Extra-9 業火に消された記憶と愛

 ティティとは、エジプトを目指し、後世へ進むはずだった。それが、いつしか……イザークは脳裏の時を巻き戻した。

 クフが生まれた瞬間、クフと目が合った瞬間。世界は恐ろしい勢いで塗り替えられ、天体は変わらずとも、まるで違うコードロージに書き換えられ、鎮圧した。

 イザークは遠くの敵国の真っ只中に堕とされ、日々、土を食らうような日々になる。一方、ティティインカは魔導士として、優雅な暮らしをクフと過ごす。その二人がまた出会う確率まで、クフが考えていたはずはない。

 何かが作用したのだ。


 それは、目の前の男の存在かも知れない。


現に、イザークは記憶を持ったまま、この世界に生きている。


「――向こうの世界は、無くなったのか」


「世界は無数にある。ただ、これは「クフのための世界」で、「イザークのための世界」も分岐する。しかし、その中心たるティティインカを壊されてしまったせいだ。忘れてはいまい? ティティインカもまた、魔導の持ち主だと言うことを」


 イザークは頷いた。「もう、変な色」と投げたスカラベ。なぜか、ポケットに入っていた。敵陣を切り殺し、血を浴びて、それでも、スカラベは輝いていた。



「この世界は、クフと、ティティインカが作った世界か。ティティは、何故、俺に怯えたんだ?」


 マアトが「ほう」と声を洩らす。


「そうだろう? 俺とティティが憎しみ合う世界はクフの野郎がおいたしたとして、実際に、俺に怯えて、この期に及んでティティは……」


 かっと腹が焼け付いて、イザークはティティの細腕を引き寄せた。


「中身は俺だが」喚いたマアトに腕を緩めて、地に手をついた。


「何が、いけなかったんだ。どうして、ティティは俺と敵対するような真似を……。抱いたことが悪かったのか、それとも、神聖なるアケトアテン王国の王女の高貴な血が、ヴァベラの罪人に穢されたからか」


 気が付くと、イザークは大粒の涙を落としていた。


 ――願いはただひとつ。ティティインカに逢いたい。それだけだ。魂が死んでも、追いかけて死の世界に来てくれた、その愛情を返してやりたい。それだけだ。


「――罪人(アザエル)」


 見上げると、マアトがイザークを見下ろしているところだった。マアトは両手を広げると、空間を示す。そこには、かつて見た、大きな天秤が浮き上がり、カタカタと歯車を動かしている。


 マアトは告げた。


「おまえはもう、アザエルではない。ティティインカの心臓で、今再び」


 イザークは悟った。どうして、ティティにマアトが乗り移ったのか。それは、心臓を取り出すためだ。あの時、イザークは霊体ではなく、生身だった。温かな心臓が飛び出す感触は死とも言えるものだった。


 急に胸が氷のように、冷えて、愛をどこで感じるのか、場所が消える。そんな想いをティティインカにさせたくはないと、願う。


「ティティを……傷つけないでくれ。マアト、これ以上」


 ティティインカの寝巻の裾が翻った。マアトは頷くと、手を翳す。すぐに表れたものは、ティティの鼓動だった。


「天秤、急降下だ」


 ゆっくりと降りて来た天秤に、マアトは丁寧に、とくとく動く、ティティの心臓を載せる。理由なく、涙が溢れた。


 ――生きているのだと。同じ世界に、生きている。意識の違う、同じ世界。ティティは、どれだけ、俺と同じ世界を知りたがっていただろう。



 ――ねえ、帰って来るよね。どこへ行ってるの?



(あれは、確か、商人だった頃。俺は、一人で何度も出かけた。ティティに買ってやった首飾り、とても似合っていた)


 ――内緒ごとばかり。……え?王子なの? 床で寝る王子がどこにいるの!


(あの時も、ティティは不安そうだった)


 思い返すと、ティティは、いつも不安そうで、強気で見えなかったティティの願いは見えていたのに、見ていなかったのだ。


「俺と、同じ世界を観続けることか……そうか、クフはティティの中で、それを知って、絶対に違う世界に仕立てたんだ――……俺と、ティティが同じ世界でも重ならない世界。そして、自分だけが愛される世界――」


 イザークはまさに罪人の姿勢で項垂れた。


「どうして、ティティの不安を……俺は……」


 両親を探したいと告げた。だから、エジプトへ行こうと誓った。スカラベが変な色だとティティは悩んでいた。それの意味も分からなかった。


「斑色のスカラベか」


 気づけば、マアトは心臓を抜き出したティティインカを抱き、天秤に座っていた。とてつもなく大きい天秤は、時空の狭間に現れる。


 金色の尾を地面に擦らせて、マアトは天秤の中央に立った。


「本来は、アヌビスの役目だが。オシリスも、アヌビスも、遠く旅立っている。ティティインカ、汝の愛を示せ!」

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