75……天秤の奇跡

 ――わたし、どんな顔でしたっけ? ティティは小さくなって、ぼんやりと〝考えて〟いた。


『ええと、もう一度言ってくれない? 婚約者と兄って何? 何がおかしいの。わたしは、もう一度説明を、と言っているの』


『いや、コブラがな……よくもゆっさゆっさ揺れるものだと。話もままならん』


(わたしの頭を笑う男は誰。〝コブラ頭〟失礼ね。そうそう、コブラは国の象徴。どこかの王女だったのかも……)


 記憶をぼんやり辿りながら、ティティは過去をやり直していた。


『王女。王女が無事であることをあんたの両親は望み、地を去った。自分たちの命は構わない。だから、ティティインカを助けてくれと。ラムセスはあんたを殺そうとはしていない。――俺と結婚することが、たった一つの生き延びる術だと理解しろ』


 ――これ、誰だっけ。


(ううん、容姿は覚えてる。肌は、小麦色で、ちょっと砂の匂い。でも、とても好き。貴方を好きな、わたしが好き。抱かれて、愛されるわたしが好き。だから、ちゃんと言うの、見ていなさい。ファラオの娘の覚悟)


〝ばかばかばか。無鉄砲の考えなし! 絶対離縁してやる! そもそもイザークがいけないんだ。そう、すべてイザークがいけない! 月が泣いてるのも、裁きなんて世界も! 夜が怖いのも、光が少ないのも、この変な気分もぜーんぶイザークのせい〟


 ――イザーク。そうだ、わたしは彼と一緒に生きた。


「ティティ、ずっと、これで一緒だ。もう理を探す必要もねえんだ」


 透き通ったティティの心に、呪力が満ちる。魂まで、全部が愛される奇蹟。


 わたしは知っている。愛が満ちる瞬間を。受け入れて、驚く体内の嬉しさも。ぽーんと魂が飛び去るほどの甘い快感も、愛情も。


 ――そう、わたしは愛されている。だから、悪諡なんかには負けないの。


『サアラさま、わたしたちの愛は、裁きなんかに負けない』


(イザークに辿り着くまで。だから、この想いは渡さないの! ぽつんと残ったわたしの心臓。これが、全て――今、行くわ、わたしが、こっちから飛び込むわよ。あたしわかった。好きな人の傍で、自分が在ることが何よりの幸せなのだと――)


***


 眩い光。ぱち。ティティは眼を開けた。四肢がだるい。炎が眩しくて、熱い! 


 唇の感触。眼の前にはイザークの優しい瞳。火影の中で、愛おしい姿が揺れた。


「ティティインカ! ティティ……俺の、妻……一緒に、生きてくれるな?」


 お互いしか眼に入らなかった。イザークの全てしか、ティティに飛び込まない。


「もちろんよ! わたし、もう離れない!」

 腕に飛び込んだ。言葉など、要らなかった。天秤が大きく揺れ、崩れた。「こっち」とマアティが二人の腕を引いた。

 言葉の代わりに、涙が滂沱のように流れる。喋る様に、二人は泣き続けた。


 奇跡は起きたのだと、互いの心に深く沁みわたるまで。


「逢いたかった!!!」

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