68......罪人と女神ネフティス

「出せえええええええええええええええ! 俺は鳥じゃねえぞ!」


 イザークの叫びが木霊になって、業火の世界を飛び回っている。ティティと引き裂かれたイザークと、ネフトはマアトの手により、鳥籠に閉じ込められていた――。


 どこもかしこも金の炎で編まれた檻の中。生きているのか、死んでいるのかも判らないほどの、空圧と熱が絶え間なく襲いかかる。


「お静かに! せいしゅくに! ここがどこだか、判っていますぅ? 罪人アザエル

!」


 イザークとネフトの眼の前では、お目付らしい子供が眼を光らせている。ふわふわの髪を両脇で縛り、トーブを着ている。人形のようだ。頭には月桂樹の冠。


 ネフトがやんわりと答えた。


「マアトの居城でしょ。空間の捻れた場所。私たち神が〝炎の棘〟と呼ぶ場所。あたしも来た経験はなかった。もう、反響して耳が痛いから、叫ばないで頂戴。イザーク」


「そうですよぅ。マアト様お昼寝中ですぅ。叫んじゃだめですぅ。なんですぅ。人間のクセに。マアト様に言いつけちゃいますよぅ? 死んじゃいますよぅ。本当ぅ」


 檻ごしに子供がぬー、と睨みを飛ばす。少女は鳥の羽に変わった腕をプンプンと振った。ツンツン尖った足で地団駄を踏む。


「貴方みたいな、横暴な人間のせいですぅ。マアト様は起きてくれないですぅ。それだけ裁く必要が多く、力を消耗するんですぅ。判りますぅ! 命、削れてるんですぅ!」


「うぅうぅ~うるせえ。ガキ。マアトのところへ案内……舌出しやがった! 斬っちまうぞ!」


「どうでもいいけど、術、融けてるわよ。身体、戻ってるけど?」ネフトの言葉に、マアトの手下ははっと鳥のみっともない四肢を見下ろし、「マアトさまああああ」とツインテールを揺らして飛んで逃げた。首だけ少女の顔のままで。


「なんだ、ありゃ。神話の化け物か。鳥じゃねえか」


「マアトの鞘マアティ。マアトは過去に世界を吹っ飛ばしているから、懲りた様子で、マアティに力を分散してると見るわ」


 ――デカ過ぎて想像できない。世界が吹っ飛ぶ? 布団じゃあるまいし。


「ともかく、ネフト。ここから出せよ。あんたなら、できるだろ。神」

「神は信じないのではないの?」

「こうなった以上は」


 短いやりとりをこなして、ネフトは頷いた。強い眼をイザークに向けた。「いいわ」といつだって炎の滾る瞳が向く。


「ただし、我らを堕としたマアトを倒して。私も、貴方も、愛する相手を信じると誓い合えるならば、力を振り絞ろう。イザーク、あんたと私は海底で出逢ってる」


 海底? イザークはそれに気づき、眼を瞠った。常識を疑うが、元々この世界に常識なんて通じやしない。分かっている。それでも、声が掠れた。


「堕とされた月と太陽……。海に沈んでいたほうがあんた? あれが太陽?」


「逆よ。私の神魂アラーは貴方たちで言う月、サアラの神魂アラーは太陽なの。天空の輝かしき身分が惨めにも地上の怨念に縛られた上、霊魂アクは人間に縫い付けられて動けない。同じ神でありながら、マアトの策略で、生き死にを繰り返す。もうどうしようもなかった。私たちは裁きにも負けない人間を幾星霜も探した」


「それが、俺とティティか?」


 ネフトは女神の微笑みを浮かべた。ティティは良くネフティスを呼んでいた。助けてくれていた。ずっと……あと一度でいい。最期にティティに逢わせてやりたい。


「……俺を最初に誘わせた淫乱女神はあんただな」


 ネフティスはクスクスと笑って、豊満な胸を揺らして立ち上がった。


「ええ、ティティインカはその部分が真っ白だったからね。欲しかったのは、神の前でもいちゃつく不貞不貞しさだったの。世界の掟を理解しないし動じない。悪の強い想いは、神にも負けないかも知れないわよねぇ。貴方たちは、本当に嬉しそうにお互いを見て、名を、諱を呼び合っていた。口づけすると、ティティの魂がふわんと飛んで行くのよね――……」


 げほ、とイザークは咳き込み、熱い頬を向けた。ネフトは微笑んで会話を止めると、辺りを伺った後、人差し指を唇に宛てた。


「マアトが目覚める様子。イホメト――ずっと待っていた。悪意に晒され、でも悪意に負けない人間を待っていた。人は、苦しんで強くなるから」


 ネフトはにこりと笑った。(あ、母ちゃん)遠き母を思い出す笑顔だった。


「サアラが貴方たちを信じ、ティティを助けている。なら、私も貴方たちの愛を信じようと決めた。マアトが倒れれば、空も世界も戻るけれど――裁きはない。悪人は裁かれず、横行する。そんな世界でも、貴方はいいと言うのね」


 イザークはにっと笑った。


「あんたたちは生きて行くための、個々の存在、諱をこの世界に遺してくれた。俺たちは、愛を持って呼び合う奇跡を噛み締める。それだけで何とかなる気がするからな」


(そうだろ、ティティ。俺はティティと名を口にする度、嬉しくなる。生きているんだと、一緒に生きると確信を抱ける。一番優しくなれる言葉、ティティインカ)


「覚悟を決めるのよ。世界をどうするかは、あんたの原罪に委ねられる。逃げて来た罪。――肉親、殺しの〝憤怒〟などに負けないで。約束」


「どうして、それを……」


 ふいっと唇を掠らせて、ネフトは、悪戯っぽく眼を細めた。


「約束を唇で交わすのでしょ。ティティに、宜しく。わたし、貴方たちが好きだった」


 ネフトはゆらりと立ち上がると、獣の声を出して、自ら全身を炎に包んだ。


 黒い炎は冥府の炎。ネフトの呼び込んだ炎と、マアトの炎の檻が衝突した。


「マアトの炎とわたしの炎は相反する。反発して、磁場を変える。わたしの命と引き替えだ! 覚えておいて。古代には、人間を好きな神もいたのだと!」


 女神ネフティスの最期だった。マアトの檻は焼け付き、蒸発して消えた。マアティたちが右往左往で騒ぎ出す中、イザークは一歩歩き出す。神への路だ。棘だらけの、真実マアートへの路。生きていると実感しながら、神に抗うために、歩き出す。


 人間は悪魔。誇りは間違わない。世界を変えるためには悪役で結構。ぶすぶすと黒い煙が立ち上る。イザークはサアラの剣を振り回した。


「悪魔でも、罪人アザエルでも、何とでも呼べ。……さあ、神をぶっ叩きに行くぜ!」

「ま、マアトさまああああああ。た、大変ですううううぅ!」


(月神ネフティス。あんたの願いは必ず叶える。俺とティティがあんたたちを必ず空へ還す。混沌の世界に、安らぎと光を与えられるは、あんたたちだ)


 左眼が熱い。イザークはサアラの光剣を握りしめた。涙目にネフトの髪飾りが映る。しゃらんと遺された環が、イザークの爪先に触れた。

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