Extra-10 業火に消された記憶と愛

 天秤が動き出した。ティティの心臓は、小さく、少し変わった形をしていた。愛らしくて、とてもではないが触れられない。そして、琥珀色に輝いていた。真っ黒な罪人の心臓には似つかない。

 マアトの羽と、ティティの心臓が同じ色で輝いていた。


「んっとに……たまんねーな。王女様」


 天秤は釣り合わなかった。マアトの羽のほうが、重かった。だが、マアトはニヒルに笑って、ティティを抱いて降りて来た。抱き留めた四肢はゆっくりとあたたかさを取り戻し、イザークは無言でティティを抱きしめた。


「マアト……どうして……」


 マアトは空を見据えた。


「言っただろう。時間がない、と。まもなく月と太陽が重なる。そうすれば、この世界は永遠に固定され、正しき路となる。ヴァベラの血とやらで、抗えばいい。汝たちは、身体を使って、心まで届くのだろう?」


「ティティを、この状態のティティを抱けと……あんたは、そう言ったのか!」


 マアトは天秤と共に浮かび上がった。


「残念だが、俺は次の世界へ向かわねば。悪の苗床はたくさん在る。見届けは出来ない」


 脚を止めて、「かつて」と呟いた。


「我と、ティティは繋がった。我は人間などと繋がる気はないから、呼び出す呪文はない。だが、ティティインカは再び、罪人の海にやって来た。あれには驚いた。ちょうど、クフたちを連れて旅立つところで……」



 マアトはくす、と笑うと、一気に飛び立った。



部屋の隙間から、視線を感じた。



「……おまえ、んっとに罪人なんだな、クフ」


 クフは何を言われているのか分からないような、純粋無垢な目で、イザークを見詰めている。イザークは大股で歩くと、クフを抱き上げた。

 その時、テネヴェを破滅に導いた、弟の顔に見えたのは、気のせいではない。クフは、クフの中に生まれている。


 善悪の区別がつかない、稀有な人種として。


「あいかわらずの、愛情不足か。憶えてる? 俺、おまえの兄だったんだが」


 クフはまた子供の表情に戻り、イザークに恐る恐る小さな手を伸ばす。その片手でも足りそうな手を掴むと、なにやらじわりとせり上がって来るものがあった。



「……そうだよな。おまえ、やり直そうとしたんだろ。……お人よしのティティが、手伝ったんだろうな。俺の自己欺瞞な部分も、見抜かれていたんだろうさ」


「な?」とよく似た顔を見つめているイザークに、何かが投げつけられる気配。さっと避けると、ティティインカが枕元の水差しを投げた姿勢でイザークを睨んでいた。



「クフから離れて。呪いかけられたいの?」


 クフを抱き上げたまま、イザークはティティに歩み寄った。ティティは慌てて引き出しから短剣を構える。ご丁寧に、クフの持っていた短剣そのもので、イザークは刃を手で掴んだ。鮮血が滴り落ちる。


「物騒な王女だな、相変わらず」

「お、王女?! わたしは」

「あんたは、いつでも、俺の王女なの。ガキの前で……気が引けるが、どうするかな」


 イザークはクフにしゃがみ込んだ。


「おまえも、ちゃんと、愛してやるから、今夜は俺とティティインカだけにしてくれ。こんな世界を作ったのも、愛されたいからだろう? 可愛いもんだ」


 クフはこくりと頷くと、不思議そうに、イザークを見上げている。どこかで気が付いたのかも知れない。クフの父親は、イザークなのだと。


「き、来たらぶすりといくから」まだ性懲りもなく、ティティはイザークに短剣を向けていた。イザークは眉を下げて、ティティの胸元に指を這わせる。心臓が動いている。マアトとの折衝はいつだって、幻ではないか、と疑いたくなる。


「あんたの心臓の色、教えてやろうか」


 ティティはガクガクとしながら、短剣を向けていたが、「心臓?」と首を傾げた。


「――そう。琥珀色していたよ。マアトの羽と同じくらい、美しかった」


 ティティを抱きすくめながら、イザークは肩をはだけさせて、唇を滑らせる。ティティの熟した四肢は柔らかく、アケトアテンの女神のようだった。


「あんたを、灼熱で抱くほうが良さそうだ」


 

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