1-㉔

 純一の部屋は日当たりが悪く、時々湿度が高そうな場所だと覗える。本も置けないし掃除も大変そうだな、とかけるは同情した。

 だが、歩くと軋むその木造の床は、夏になると涼しいのではないかと考えれば、これも悪いことではないかもしれない。

 窓から見れば、すぐお隣さんの家だが、そこにはラブコメのように少年少女が話しかけあえるような窓がなく、ロマンチックの欠片もないのだ。


「ラブコメ、か」

 あいにく漫画の話だ。現実にあろうとしても自分とは関係ない話である。恋愛のことなど、今まで一度も自分のこととして考えたことない。小学生から中学生の頃は、孤立されたため常に周りの風潮を、自分は受け流すだけだ。

 女の子と話す機会も滅多にない。誰もが彼の瞳を見れば逃げてしまうからだ。

 一人、たった一人を除いては――。


「椿原? 何突っ立ってんだよ、適当に座ってくれ」

 背後から純一の声がして、かけるはハッとして現実に戻る。振り返ればそこに純一、だけではなく、彼と松子が後ろに佇んでいる。先頭に立っている純一は苦笑いを浮かべ、助けてくれというサインである。

 すすす、と松子はかけるに接近し、座布団に座らせようと彼の腕を引っ張って、どうぞどうぞと誘った。


「椿原くんって言うんだねぇ、まさかあの純ちゃんが後輩を家に連れてくるなんて。今まで薫ちゃん以外一度も友達を連れてくることがないのよ、真面目だから」

「薫ちゃん?」

 わざとらしく、かけるは問うた。

「ええ、純ちゃんの幼馴染でぇ。でも最近全然来ないの。いつも純一、純一って呼んでくれてるのに」

 ええ、そうですか、とかけるは口で応えながら純一に視線を投げかける。純一は極力に彼と目を合わせないように逸らした。


「椿原くんはもしかして薫ちゃんのこと知ってる?」

 自分の息子がいじめられる可能性その一、女。

「知りません」

「本当? さっき薫ちゃんのことを話したら純ちゃんにちらっと……」

「知りません」

「……見たんでしょ? やっぱり薫ちゃんを……」

「だから、知りません!」

 かけるは一文字ずつ丁寧に、大声で彼女を遮った。気圧された彼女は納得しない顔をしつつも話題を終わらせる他なかった。

「そ、そうなのね……」


 コホン、と咳を払うと彼女は態勢を整え、次の質問に移す。

「純ちゃんは部活でどんな感じなの?」

 可能性その二、いじめの原点である、力の強さ。

「知りません」

 当然な答えだ。そもそも彼も純一の部活を知ったのは今日の事である。

「え? でも純ちゃんは部活の人としか……」

「だから、知りません!」


「やめてくれよ、母さん!」

 バン、と純一は机を叩いたのでかけるは不機嫌な、松子は驚愕した顔で彼を見た。

「純ちゃん……?」

「恥ずかしいからもうやめてくれって」

 はいはい、と唇を尖らせて、松子は部屋を出た。彼女が廊下にもいないのを確認して、純一はドアを閉める。


「すみません、うちの母が……」

「いえいえ、大丈夫ですよ。むしろ桑下さんがを守ってくれて感謝してます」

 純一は彼の笑顔を見る。……いや、目は笑ってないぞ。

「もしかして、ここに薫さんがよく来てたんですか?」

「……まあ、幼馴染ですし」


 幼馴染だから、相手の家に遊びに行くのは当たり前なのか。不意にもが頭に浮かんでしまう。遥かに昔の記憶のように家に来てくれても、小学校入学式以降、前日まで一度も会話を交わしていなかった未音。

 そして“彼女”。唯一ブランコに座る自分の背中を押してくれる人だった。彼女と出会った時は父がまだ生きていた頃だが、恐らく父にも彼女の存在すら知らなかったと、かけるは思った。


彼女のことを、もっと聞きたいですね」

 かけるは天井を仰ぎ、ぽつりと、純一に聞かせるように呟いた。

「あ……、わ、かりました」

 天井から自分に顔を合わせて、お前の幼馴染はまだ容疑者だぞと、かけるに睨まれる。

「薫は……ちょっと他の人と違います」

「ほう……、それはどういう意味で?」

「執着心があります」


 小学校までの薫は、どちらかと言うと自分の欲望に屈することなく、強さを持っている子であったと、少なくとも幼馴染の彼にはそう思えた。

 自身の性格と一度も会ったことのない父親の存在が、彼女は自分自身が異常であると思い込み、彼以外の同級生と絡もうとせずにいた。そんな彼女を変えようと純一は心で決め努力もしていた。


 同じ学校に通う中学時代は薫は大きく変わり、純一は努力が報われた、と思ったが、同級生と絡みがないまま彼女はだけだったことに、純一は絶望感さえ覚えた。

 何故と言うなら、彼女はより頻繁に彼の側に現れる。クラスが違うのに、休憩時間に彼女の姿を見れるようになったのだ。


「実は――困ってました。普通の女の子みたいに友達ができて、昼ご飯を友達と一緒に食べて欲しいのに、なんで思った通りになってくれないのだろうか」

 ここまで聞くとかけるはなるほどと頷く。

「さあ、桑下さんはどう思いますか。何故だと思います?」

「俺は……」


 頭に浮かんだのは机の前にきゃきゃと集まるクラスメイト達。

「薫のことが……」

 ――ねえ、純一くん。薫ちゃんってもしかして――

 ――あれ見たら開口さんは――

 ――ちょっと信じられないの――

「もう、よく分からない……。薫を信じていいのか……」


 かけるは図らずともベッドに視線を惹かれてしまう。

「桑下さん」

「はい?」

「薫さんは、よくこの部屋に来るんですよね。遊びに」

「ええ、まあ、そうですが」

「つまり、彼女は自分の“足跡”をここに残すわけですね……小さな――」


 純一はかけるの真意を掴めずに首を傾げる。かけるは一度も彼に顔を向けずに、ベッド――いや、ベッドの下を見つめている。

 そこには、長時間に湿度で印した、足の形があった。

「――まるで“子供”のような足跡」

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