1-㉒

「煙草大丈夫か?」

 見坂は既に一本の煙草とライターを取り出したが、一応、と思った彼は柿崎に聞いた。

「あ、はい……」

 柿崎は緊張した。これは何か見つかったに違いない。だが何この緩い感じ。

 ベンチの背もたれに寄りかかり、見坂は紫煙を吹かす。

 間違いない、と見坂がそう言うと柿崎は身体を震わせた。

「君は人体研究同好会のメンバーだな」


 やっぱりそう来たかと柿崎は黙り込んだ。見坂は続ける。

「それは非公式というか秘密結社みたいなもんだろ。可笑しいと思ったんだが、なんで君に綾野がメンバーって知ってたんだ? 教えてもらったわけじゃないだろう」

 見坂は説明しろと言わんばかりの鋭い視線が肌に刺さる。

「……偶然ですよ。綾野があのパブにいたのは予想外です。お面なんて被ってますが、声で一発で分かります」


「それで君も入会した。何故だ?」

「入会なんてしてませんよ。メンバーだと装うだけです。最初は達也は何やってるのだろと単純に好奇心でした」

「どこでサイトを見つけたんだ?」

「難しいことじゃなかったんですよ。少し検索でもすれば出ます」


 真琴がこれを聞いたら拗ねるだろう。柿崎は軽々と重要なソースを見つけたのに、彼女は同好会の名を聞いてすぐに探らなかったのだから。

 だが、道理で柿崎のはメンバーだと認識されなかったわけだ。彼はアクセスしただけであって、書き込みはしてなかった。


 で? と見坂は続きを促す。

「ハマってしまったんです。でも達也をこ、殺すことなんてしませんよ!」

「いや、今日は綾野のことじゃない」

「え、じゃあ何のために……」

「前回ミーティングで君が使ってたお面が別の現場で発見された。何故だ?」

 え、ともう一度言った柿崎の顔は青ざめた。

「ま、待ってください、どういうことですか。俺は殺人なんて……」

「動かぬ証拠がそこにある」

 もし彼のものでなければ否定し続けるはずだ。


「そ、それは落ちたんですよ。それがたまたま現場に落ちただけでしょ」

「たまたま裏路地で落ちたのか? 表面には血が付いてない。こいつはんだ。これはどう説明してくれるか?」

「……これは本当に知りません。取られたので……」

「どこで? 誰に?」

「パブで、知らない男に取られました」




 ミーティングの日に、柿崎はいつものようにメンバーに変装して“Shalotteシャロッテ”に着いた。いつもより参加者が多いのか、パブの中では賑やかだ。立派なドレスを身に纏っていないが、一変した仮面舞踏会に参加した気分になる。

 硝子から日光が差し込んで、段々オレンジ色に変わっていきやがて夜になる。

 混雑する中で突然に談笑する声と違う声――悲鳴が聞こえた。一時的に誰もがその声の方向を見る。

 ふらふらと歩きながら、人を押し退けて前へ進もうとしている一人の男がいた。

 彼は明らかに酔っているのだ。彼の乱暴な行動に誰かが言った。

 ――“警察を呼べ”、と。


*


「また会ったな」

 見坂はテーブルに腕を載せて上半身の体重をそれにかけるように前に傾げて、目の前にいる女性――森下和紗に言う。

「な、なんでしょうか……、今仕事中ですけど……」

「大丈夫だ、店長に予め伝えてある」

 和紗は顔を下に向ける。そろそろ、と見坂。

「あんたの額の傷のことを教えてもらえないか」


「で、ですから、それは転んで……」

「ないだろ」と見坂は彼女を遮った。

「テーブルにぶつけたのは足が滑ったなんかじゃない。あの夜に起こったことだ。あの時の目撃者はあんただ。男のことを教えてくれ」

「わ、私……」と言った彼女の目は涙で潤んだ。


 見坂は動じない。

 嘘泣きしても無駄だと、これは演技ではないことを彼には分かっている。だが女の涙に屈するようであれば、この仕事をやめてしまえばいいのだ。

 と言っても、彼はそこまで非情な人間ではない。

 彼はハンカチを彼女の前に出す。

「何を見たのか、何をされたか……、君のためでも犯人を捕まえる」


 和紗は渡されたハンカチで涙を拭く。

「もう大丈夫です……。犯人はもういませんから」

 それは、と見坂はスマホの電源を付ける。「この男か」

 和紗は息を呑んで頷いた。両目を瞑っている男は、真琴が送ってきてくれた“もう一つの事件”の被害者の写真だ。

「あの夜は何を見た?」

「はい……、あの男はひどく酔ってました。何かを叫んでながらこちらに近付いてきたので、私は怖くて逃げようとしましたが、それで……」

「ぶつけたな」と見坂は代わりに言った。


 彼女は抵抗した。目が狂ったように迫ってきた男を逆らおうとすることは、テーブルに残った血痕を含めて、彼女ので証明されている。薄暗くて周りをよく見れず、混乱の中、彼女は助けは遅れるだろうと諦めようとした。が――。

 ――“やめろ!”

 誰かが彼に向かって怒鳴った。頭が状況を整理しようとした時に、腕は引っ張られ、同じ声で“こっちだ”と導いてくれた。


「つまり、その男がナイフを持っていたのか?」

「分かりません……、でも刺されてませんでした」

 見坂は手の甲を唇に当てて考え込む。

「助けてくれた人は知らないのか?」

「顔はよく見れなかったんですが、知らない人だと思います。声も聞いたことないです」


「声の特徴、身体つきはどんな感じだ」

「ええと、男で、私よりやや高くて、若かったと思います」

「身長百七十センチで若い男……もしくは少年か」

 柿崎の供述によると、彼はお面を紛失した時から機を窺いパブから逃げた。時間的に彼がお面を失った後で、彼女を助けた人間ではないはずだ。

「森下さん。そいつの顔を細かいところでもいいから、よく考えてみてくれ」


 少し躊躇った後、和紗は目を瞑った。

 霧に覆われたような空間の中で手を引かれ、カウンターの後ろの暖簾をくぐって厨房に入る。彼は自分を落ち着かせるようにこう言った。

 “俺は――です。もう大丈夫です、あの男は俺がなんとかします”

 そう言って彼は出て行った。


「声は少年で、見た目では高校生くらいかと……、体つきが良く……、ええ、少し筋肉質かもしれません。顔は……」

 自分に話しかけた時はだった。厨房の弱々しい光で辛うじて見れる。運動部の少年らしい短髪、首、肩、襟……。しかしそれらよりもはっきりしているのは。

「……お面を被っていました」

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