1-②

 普段外に出ることを拒んできた彼女は一体誰と知り合ったのか、こういう面でも気になって仕方がないかけるは彼女の後に続いて、階段を上っていった。

 踏めばギシギシと軋るその階段は、誰かの代わりで彼に“おかえり”と呟いているようだ。


 階段を上り切ると二階は左側に物置と風呂場、右側に二室、奥に一室の部屋がある。

 かけるの部屋は右の一番目にある。二番目は、妹のものだった。彼女はため、母がいなくなった頃は一つの問題もなく親戚に引き取ってもらえて、二つ下だけなのに顔すら記憶が曖昧だ。

 奥の一室は聞かれるまでもなく、主寝室だ。そして、かけるが足を踏み入れる場所ではないのだ――。


 こっちの気持ちも知らずに、先頭にいる少女は廊下を真っ直ぐに歩いている。

 やめてくれ、あそこだけは――。

 かけるは心の中で懇願した。彼は両親のことを否定しているわけではない。ただ、彼にとって遺されたものを詰まる場所はまるでパンドラの箱のように、開ければ何が待ち構えているのか分からないのだ。


 かけるは複雑な気持ちになる同時に、疑問が頭に浮かぶ。こんな何もなくて、ただ塵が積もっている家に、一体どんなやつが来たんだ?

 両足がはっきり見えているのに雲のように軽々と移動する少女の背中をぼんやりと見ていると、突如として目の前は真っ暗になった。唐突なことにかけるは周りを見回そうと思うが、首は激痛に襲われ、刃物に刺されたような感覚に、思わず悲鳴を上げてしまう。


 かけるは漸く気付いたのだ――視界が暗くなったのは“黒い霧”のからだ。そいつが“来訪者”ならば彼女は、うらみを連れてきたというのか。だとしたら……。

「どういう……ことだ……」

 とくんとくん、血が傷口から流れ出す音なのか、心臓の騒ぐ音なのかも分からないまま、意識が遠のいていく。




 全ての感覚が消え去った。

 もう死んだのだろうか? 意外と何も感じない、何の未練もないものだな……。自分も霊になって……見れる人はいるのだろうか。というか未練がなければ成仏するんだっけ……。


 ――だ。

 好きだ。

 大好きだ。

 なのに、なんで? 教えて……


 聞いたことのない声が暗闇で反響する。その数文字だけで伝わった言葉は感情的に自分と対極になっていると感じた。男か女か。叫んでいるのか、号泣しているのか。悔しさ、苦しさ、悲しさが混ぜ合う……。

 お前は誰だ?


 目を開ける。見慣れている焦げ茶色の木製の床が広がる。片腕に身体の重量がかかっていて、痺れると思い天井に向けようと身体を動かしたが、特に不自由さはなかった。

 問題は、天井に異物――ではなく、透き通る白い少女の顔がそこに、自分を心配そうに覗き込んでいる。かけるは首に手を当ててみる。撫でても痒さも痛みも感じない。刺されたのは夢だったか……、否、あの痛覚は間違いなく本物だ。どういうことだろう。殺されたのかと思いきや、身体に全く異状がない。


 かけるは身体を起こしてオロオロしている少女に聞く。

「お前がハメたのか?」

 少女は力づけて頭を振る。

「ち、が、う、の」

「やつはもういないのか?」

 彼女はゆっくりともう一度頭を振る。そして口をパクパクさせる。

「ご、め、ん、な、さ、い」

 申し訳なさそうな彼女の表情を見、かけるは考えた。

 もし彼女が知っていたら自分が倒れた間に逃げていればいいのだ。では、犯人は誰だ……、いや、? 謎の声のやつか……?


 考え込んだかけるのポケットから携帯の振動音がする。折り畳み式のガラケーを取り出すと、消しゴムのような大きさで矩形の画面に“見坂さん”と表示されている。

『かけるか』

「見坂さん……、今は何時だと思いますか」

『もう七時だ。それより……』

 かけるは彼の話を遮る。

七時なんですよ。眠いので寝かせてください。モーニングコール要らないんで」

『ばかやろう、何事も無いのにお前に電話しないだろ。察せ』

「はあ……、事件なら最初からそう言ってくださいよ。お互い時間の無駄ですよ」

『こいつ……、まあいい。今から真琴まことに向かわせてもらうから、準備しておけ』

「げっ、朝霧あさぎりさんですか」

『ああ。お前らの相性が最悪なのは分かっているが、今ここにいるのは俺と彼女だけだからな。それだけだ。頼んだぞ』


 無機質な音は通話終了したことを訴えてくる。かけるは耳に当てていた携帯を下ろし、目は虚ろになる。

「寝たい……」


*


 まるで岩のように重くなったドアのハンドルを掴み無理やりそれを引っ張った。するとそこにドアベルを押した、かけるの天敵にあたる人物、朝霧真琴だ。

「椿原くん? 早く支度しなさい、行くわよ……ってその髪」

 ドアの向こうの女性は肩に揃える黒髪、くいっと眼鏡を指で位置調整して、輝く漆黒の瞳で見つめてくる。薄い化粧であるが成熟した女性の魅力を引き出されている。


 髪が指摘され、かけるは首に巻いているタオルの端を握る。

「シャワー浴びてきました。ちょうど乾かすところなんで」

 真琴は小さな口を開いて、信じられない、と声を漏らした。

「隊長からの連絡を受けたのに? 遅れたらどうするのよ!」

『私が手伝いましょう』


 真琴の背後から機械の声が聞こえる。コツン、と一歩前に踏んで姿を見せる少女は、片手でスマホを持ち、かけるに微笑みかける。視線をスクリーンに落とし、親指を使い高速で画面を打つ。その指が止まると合成音声が流れる。

『おはようございます。かけるさん』

「お、おう……、犬井いぬい

『さあ中に入りましょう。かけるさんが風邪を引いたら困りますから』

「犬井さん甘やかさないで!」

「子供扱いするな!」

 と、同時にかけると真琴は彼女に抗議するが、背中が押される。


 ソファに座らされて、ウイイン、とドライヤーの騒音がする。

「だから自分でできるって……」

 返答がない。指が髪の間に行き来している感触がして、彼女――犬井三夏みつかは今

 年齢だけを言えば彼女の方が上だが、彼女は高校に行っていない。その理由は見坂にあると、かけるはよく知っている。そして、彼女がスマホアプリを借りて話している経緯も、その過去を彼は


 とはいえ、返事がないのは気持ちが良いことではない。かけるは彼女に文句を言い付けようと振り返るが、三夏はドライヤーを持っていない手で彼の頭を鷲掴みし、華奢な少女だと思えないほどの怪力で前方に向かせる。

 この馬鹿力だ、じんじんと頭が痛み、かけるは心の中で不満を垂れる。誰かと入れ替わったんじゃないだろうな!

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