1-⑨

 時間を遡る。

「こんにちはー」

 職員レストランの一人席に座っている女性は顔を上げると、知らぬ人に声をかけられたことに訝しんだ。

 真琴は自分のキャラが崩壊するほどの明るい声に心の中で嫌気を差した。コホンと咳を払う。


「あなたが今川いまがわ皆実みなみさんですね?」

「はい、そうですけど……、あなたは?」

「実は綾野達也について伺いたいことがありまして。私はこういう者です」と彼女は手帳を見せる。「ここに座ってもよろしいですか?」

「あ、はい、どうぞ……」


 真琴はテーブルの反対の席に腰をかける。彼女はまず綾野の名前を出して、皆実の反応を捉えるためだ。予想通りに彼女がその名を聞いた瞬間だけだが、顔を顰めた。

「達也について……ですか?」

「ええ。あなたは綾野さんの彼女ですか?」

 ふっ、と彼女は軽蔑したように鼻で笑う。

「達也の彼女? 違いますよ。もし達也がやらかしても、私関係ありませんよ」

「知り合った時間がまだ浅い割に親しそうに名前を呼ぶのに、関係性を認めたくないんですね」


 皆実は黙り込んだ。

「……もし、達也は嘘付きじゃなかったら、こうならなかったかもしれない……」

 彼氏と喧嘩別れしたばかりの女子が言いそうなセリフだ。

「嘘って、他の女性と会っている、辺りのことでしょうか」と婉曲的に質問した。

 彼女は頷いた。


「その女性って、この女性でしょうか」

 真琴はバッグから資料を取り出し、一枚だけを皆実の前に差し出す。それは開口玲子からもらった薫の写真だ。

「ああ、いえ、違います。この子若すぎますし。達也は年上が好みだと思います。そもそも、なんで達也のこと聞かれているんですか」


「そうですね。彼のご遺体は今朝、あるアパートで発見された、と言えばどうでしょうか」

「え……?」

 真琴は黒曜石のような目が放つ鋭い視線で彼女を見つめ、何か教えてくれることがあればさっさと言え、というプレッシャーをかける。

「わ、私知りませんっ……、最近達也と会ってないですし……」

「そうですか」

 真琴は席を立つ。

「また何かあったら連絡します」


*


「おしゃれだな」


 見坂は手を翳して“フェリシテ”を超極細ゴシック体で書かれ、オールピンクの外観の服屋を眺める。硝子を越してレディースドレスや洋服などが展示するために並ばれ、男性メンズを隔離するようなオーラが溢れ出す。

 ここは、リストにある名前――花畑はなばたけさきが働いている店である。店だと言われて舐めてしまった、と見坂はやや悔しそうに思いつつ煙草を一本咥え、ライターで点火する。

 ふう、と吸い込んだ煙を吐くと、男、見坂京次郎は桃色の店に足を踏み込むのだった。


 りん、と硝子ドアを開け風鈴を鳴らす。

 いらっしゃいませー、と元気よく声をかけてきた女性の店員は、見坂を見ると笑顔が固まる。

 よし、入ってすぐにだ、と頭で練っていたシナリオを反芻して見坂は手帳を提示し、声を低くして言う。

「花畑さんいるか」


 ……意外にも簡単なものだった。

 もちろんガールフレンドなんて昔はいたものだが、彼女とはショッピングしに行かず、デートも映画などとベタなイベントしかない。ショッピングとは関係ない話だが、ロマンスのない男だね、と付き合ったことのある女性達に言われたりしていた。


「は、花畑さんですね、少々お待ちを……」

 店員は慌てて姿が奥に消える。見坂は口に咥えている煙草を取り、紫煙を吹き出すと、一瞥して壁に貼られているチラシがあった。

 “室内喫煙禁止”。

「マジかよ……」

 臭いが広がり周りの客の視線も寄ってきて、仕方なく煙草の火を揉み消した。


「あら、刑事さん」

 店員の後に出てきた女性は、ボディラインを良く強調してくれているドレスを着ていながら、猫撫で声で言う。

「あんたが花畑咲か」と見坂は嗅覚を刺激してくる香水に思わず眉を寄せる。

「そう。私に何か用かしら?」

「ああ。綾野達也知っているな?」


 咲は不思議そうな顔をして、笑顔も消えた。。メディアにはまだ出ていないからだ。

「ええ、知っているわ」

「二人で話せるところあるか?」

「あるわ。付いてきて」


 彼女に続けると、彼女が呼ばれるまでいた場所、所謂休憩室に案内された。見坂は見回すと幾つかのロッカーがあり、天井の隅には一台の監視カメラがある。

「厳しい環境だな」

 咲は彼の視線の先を追う。

「まあ、そんなことないわ。見られてもここではルールに反することしなければいいのよ」

「ルール?」

「休憩室の本来の目的以外で使用することを禁ずる、よ」

 見坂は黙り込んだ。

「これを設けているのは店長か」

「ええ」


 そうか、と見坂は椅子に腰をかける。咲も彼を倣う。

「さて。単刀直入に行こうか。まずあんたと綾野の関係を聞かせてもらおう」

「達也? あなたが思ったよりも深い関係よ」と艶めかしい笑顔を作る。

「いつからだ?」

「知り合う時から? 付き合い始めた時から? どっちも一緒だけどね。二、三年かしら」

「そうか、つまり深夜で連絡を取ったりするのも有り得るんだな」

「ええ、そうよ」


「つまり、あんたが殺人事件の容疑者でも有り得るんだな」

 え、と濃い化粧の下でも、彼女は一瞬で赤らみのない顔になったことは明白だ。

「あ、あたしが達也を殺すなんて、そんなはずがないわっ……」

「私はいつ、殺されたのが綾野って言ったか?」

 ぱくぱくと口を開けかけるが、声が出てこず、咲は俯いて手でドレスのすそを握り締めた。


*


 時間が現在に戻る。

 かけるは三夏と通学路を歩いでいるのだが、彼女は学生ではないので、制服でお揃いはできない。かけるにしては三夏に付いてきてほしくなく、早足で歩くわけだが、何故か彼女は従容として右側で追い付いている。


『これから私はかけるさんのお姉さんっていう設定ですよ』

「誰も聞いてないぞ! 帰れ」

『大丈夫です、こういう時はうちの弟はツンデレだけです、と言っておけばいいと思います』

「失せろ」


 かけるは左を見る。一人の子供は震えながら彼に寄っている。かけるに見られているのを察したのか、恐る恐る上目で彼を見返す。大丈夫だ、とかけるは軽く頷いた。


「おはよーかける……ってまた可愛い子だ!」

 浩太バカの声がするので、かけるは殺意としか呼べないオーラを出し、後ろに振り向くと二人が見えてくる。

「よう、かける、おはよう」

 伊織は彼を見る瞬間、悪意さえ感じるように口角を上げる。隣の浩太は騒いだ。

「なあ、紹介してくれよ、かける!」

「うるさいばか……」とかけるは言いかけたが、無機質な声に遮られる。

『初めまして、私はかけるの姉で三夏と言います』


 ノリノリじゃねぇか、とかけるは心でツッコむ。

「スマホで話しているんですか、三夏姉さん! 俺は壱岐浩太でこいつが蔵村伊織です、末永くよろしくお願いします!」

「バカ、末永くってプロポーズかよお前」

 もっと疑問を抱け、特にスマホで話しているところ、とかけるは心で吐き捨てた。

『実は私の苗字はかけると違うので、犬井って呼んでほ……』

 話の途中にスマホはかけるに奪われ、彼女の腕を掴み二人から離れようと走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます