1-㉑

 暑い。

 まだ夏ではないが、暑い。その理由としては、現在一畳も満たない空間の中で二人がいるからだ。

 息を落ち着かせようとすると相手の呼吸音が耳元に囁く。長い髪があるゆえ顔と首筋に熱気がこもってると感じ、前髪に水滴が落ちて三夏は斜め上に仰ごうとすると壁が妨げる。その水滴は、相手――かけるの汗であることは間違いない。

 辛うじて片手が自由を取れたかけるは、携帯の新規メールに数文字を打ち三夏に伝言する。

 “話すな。スマホをオフにしろ”

 ……どうしてこうなったのか。



 時間を遡る。


 かける達は見坂と合流した。

「これが別の現場で見つけた仮面か」

「はい。別の殺人事件現場にあるのは間違いないですね。何しろこれに付いてる血で擦過した痕跡ももう一つの現場に発見しましたし。そしてこのマーク……」

 かけるは棒を指す。「イニシャルである確率は高いですね。コードネームを教え合わないミーティングではバレないように小さく書いたのかもしれません」


「だとすると、このお面の主は……イニシャル“I”の人間……『柿崎樹』か」

「でも妙なんですよ。二対の足跡はどっちも子供のものっぽかったんです。一つは尾坂浩で、もう一つはどう見ても成年の男ではないんです。おまけにお面の捨てる場所もにあったんです」

「つまり」と見坂。「柿崎はハメられたと言いたいのか?」

 かけるはぱちんと指を弾いた。「そうですそうです、流石見坂さん、察しが良いですねぇ」


「……取り敢えず柿崎に聴取してみようか」

「その間に柿崎の寮に潜入しよっと!」

 おい、と見坂。「やっていいこととやっていけないことがあるんだぞ」

「冗談ですよ、見坂さん真面目に信じないでくださいよ。今度真犯人に騙されちゃったら困りますよ」

 見坂はかけるに一瞥し、ドアを開けて愛車に乗り込む。

「あとは、一応関係性がある事件なので、朝霧さんにこの件の被害者を調べてもらってもいいですか?」


 もし柿崎がお面の持ち主なら――二つの事件が互いに関わっている可能性が高まった。

「ああ、分かった。決まったから俺はもう行くぞ……。お前らは家に帰っていいぞ」

「はいはい」


 エンジンをかけて彼はこの場を去った。かけるは見坂の車を見送るとくるりと身体を回転させて背後にいた三夏と向き合う。

「さて、行こっか」

『どこへ?』

 かけるは子供のような笑顔を見せる。

「夜の学生寮へ」




 今に至る。

 いやいや、と三夏は混乱した。かと言って彼らがの中にいるのは可笑しいだろう。何故だ。

 何故……柿崎はここにいるのだろう――。


 なんとか柿崎の部屋に潜入成功したが、部屋の主である柿崎は見坂に呼び出されたのかと思い、部屋に入った途端、足音が聞こえ咄嗟に二人はクローゼットに身を隠れた。

 かけるは柿崎と会ったことはないが、三夏は見坂と大学に行き、彼と直接に会って“人体研究同好会じんけん”の存在を教えてもらったことがあるから、クローゼットの隙からギリギリ見れる容貌は、柿崎樹そのものだと分かる。


「ああ、疲れたー」と言った声も間違いなく――。

 そう思う三夏にかけるは携帯画面を見せる。

 “こいつが柿崎か”

 三夏はその下にリプライする。

 “はい”

 “ならこっちのミスだ。見坂はまだこいつを呼んでない。悪い”

 “大丈夫です”

