1-①

 夕日の黄金色が世界に降り注ぐ。

 大通りの両側に並ぶ商店と住宅の間を覗けば、野良猫は優雅に背を伸ばして、ニャーと愛嬌のある声で鳴く。更に奥に歩いていくと、一人の少年の姿が見えてくる。猫は彼に向かってもう一度ニャーと注意を引きつけようと鳴いたが、少年は一瞥もくれず――いや、彼はからだ。


「良かったな」と彼はにっと笑顔を見せた。「これからのことは任せてくれ」

 猫はニャーと鳴いてキョロキョロと彼の周囲を見るが、少年以外の人間はどこにもいない。

「じゃあな」

 彼が話していた相手の正体は不明瞭なままで彼は大通りに出る。片手にメモ帳を持ちもう片手はボールペンを握り、何かを書き込んでいるようだ。


「おう、かける、どうだ」

 少年――椿原つばきはらかけるはメモ帳から顔を上げる。夕日が映してもなお深い紫色が目立つ瞳は、声をかけてきた男性に視線を落とす。端から灰色グレーを染めつつある煙草を咥えながら、疲労感を隠そうとしない目で見返すスーツ姿の中年男性は、“OPEN”と書いてあるカフェの硝子に、身をもたせかかっている。

「被害者は……成仏したか」


 見坂みさかさん、とかける。

「さあ。でも少なくとも解決されるまでまだ会えると思いますよ。ところで、俺の前で煙草やめてもらえません?」

「嫌と言ったら?」

「質問で返されるなんて……、そうそう、そこに半透明の女性があなたを睨んでいますよ、気を付けてくださいね」


 そう言いながら男の背中を映される透明な硝子を指す。

「なっ、どこだ!」

 見坂は飛び上がるが、見えないものは見えるはずもなく、キョロキョロと周りを見るが誰もいなく、目の前には満面の笑顔を見せるかけるとシャーッと威張る猫だけだった。




 鞄を背負い、かけるは見坂と並んで歩いている。

「これからはどうするんですか」とかけるは聞く。

「いつもと変わらん。お前が見つけ出した容疑者を逮捕して、を集める」

 はあ、とかけるははばかりもなく溜め息を吐く。

「早くしてくださいよ。今回は幸い被害者がフォグになってないだけで、解決できなかったらどうなるのか、俺にも分かったことじゃありませんよ」


 フォグ――それは、かけるが命名した、怨念を持つ“霊”のことであり、生の人間に危害を及ぼす可能性があるものだ。怨みを放ち、自身の周りにオーラのようなものを纏い、“黒い霧”に見えてしまうことからフォグだと。


「あ、ああ……、そうだな」と見坂は同意した。

 彼には見えないのだが、数年も少年かけるを観察してきた限り、それがどれほど危険なものかは心得ている。

 彼が知っている範囲ではいくつかの事件でかけるがフォグに遭遇してしまっているからだ。


「……本当に分かっているんでしょうね」とかけるはまじまじと見坂を睨む。

 ふと被害者の歪めた顔が頭に浮かべた。創傷――致命傷と思われる箇所から黒く変わった血の淀みと、それから少しずつ離れていく、一滴、また一滴の雫が落ちていた。それを凶器はものの端から滴っている光景は、想像せずとも分かってしまう。


 そしてその横には瓜二つの顔を持ち蹲る人間、いや、霊は涙を拭いて、彼に顔を向けて、瞳は何かを訴えているよう――。

 聞こえない。の言葉は互いの間に壁があるように伝わってこない。何を言おうとしても唇の動きもなく、読唇術も役に立たない。

 そして、自分の力だけでは助けられない。

 何故なら、普通の人間に霊が見えるはずもないのだから。

 当然、彼らの目に映すものしか、証拠になり得ない。


 さっきの裏路地で会った時も涙が流れてたな、とかけるはふと思った。ただ前とは違う意味で……。

 あんな無惨な最期を迎えながら我を保つ霊なんて、冷静に考えてみれば不思議なことだ。生きていた頃の被害者と会ってみたくなるものだ。

 半分しか残っていない橙色の夕日を眺めながら、もしかしたらこのを見ても受けて入れてくれる聖人しょうにんかもしれないぞ、とかけるは自嘲した。


「着いたぞ」

 見坂の声がするので、かけるは我に返った。彼らは駐車場の入口にいるのは周りを見ればすぐ分かることだ。

「送るか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか。何かあったらまた連絡する。お疲れ」

「お疲れ様です」

 気力のない声で返したかけるをその場に残して、見坂は駐車場に入った。


*


「ただいまー、って言っても返事する人いるわけないか」

 かけるは玄関で靴を脱ぎ、足で重くなった身体をリビングのソファまで運ぶ。


 照明を点けると分厚いテレビ、テープレコーダー、新しいカレンダーを貼られているが塵が積もっているクローゼットが見える。見渡すとどの家具も九十年代、もしくは小さい頃からそこにあるものばかりで、この家の時間は両親がいなくなった頃から停止したようだ。


 かけるは不意にもテレビに置かれてある写真を見てしまう。記憶から消えてしまいそうな母の笑顔がそこにある。

 小学に入る前に母は他界して、九才の時に父までいなくなった。身の寄る場所がなくなった自分は母の方の祖母だけが理解者だった。

 自分の両眼の色が違うことが、親戚にも誰にも疎まれている原因である。


 かけるはを思い出す――彼女とは彼女の母親にを見られてしまった時から、一度も会っていない。彼女の容貌さえ忘れてしまいそうだ。

 だが猿であろうと知能があって学ぶものだ。平穏な日常を送るために高校に受かった頃から、カラーコンタクトを使っている。普段は寸分たがわず紫色だが、片方を取るとべに色になる。

 は知らない。瞳のことさえ、何も知らない。これがベストだ。知らなくていい。


 視線を感じ、かけるは伏せた瞼を開ける。すると前に自分を覗き込んでいるな少女がいる。彼女は不思議だ。幼い身体に白いワンピースを纏い、肌も雪のように白い。何よりも彼女は――。

「か、け、る」

 少女は、かけるに話しているのだ。

「ん……、どうした? 遊びたいなら風呂と宿題の後で……」


 彼女頭を振る。彼の手を引っ張ろうと自分の手を伸ばすが、実体に触れずすり抜けてしまう。漸くそれに気付いたのか、彼女は俯く。かけるは優しい口調で聞く。

「今じゃないとダメなことなのか?」

 少女は顔を上げる。

「あ、っ、て、ほ、し、ひ、と、が、い、る、の」

「会って欲しい人?」

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