1-⑲

 伊織がメールで送ってきた“B町通り魔再来”の記事の文章と写真を頼り、かけると三夏は現場に辿り着く。

 幸いなことに、テープはまだ貼られているようで、一般人だとまだ通行できるところではないことにかけるは胸を撫で下ろした。

『証拠は残されてないでしょうが、それでも試みる価値はありそうです。行きましょう』


 テープを潜り裏路地に入る。

 当然だが、遺体は既にいない。身元不明な死体はDNAなり解剖なりで判明するのだろうが、かけるは仕事ではないので考えないことにした。

 地面には被害者の血液がそのまま溜まっている。死体の状態が分からなくてもどのように倒れたか、または最期の状態はどういったものか、血痕で推測できるほどに現場は動かされていない。


「……犬井、何かあるか」

 もしブラウニーはここにいたとして、被害者の血に濡れて沼に行った……、この仮説は今まで一番しっくりくる。……が、新たな事実がその仮説を翻さないことが条件だ。

 三夏は振り返りかけるを見て頭を振った。


 とぽ、とぽ、とまるで足音が聞こえるようで、かけるは目を凝らす。

 血溜まりから歩いていく足が目の前に浮かぶ。それは、この事件に関わる“誰か”のもの――翌日の朝に死体が発見される前に、ここにいた誰かの靴の底に血液が付けてしまい、そのまま手がかりとして残してこの場を去った。

 ――しかも、一対ではなく、二対、二種類の靴跡がある。

 一対は歩くパターンがなく乱雑になっていることに対して、もう一対は悠然と歩いたように見える。


 目撃者か、犯人か。

 この事件はまだ未解決事件である。それはこのは参考人にならなかったのか? ……それとも二人とも何かの理由で、……。


 ふと気配を感じて、かけるは思考から現実に戻り視線を地面から前へ投げると――。

「お前はなんでここにいるんだよっ!」

 かけるの声で三夏は彼に振り返る。だが彼女には彼の視線が届く範囲の中では誰もいないのだ――。

 彼は、の相手と話しているのだから。

 かけるの顔はみるみる青くなった。


「なんで、お前が……」

 かけるはもう一度言った。あの霊は、かけるに助けを求めてきた子供の幽霊だ。

 霊は文字通りで頭を抱え、苦しそうに顔が歪めた。首筋が冷たくなっていくのを感じながら、かけるは彼に向かって言う。

「もしかしてっ……お前っ……思い出したのか!」

 止めないと、とかけるは自分の名前を呼び続ける三夏を無視して、乱雑な靴跡の方――子供の靴跡の方を沿って、彼に向けて走った。

「待て!」


 死の記憶が甦りフォグになりかけているのだ。それを止められるのは、彼が見えるかけるだけだ。

「犯人は見つけ出してやるって! おい、聞こえてるかッ……」

 彼に手を伸ばす。黒いフォグは彼を纏い始める。男の子の泣き声がだんだんような……。

 寒風の中で意識を保てつつもう一度霊を呼びかける。

「これは約束だッ! 絶対に見つけ出す!」


 ぴたりと少年の動きが止まった。

 影のオーラ怨みが身体に侵蝕するように冷たくて、意識が飛びそうだ。それでも。かけるは腰を落として彼の顔を見る。

「本当だ、信じてくれ」

 漸く、少年は手を降ろして、白く戻ってくる顔でかけるに向ける。

 寒冷地にいるような感覚は消え、周りは徐々に見えてくる。


「……よし、大丈夫か?」

 少年は頷いた。

『大丈夫か、じゃないですよ。また無茶なことをしてたんですね』

 三夏は仁王立ちになって二人――いいや、かけるの前に立ち尽くした。

「ほっとけ。見えないやつは関係ない」

『そんなことできない……』

「できる」とかけるは無理やり機械音を遮った。

「そもそもなんでお前は俺に構うんだよ。見坂さんの命令だからか? なら見坂さんに断っておく……」


『ちがうっ!』

 三夏は更に高いスピードで画面を打つ。

『違います。見坂さんの命令は関係ありません。私がこうしたいからです』と流させると、彼女はかけるの目を見つめる。かけるは顔を逸らす。

「……意味が分からない。ほら、行くぞ」と彼は横の霊にかけた言葉のようだ。


『どこへ?』

「こいつをんだよ」と小さい方の跡を指す。横目で三夏が躊躇するのを見て、ぷいと後ろに振り向いて言う。

「……来たいなら来れば?」

 ぱっと顔が明るくなる三夏を目で捉えてしまう。

 全く、遠足じゃないんだぞ……。


 子供の幽霊が生きていた頃の足跡はすぐにもう一対の跡と分岐して、もう少し続けると途中で徐々に見えなくなり、やがて途絶えた。

「無理もないか。水溜りを踏んだ時も同じだからな……おい、これ以上覚えてる……」

 か、と言おうとしたが、少年は大通りの反対側に目を惹かれたことに気付いた。ここは割と混雑する街なので、走る車の隙で辛うじて彼が関心しているところが見えた――そこには、花束が地面に並んでいる。

 信号灯が青に変わりかけると三夏は通りを切る。


「可哀想に……」

 そう言いながら女性は一輪の花を添えた。

「あのう」とかけるは彼女に声をかけた。「ここに一体何か?」

 女性はえ、と驚愕した声を漏らすが、悲しそうに質問を答えてくれた。

「ここにはね、五日くらい前の深夜に事故があったのよ……、可哀想に……」

 花束に貼ってある一枚の紙がかけるの視界に入った。

 可哀想に……。女性はそう言い続ける。


「お前……」とかけるは横を見る。

 紙には、“尾坂おさかひろしくん”と書かれてある。

 そして顔写真は、横に突っ立っている半透明の少年、その人物である。


 彼はかえって淡々とした態度で自分の遺影を眺める。

「なるほど」

 かけるは思い出した。自宅の部屋で彼と出会った時に聞いた衝撃音は、死んだ瞬間――車とぶつかった音と重ねて、彼が怯えたわけだ。

 足跡は彼が現場から、誰から逃げ出したことを示す。道理で彼は参考人に

 自分を見上げる浩に、かけるは微笑んでみせた。




 アスファルト道路には急ブレーキがかけられたタイヤ痕がまだ鮮やかに見える。それでも避けられずにぶつけてしまう痕跡や衝撃で信号柱に飛び散った血も事故現場を想像させてしまうものだ。

 花束は彼の命が散った場所の近くに揃えている。かけるは身体を前に傾けて花束を移動すると、足跡が残されている。肉球の形をする小さな足跡。


「そうか……、お前は、ここを通りかかってたのか」

 好奇心で追っていたブラウニーに付いていた血痕が、自分をここまで導いてくれたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます