は切れてるんだ?

「まあ、いいです。男を帰して、あなたはその後のことを知らないとして。鬼のお面はまだ説明が付きません。ドラえもんじゃないですから」

 ここはドラえもんじゃなくて超能力者だろう。


「これは……、男に奪われてて……」

「え、どうやってですか? 輪ゴムぶち切れたんですか」

「ちょっと揉めてましてね」

「揉めてたんですか。しかし目撃者はいなかったんですよ。というか、なんで男はお面を奪うんですか」

「知らないです」

「そうでしょうね」


 かけるはカップを飲み干し、唇に残るココアを舌で舐めるとカップを机に置いて、純一に告げる。

「取り敢えず、今日はありがとうございました。ちょっと疲れたんで、休ませてもらえませんか?」

「そうですね、お邪魔しました」

 純一は席を立つ。かけると顔を合わせると、彼の頬に赤らみがさして満足そうな表情である。

 もうどちらが疲れているのか分からなくなった。


 純一を見送り、ココアの味の余韻に浸るかけるは、ベッドに身体を沈む。

 ――ここで慌てるのは賢くないぞ、桑下純一。

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