Extra-8 業火に消された記憶と愛

***

 ティティインカの裡にあっても、マアトの神としての声音は、恐ろしいほど、イザークを揺らがした。


「……どうすれば、俺は俺の妻を取り返せるんだ」

「そもそも」


 マアトの声がイザークに被った。マアトは、ティティインカの下腹をゆっくりと撫でる。


「汝たちは、心と体で恋をするから、厄介だ。だが、俺の世界に飛び込み、天秤に勝った愛は、どうやらそれだけでは収まらないらしい。おまえはそれでよかった。心臓の重さを自覚し、ティティインカを真実の愛で、この俺から奪い返した。だが、ティティインカはどうだ。一度、彼女は死んでいる。それも、魂の死だ。瓶詰になっていただろう」


 イザークは目を見開き、ティティの中のマアトの首を片手で締めあげようとした。


「落ち着け。これはティティインカの四肢だ。話を続けよう。ティティインカは、死したところで、俺が捕まえた。小さくなって、それでも、霊体になろうとも、おまえの名前だけを唱えていた。地獄の業火を横切り、疲弊していたから、瓶に入れてやったんだ」


 イザークはマアトの部屋を思い出す。

 瓶詰がたくさん、並んでいた。

 空恐ろしい数の瓶詰には、たくさんの魂が詰まっていた。


「まさか、あんたは、魂になった想いを助けていたのか?」


 マアトは、ティティインカの顔でふっと微笑んだ。


「神と人……どこからが境界線なのやら。かつて、汝たちほど、強く愛し合った二人はいなかったぞ。汝らで、五組目だ。いずれも、天秤には勝てていない。あれは正義の天秤だ。天秤に心臓を載せられた時点で、大抵が命を落とした」


 黄金の天秤。イザークの心臓は真っ黒で、マアトの羽はとても美しかった。だが、見てくれじゃない。もし、見てくれなら、イザークの心臓には勝ち目はなかった。


(ティティインカを手籠めにしたのは――……愛していたからじゃない。俺は、愛してると言いつつ、ティティの想いには勝てなかった。そして、罪人であることでどこか、安堵していた。でも、ティティは告げた)


 ――神になんか、逆らってやるから、と。その時、俺は罪人である意味を知った。


 マアトが、ふと、空を見上げた。


「もう、時間がないな。我は違う世界へ飛び立つ。ここは、鳥かごだ。クフによりつくられた、クフだけに都合がいい世界。――おまえは、産まれた子をどうする?」


 くくっと笑った声に、イザークは「面白がってんだろ」と反す。マアトはティティインカの表情ではあるが、どこか遠い目をして、無言で空を見上げていた。


「月と、太陽が重なる瞬間、この世界は完全になる。本来の歴史は終わり、クフが支配する世界創生だ。己の愛を否定する。それがクフの絶対的な望みだから」


 イザークは「また、クフか」とティティインカの影に隠れた少年を思い返す。


「確かに、俺の弟にそっくりだぜ。ただ、疑問がある、マアト」

「なんだ」


 ティティのコブラヘアーはもう変わってしまって、大好きだった黒髪も、亜麻色になっている。クフが育てば、茶髪。大層に似合うだろうが、白髪のイザークとは合わない。


「俺、やっぱり、向こうのティティインカに逢いたい」


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