1-⑪

「はい、どうしたんです……」

『かける!』

 電話から見坂の怒鳴る声でかけるは携帯を耳から離さざるを得なかった。

『被害者は?』

「アパート近くにもいなかったんですよ」

『早くしてくれ……重要な“証人”だから』

「今綾野の住所に向かう途中でーす」

『三夏は?』

「犬井? 友達とカラオケに行かせました」

『行かせただと?』

「そうですよ。どうせ犬井には見えないですし」

『おま……』


「俺は遊びを断ってるんですから、説教は聞きませんからね。ところで、リストの女達はどうですか、それっぽい人いましたか?」

『ああ……、凶器のナイフは捜査範囲を縮めてないから、綾野と関係を持つ人間は一応回ってみたが……、生きていた頃の彼と付き合っている女は一人を除き全員否定した。名は植田うえだ江実えみ。彼女だけは本気で惚れてるっぽい』


「泣いたんですか」

『泣いてない。綾野の状況を話すとすぐ倒れた』

「演技かもしれませんよ」

『そうだな。今から彼女が運ばれた病院に行くつもりだ』


「花畑はどうですか。綾野が最期に電話で話した人間でしょ」

『今彼女が一番容疑かかってるんだな。会話の内容は真琴に解析してもらってる』

 ほー、と感銘したようにかけるは声を漏らす。

『なんだ』と見坂の声は不機嫌そうに聞こえる。

「いえ、見坂さんはちゃんと仕事してるんだなーって」

『こいつ……』


 しかしかけるの関心はもう携帯にない。前方を見つめながら見坂に聞く。

「見坂さん、三丁目って綾野がレンタルしてるアパートと近いですよね」

『ああ、そうだが』

「あとでかけ直します」

 かけるは携帯を降ろして、目の前の光景を睨み付ける。


 リードが付けている柴犬と飼い主の少女がいる。少女は長髪をポニーテールにし、制服を纏っていてペットとお散歩しているのだ。

 かけるは彼女に追い付ける。


「藤原ッ」

「え、椿原くん、なんでいるの……?」

 少女――鈴花は彼の存在に驚愕して声を上げるそうになった。かけるは思わず声をかけたのだが、彼女にとってはここにいる彼は怪しいのだろう。

「あ……、そうだ、俺も散歩だ、それで偶然藤原見かけただけだ」

 ストーキングして見つかった時のセリフだ。無実なのに自分でも自分が有罪と思ってしまう一言。


 ふふっ、と彼女は軽く笑った。

「椿原くんが慌てるなんて珍しいね」

「普段の俺ってどんなイメージだよ……」

「んー、クール?」

 流石にかける自身も驚いた評価だ。彼女はくすくすと笑う。

「しっかりしてる感じだね」

「それはどうも……」


 かけるは腰を落として犬の頭を撫でる。

「名前なんて言うんだ?」

「シロ」

「シロか」

 シロはかけるを見て首を傾げる。背中がオレンジで身体が白色。かけるはシロの頭から背中を触って、尻尾を見る。

「お手!」

 シロは首を傾げて動かない。鈴花はふふ、と笑う。

「ごめんね、シロは訓練受けてないの」

 そっかー、とかけるは立ち上がる。「藤原ってシロ以外のペット飼ってる?」

「ううん、いないよ」


「おかしいな……」

「え……?」

「昨日藤原の髪に挟んだこれ……シロのものじゃなさそうだよな」

 かけるはチャック袋をつまんで彼女に見せるが、表面にある血液を彼女に気付かれる前に袋を鞄に戻した。視線を彼女に戻すと、顔が赤くなりリードの一端を握り締める。


「どうした?」

「ううん、それよりさっきのは?」

「ああ、あれは灰色の毛だったから、もしかしたら藤原んちのペットと思ったが、違うようだな……」


 かけるは考え込んだ。少々不思議と思いながら鈴花は彼を覗き込む。

「灰色の毛なら……ブラウニーかも」

「ブラウニー?」

「ご近所のマルチーズの名前なの。よくシロと遊んだりするから……、その時にあの子の毛が付いてしまったかもしれないね」

「なあ、あの子に会えるか?」

 期待を込めておねだりする子供のように目を輝かせて近付いてくる……わけではないが、近くになっているのは間違いなく、思わず顔を逸らす。

「う、うん、たぶん大丈夫だと思うよ……」


*


 鈴花の後に続けると西洋式の屋敷に着く。インターフォンを鳴らすと、中からきゃんきゃんと鳴き声……しかも数匹同時に鳴っている。ドアが開けられると、一人の女性が現れる。

 中年女性でベアトップにミニスカートを着て、顔の濃い化粧は仮面を被っているかのような厚さ、血のような赤いネイル。彼女はマルチーズを抱いて甲高い声で言う。

「あらぁ、シロちゃーん、鈴花ちゃん、可愛い子連れてきてぇ」


 無意識的に、かけるは後ろに一歩踏んだ。事件なんてほっといて早く逃げ出したい、と思ったのは生まれて初めてだと彼は確信した。

「彼かぁー?」

「ち、違います! クラ……友達の椿原くんです。椿原くん、こちらは明石あきいしさんだよ」

「う、ん、初めまして……、急にすみません、明石……さん」

「あらぁ、ミス・アキイシって呼んでもいいのよぉ」

 ミスは未婚女性に使う敬称だぞ、とかけるは心の中で毒づける。あんたは未婚女性かー!


「あの、ブラウニーいますか?」と鈴花が尋ねてみた。

「ブラウニー? かわいそうに、動物病院に滞在しているわよぉ」

「なんて?」とかけるは自分の耳を疑った。

「ブラウニーが先週いなくなってねぇ、二日前戻ってきたけどやっぱり心配でぇ、さっき病院に預けてきたのよぉ」

「どこの病院ですか?」


 かけるは携帯をポケットから取り、素早く番号を打って耳にあてる。

「見坂さん? すみません、この病院に行ってもらえませんか? やばいかもしれません。はい、綾野のアパートで会いましょう」

 電話を切る。

 ブラウニーが動物病院に入院したら、とある現場の証拠が消されてしまうのかもしれない。

 そもそも事件じゃないかもしれない。無駄足かもしれない。

 でも、もしこれは事件だったら……?

「椿原くん? どうしたの? 顔色が悪いよ……?」


「あ、ああ……、すまん、藤原……。明石さん、お邪魔しました」

 事情を説明しようと思ったが、まだ情報不足である現状に加えて、鈴花がいるので勝手に喋るわけはいかない。ひとまずプロ見坂達に任せよう。

 踵を返す。鈴花は明石に会釈するとかけると並んで歩く。

「ブラウニーに何かあったの?」

「……なんでもないから。安心してくれ」


 殺人事件であればクラスメイトでただの少女である彼女を巻き込みたくない。――そして、自分の秘密も、彼女に知られたくはない。

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