1-⑤

 思考を麻痺させるチャイムの音が響き渡る。

 窓際の席で頬杖を突いているかけるは外ではなく前を見つめている。彼は現場を任せてくれと見坂に言われ、三夏に学校まで送ってもらう代わりに、放課後は“働く”と口約束をした。


「よう、不登校児」

 かけるは横に一瞥して、口角の笑いを隠そうともしない男子がそこに立っている。

「三限までいなかったから本気で心配してたぜ」

 もう一つの声は後ろから伝えてきたものだ。かけるは振り返らずに言う。

「黙れ、伊織、浩太」


 横にいるのは蔵村くらむら伊織いおり、後ろの席は壱岐いき浩太こうた。二人はかけるがこの高校で知り合った友人である。

「で、誰を見てるんだー? 藤原さんかー?」と浩太はにやにやしながら黒板を消している女子生徒を見る。

「かけるがそんなエロい奴だと思わなかったよ。確かに藤原さんは可愛いけどさ」

 かけるは前をじっと見つめるまま友人の戯れ言をまるで聞こえない。伊織と浩太は互いを見て、肩を竦める。


 席を立ち上がると、かけるは感情を持たないロボットのように黒板――いや少女にすたすたと近付ける。それを気付いたのか、彼女は彼に振り返る。

「椿原くん……?」

 ぴたりと少女の前に足を止める。身長差がある彼女は見上げて、近距離になっていることに思わず赤面する。かけるはそれに気付いてないようにゆっくりと手を上げて彼女の髪を触る。


「えっ、ちょっと、何をしているのっ……」

 彼女は息を呑み目を瞑ってしまい、教室の中も彼女の声で静まり返った。誰一人も目をかけると少女から離そうとしない。

「え、ちょ、早まるなよ、かける!」と浩太が声をかけた。

 少女は瞼を閉めたまま、数秒を経てるが何も起こっていない。動くな、と彼に囁かれると逆に心臓に悪いのだ。


 彼は呼吸することも許されないと分かっている。柔らかい髪と髪の間に、かけるは目を凝らして、指を更に奥へ……。

「……よし、取れた。悪いな、藤原」

 親指と人差し指で挟む髪の毛は彼女の前でひらひらとそよ風の中で舞う。それは彼女の長髪と異なって、灰色の短い毛である。


 少女は耳まで熱いと感じ、言葉も声にできずにダッシュで教室を出た。

「あ、おい、ちょっと……、聞きたいことがあるのに……」とかけるは呆然と彼女の姿が消えた窓に向いて嘆いた。伊織は彼の隣に立ち、彼の肩に手をぽんと置く。

「お前は罪の男だな……」と伊織はそう言うと、限界に達してしまい腹を抱えて笑った。


 はあ、とかけるは溜め息を吐いて、少女――藤原鈴花りんかから取った髪の毛を目の高さで観察する。

 銀色でげんのように、光にあたると表面が白くなる……が、それは、の話だ。

 その一本の髪には不規則なパターンで塗られたような、赤色が付いているのだ。


*


 放課後のチャイムが鳴り、がやがやと生徒達は教室を出る。かけるも席を立つ。

「よう、かけるお前は帰るのか?」と浩太は鞄を肩にかける。

 ああ、とかける。

「いーな、俺も帰宅部になりてー。練習きつい」

「文句言うな、バカ」と伊織は二人の席に寄ってきて、浩太に言う。「かけるはバイトがあるからだろ?」


 ああ、とかけるはもう一度愛想のない返事をした。彼の能力については知らされざることであり、もちろん事件の捜査に協力していることも秘密とされている。友人である伊織たちには、バイトを持ちかけているとしか教えなかった。


「ほえー、一人暮らしは大変そうだなー。でも学校をサボるまでバイトしてたらさ、そろそろスマホ買えるんじゃね?」

「お前はやっぱりバカだな」と伊織は溜め息を吐いた。

「バカばっか言うな!」


 ああ、とかける。「俺はもう行くぞ。またな」

 バタン、と引き戸が彼に閉められ、浩太と伊織は顔を見合わせる。

「かけるのやつ、どうしたんだ?」と浩太。

 さあ、と伊織は肩を竦める。




 鈴花から取った毛を丁寧に入れたチャック袋を眺める。動物の毛と見られるその表面に付いている赤色は恐らく血だろう。しかしクラスメイトの鈴花には自分の正体がバレないようにしつつ聴取するのは難しいことである。

 ……ただ彼女のペットが大怪我をしただけで、事件関係ないかもしれない。血すらないかもしれない。神経質になりすぎたか。

 まあ、一応。とかけるは思った。血があるだけで真実を突き止める価値がある。


*


「綾野達也はここの生徒だろうな?」

 女性はデスクの後ろから顔を上げて、突然の来訪者――見坂と三夏を怪訝そうに見るが、彼女の視線の先に見坂の手帳が据えているので、彼女は慌てて言う。

「あ、はい……ちょっと待ってください」と言いながらキーボードを打つ。

「……出ました。間違いありません、彼はうちの生徒です」


 見坂は女性の後ろに回り、コンピューターのディスプレイを見る。綾野が生きていた頃の写真と彼の個人資料が映し出されている。彼はこちらを見ていながら、躊躇しているようであるが口角はやや上げている。

「ふむ、なるほど。行くぞ三夏」と見坂は振り返り女性に言う。「ご協力に感謝する」

 三夏は一言も漏らさず、女性にぺこりと頭を下げると、見坂の背中を追い職員室を後にした。




「綾野? 知ってますよ。うちのサークルの人ですし」と言う青年の後ろは十数人の男女がはしゃぎながら何枚かのポスターを作っているようだ。

「それは知っている。私が聞きたいのは、彼と仲が良さそうな人いるかどうかだ」

「あ、そういうことですね。いますよ……おーい、かっきー」


 後ろに向けて大声で呼ぶと、もう一人の青年は作業を中止し、こちらに向かう。

「どうしたんすか、先輩」

「刑事さんがお呼びだ。綾野のことについてだそうだ」と彼に言うと、見坂に聞く。「俺は戻っていいですか?」


 ああ、と見坂は彼が離れるのを見送らず、かっきーと呼ばれた男子に聞く。

「君、名前は?」

柿崎かきさきいつきです。何があったんですか? また達也のやつが何かやらかしたんですか?」

「また?」

 やってしまった、という顔で口を開ける柿崎。見坂の鋭い視線を感じ、彼に答えること以外選択はないようだ。


「達也のやつは女好きなんですよ。いつも違う女といるのを見かけますし、人体研究同好会なんて入ってますし」

 人体研究同好会は非公式です、と彼は言い添えた。

 聞くだけで怪しい団体名であることから、隣の三夏はメモに書いた。

「女か。誰がいるか?」

「あ、はい、たぶん全員は知りませんけど……」

「構わない。それと知ってそうな人間も教えて欲しい」


 動機になるかもしれない。

 概ね二つのパターンがある。開口薫がその女たちの一人か、彼の周りに彼女の存在を知っている別の女がいるかのどちらかだ。

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