66……再びのネメト・ヴァデルへ

 テネヴェを出て、国境フレヴェを越えた。テネヴェと隣国を繋ぐ道は裁きで埋まってしまったので、サアラと共に、テネヴェの西から迂回するルートを取った。


「ねえ、どこへ向かっているの?」ティティを振り向かず、サアラは告げた。


「ネメト・ヴァデル」


 ――ネメト・ヴァデル。またの名を、国境なき孤児院。


(懐かしい。青い湖沼の畔にあった入り江。数年前がこんなにも鮮やか)


 入り江が見えて来た。白木の海樹。翠の水面が銀光りした美しい絶景だ。


「でも、ネフトさまがいないと、子供たちの生活は」

「――心配には及ばない。戻ったよ。ルウはいるかい」


「ルウなら、物干し場で見たよ~。サアラさま。ああ、噂をすれば、ルウだ」


 背の小さな少女が、洗濯籠を抱えて歩いて来る。首にはスカラベが揺れていた。


(まさか)ティティにサアラは頷いた。


「覚えているかい。汝が、マアト除けを渡したルウだ。ネフトの代理をしてくれている。きみが数年テネヴェにいる間にも、時間は流れているがお分かりか」


 短かった髪は美しくたなびき、泥だらけだった顔には泥の代わりにほんのりとした白粉。すっかり大人びた表情で、ルウは涙目になって、ティティに微笑んだ。


「ティティさま……! ようこそ、ネメト・ヴァデルへ!」


 思わぬ再会に胸が熱くなった。目頭を指先で押さえ、嗚咽を堪え、御礼を口にした。


「ありがとう、サアラ、さま……! 連れてきてくれて。……嬉しい、嬉しいの……!」


(わたしのした事は無駄じゃない。呪うだけじゃなかったの……! 誰かを護っていた。思い出したわ。絶望のわたしを救ってくれるのは、いつでもわたしの歩んだ道だ)


 ティティは声も出せず、ルウを抱き締めた。顔を押しつける前で、ルウが笑った。


「仲間の子がもうじき産まれるのです。ティティさま、赤子に祝福をさしあげて欲しいのです。わたしのように、強く生きる力をあげて欲しいの」


「――え? 赤子?」


「我らの孤児院の子が、初めて子を孕んだ。今日が出産予定日だ」

「それで、ここに連れてきたの? サアラ様……」


 ティティは袖の中で転がっているスカラベを握りしめた。テネヴェでティティはたくさんの諱を引き千切った。今更、護符

スカラベ

の念など赦されない。


「だめ……。わたしは貴方たちに護りの術はかけられなくなった」


 ティティは俯いた。テネヴェでの日々をルウには言えない。


(諱を利用し、いい気になって術をかけた挙げ句、神から呪いを受けた。夫も呪われ、罪人

アザエル

の世界に攫われた。幾度も人を怨んだ――もう、わたしは綺麗じゃないの――)


「ティティインカ。贖罪は、ルウと赤ん坊を立派に取り上げることだ。我が妻ネフト

の言葉を見せて欲しい。人は生きて、有限を噛み締め、償えるのだと」


 サアラはさらりと告げ、背中を向けた。


「そろそろ私を解放しても良い頃だ。きみが、そうなのだろう、ティティインカ」


(神さまのお考え、わかりません。私を解放? これではまるで――……)


 ――人は、生きて償える。生きるために、愛するために、諱が、名前がある。


「ティティインカさま、お手伝いいただけますか?」ルウの声に強く頷いた。

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