1-③

 椿原家を出ようとするかけるを、前にいる三夏は手で制した。彼女は目玉をぎろりと前方を睨みながら、ゆっくりと、左手が腰に掛けている土色の皮袋から拳銃を取り出す。

 フェンスに囲まれた家は小さな庭があるが、放置されていたギンバイカの木と枝が壁とフェンスまで伸び、誰かの身を隠れる場所を作る。

 三夏は銃を構えて、銃口の狙いを左から前に、更に前から右に移動し、目の届ける範囲で一枚の葉も動いていないと確認すると、漸く銃を下ろした。


「大丈夫なの?」と真琴は彼女に聞いた。

『まだ安心できません。確実に人間の気配がありました』と三夏は振り返りかける

を見る。『仕方ありません、今日は一緒に帰りましょう』

 かけるは見つめ返して、口を大きく開いて簡潔に、三文字を吐いた。

「い、や、だ」


『わがまま言わないでください! 万が一不測の事態が起こるかもしれないから気を付けろって見坂さんに言われてます!』

「それはそんな時になったら考えるんだよ。俺は被害者でもお前の子供でも家族でもないんだからほっとけ」


 かけるはもう彼女に二度と会話を交わしたくないと言わんばかりに、すたすたと彼女の横を通り過ぎる。

「椿原くん!」

 彼を呼び止めたのは、三夏ではなく真琴だった。

「なんですか、朝霧さんまで。早く行かないとダメじゃないですか」

 しかし彼女が答えられる前に三夏はスマホの画面を打ち終わった。微かな感情の起伏も感じさせない声が流れる。


『見坂さんの命令はかけるさんを守ることです』

「見坂さん、見坂さんうるさいな。そんなこと初耳だし関係ない」

 三夏はまたスマホに打ち始めるが、真琴は彼女の腕に手を置いて制止する。

「隊長がいない限り議論してもしょうがない。時間が惜しいわ、取り敢えず現場に向かいましょう」


*


「……で、なんで朝霧さんが来てるんですか? やっぱり仕事がないからですか」

 助手席に座るかけるは手を後頭部に組み、運転席の真琴に聞く。


 仕事がない、と彼が言ったのは、彼女を揶揄する言葉だけではない。真琴は、機械からネットが得意分野なため、情報分析などの仕事が彼女に回る。かつての大事件の主役であるという噂は耳にしたことあるが、かけるは見坂さんと出会った頃から彼女は既に彼の下に働いているので詳しくは知らされていない。


 彼女は彼に一瞥を与えずに言う。

「面白いこと言ってくれるわね。私はエリートよ、あなたと違うわ」

「でもそのエリートさんが平民を送ってますよ。プライド的に許されるんですか」

「当たり前よ。命令を遂行することこそエリートなの」

「そうですか。じゃあ、明日から平日の朝八時、俺を学校まで送ってくださいね」

「あなたの指図なんて聞かないわっ! 調子に乗らないことね」

「ケチですね。仕方がない、見坂さんに頼んでみるかなぁ」

「隊長関係ないでしょっ……」

 真琴は突然にペダルを踏み車を止める。反動で身体が前に傾げる。

「ちゃんと前を見て運転してくださいね。危ないですよ」

 にこにこと笑うかけるを横目で睨み、覚えときなさい、と彼女は吐き捨てた。




 かけるが見坂の連絡の発信元は、椿原家から車二十分のアパートだった。真琴はレバーを引き車をとめると、かけるはシートベルトを解き車を降りた。携帯を確認してみると連絡を受けた時間から既に一時間が経過してしまっている。


「何やってんだお前ら」

 見坂はやや厳しい口調でエレベーターから出てきた三人に言う。

「た、隊長、申し訳ありません!」と真琴は頭を下げる。

 見坂はちらっとかけるを見るが、彼はぷいと顔を逸らす。

「……この話は後だ。早く付いて来い」


 彼に続いて、立ち入り禁止のテープが貼られている部屋に辿り着く。開きっぱなしのドア以外は一見通常と変わらない。かけるは廊下で臨時的に設けられているテーブルやパイプ椅子に目をやると、外見はおよそ四十過ぎ、濃い化粧をしている女性は焦燥している顔で一人の警官と話している。恐らく彼女はここの住人だろう、とかけるは推測してみた。


 テープを潜ると狭小な部屋に圧迫されているような感覚に襲われる。家賃は大学生や新社会人でも支払えるほどの低価であるが、見た限りでは一人で暮らすのが限界だろう。ふと、先程の女性を思い出す。あの年でもなれば、こんなところに住むのに納得できる理由がなければ理屈に合わないのだ。

 好奇心がそそられるが、捜査に於いて主観と先入観は固く禁じられている。


 玄関は部屋の一角にあるため、数畳しかない部屋とはいえ寝室の壁が目前にあり、その曲がり角の先は見れない。

 何かが待ち構えているのかも知らないのに、かける、真琴と三夏はそれとも恐る表情一つもせず進んだ。

 すると、誰かがいた。


 鉄臭いにおいが部屋を満たしている。体温が高くなっていき心臓の鼓動さえ聞こえるようだ。

 一人の男は、浴室と寝室の前で倒れている。

 腹部を中心として血溜まりが胸部、下肢まで広がっている。腹部より下に続き、その血溜まりから彼の指先まで弧を描く痕跡が血で現している。

 血色のない唇は一線の赤黒い色の液体はまだ乾いていない。

 濁した目を瞠ったまま地面を向いていて、何かを求めているようだ。

 三人は手を合わせて、死者に黙祷する。


 真琴はカメラをバッグから取り出して、写真を撮り始める。

 男性の名前は綾野あやの達也たつや、Y大の生徒である。かけるは手袋を着用して、真琴が写真を撮り終えた箇所を確認しようと、綾野の手元に落ちたスマホを拾い上げる。その携帯に血溜まりからの血液で指紋が付け、画面は真っ暗で起動もできず、電池が切れたようだ。


「被害者の携帯ですかね」

 真琴はカメラの後ろから彼を一瞥して、作業に戻りシャッターボタンを押し続けながら答える。

「さあ、どうでしょうね」

「被害者はこれに届こうとしたか届いてて意識が切れましたね。画面がオンのまま放置すると電池が切れやすくなります。まあ、これからは朝霧さんの仕事なんで。ひょっとしたらこの中にダイイングメッセージが残されてるかもしれませんよ」

 ハッとして真琴はかけるを見る。

「ええ……確かにそうね」


「もう、しっかりしてくださいよ、朝霧さん。タグを付けておきますね。ところで、見坂さんは?」

「外よ。この部屋を借りてる女性……第一発見者と話してるの」

 へぇ、とかけるは真琴と三夏を残して、玄関を向かう。すると女性の声が飛んでくる。


「――はっきりしてください!」

 その声の主は、かけるがこの部屋に入る前に見た女性のものだと、テープの外にいる見坂の斜め後ろから覗けば彼女の容貌を確認できて、分かるのだ。

「開口さん、さっきも言ったが、我々は証拠を集めてここに起こったことを調べている。そのためにあなたのご協力を求めたい」

「私はもう知ってることを全部話しましたから。これ以上何を言えばいいと言うの!」

「……分かった。しばしここで待機して欲しい。何かあったら直接に話したい」

 女性は見坂を見て返答をせず、パイプ椅子に座り込んだ。

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