 いや、大丈夫じゃない。酸素が切れる心配はないが、体温が一方的に高くなっていく。


 三夏が隙から外を見れる範囲は玄関だけと極めて狭い。彼女は五感を澄ませる。

 ペタペタと裸足で歩く音が聞こえるので、柿崎がいる方位と距離を掴める。足音が止むとごくごくと水を飲む音が聞こえた。

 見坂の電話が来るまで彼に存在を気付かれなければクエストクリアだが、見つかったら自分が良くてもかけるを庇いきれない。そもそも、ここに来ると発案したのは彼だ。


 ずるずる、と何か吸う音に変わり、三夏は焦った。

 クローゼットに入ってからもう十分くらい経っているはずだ。柿崎は恐らくラーメンを食べているのだろう。例え男でも更に十分が要るのではないか、そうしたら見坂が電話をかけてくるとしても、彼は飯を優先するだろう。

 ラーメンを吸う音は一段と大きくなった。

 その音には何故か、笑われているようだ。もしかして自分達の存在は既に勘付かれたのか。お前らは出られないぞと。いや流石に被害妄想か……。


 突如として音は消えた。時間から推測すれば彼はまだ完食してないはずだ。

「あっつ……」とそう言いながら、一着の服が彼女の視線に入り、そして二着目……。

 待て、どれだけ服着てたの、と三夏は思わず頭の中でツッコミを入れる。


 重い音がして何かクローゼットに直撃したようだ。好奇心に駆られて隙間からそのものを覗いてしまう。すると布でもないものを視線が捉え――それは革製のものであり、着る物というよりも、“ベルト”と称した方がいいかもしれない。

 つまり、と三夏は眩暈がした。見えない彼は今、下着以外何も着ていないのだ。


 背後にいるかけるは動く気配がした。彼も何が起こっているのかと前に傾ける。

 良い子は見ちゃダメ。三夏は両手で彼の視界から遮ろうと上げるが、どん、と壁にぶつけた。

 ――しまった。


「ん? なんかいるか?」

 ジ、エンドだ。ペタペタと歩いてくる音がして、三夏は絶望した。柿崎が止める気配は全くない。一秒間、三夏は頭で策を練る。せめてかけるだけでも見つからなければいい。と彼女はクローゼットを出ようとするが、腕が掴まれた。

 離してと力んで彼の手を解こうとするが、声も出せずにいた。柿崎の足音は段々大きくなってくる。

 絶体絶命だ。


 ――と、三夏がそう思うと、ドアベルが鳴った。近くまで来たはずの足音が遠くなっていって、ガチャッとドアが開けられる。一瞬だけだが、彼の姿が見えて目を瞑ろうとしたが、彼にはジャケットとズボンを着ているのを見て愕然した。

「柿崎か」

 その声を聞くと三夏はほっとした。見坂だ。

「……食事中悪いが、同行してもらえるか?」

「え、それって……」

「ちょっと聞きたいことがな」

「……分かりました」

 バタン、とドアが閉めるのを確かめ、三夏はクローゼットを出る。


『何してたんですか!』

 久々に新鮮の空気を吸えるのにも関わらず、三夏はスマホ画面を連打する。

『見坂さん来なかったらどうするんですか!』

「でも見坂救世主さん来たから結果的にセーフだろ?」とかけるは勝ち誇った顔で三夏を見る。


『少年漫画の主人公っぽく言ってもダメです!』

「まあまあ。俺が見つかるよりもお前が出たらダメだろ。男の家に女だぞ。流石にここまで守られるほどヘタレじゃない」

 むっとして顔を彼女から逸らす。

「それよりお面を探すぞ」


 かけるは部屋を見回す。どこも普通の男子大学生らしい。先程脱いだ服も片付けようとせず放置している。かけるはボソッと零した。

「汚いな……」

 皺だらけのシャツの下、洗濯機の中、まだ熱気がこもってそうなクローゼット……。

 ああ、とかけるは蹲っていて柿崎の所有物を確かめている。「犬井、これ見てくれ」


 流し台にいる三夏は彼の声に応じて、彼の居る部屋に入る。肩越しで彼女は見た。目、鼻、唇の形を持ち、彫像のような仮面を。

「エロ本の代わりだな」

 三夏は彼を睨んだ。

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