第9章:恋人たちの裁きは近い

61……裁かれた世界

*1*


 置いた一つのスカラベ。〝余計なお世話ですよ。ティティインカ〟裁かれたはずのクフの声が聞こえた気がする。いつも、笑って殺意を剥き出しにしていたイザークの弟で、テネヴェの最後の王――。


 神の爪痕が残った神殿の柱は恰も終わった歴史の如く、沈黙していた。

 赤いオベリスクだけが変わらずに空に反旗を翻している。

 たった一人、荒れ地で世界を眺めていると、わけもなく涙が零れた。


(イザークの裁かれる前の夜に、子供のように胸をときめかせ、身体を預けた。わたしは、嫌らしい女なのかと、かつてネフトに震えながら、聞いたこともあったわ)


 答は胸にある。好きなら、当たり前の行為だ。恥じる話じゃない。


(うん、わたしは嫌らしい女じゃない。だって、ちゃんと、愛しているもの)


 ティティは思考を止め、ふふと笑った。少女だった心は、もう綺麗な大人の女性へと育っている。それでも、コブラ頭のあの頃の自分が可愛くて懐かしく、なる。


 ふと、夜が訪れた気配を察した。月の泣き声はないも、空がぐっと暗くなった。


(そういえば、マアト神はやたらに流れ星を気にしていたわね……)


『サアラが星を堕ろし始めた』


 過去を想い出し、ティティは(まさか)と、足早になった。またキィンと星が堕とされる。夜空の星の光をかき集め、一手に堕ろすは神なら、できる技。


(サアラさまが近くにいる! ……サアラー神が!)


 容姿はイザーク曰く〝暇な坊さん〟。サアラとネフトのいる、国境なき孤児院ネメト・ヴァデルの入り江で過ごした数日は忘れやしない。


(神の中にも人を助ける神もいるのだと。サアラさまの力強い言葉は忘れない)


 マアトの裁きで液状化した塩湖が目下、拡がっていた。三角形の王墓は斜めに傾ぎ。サアラは三角錐の尖った場所に立ち、夜空に手を翳し、光を集めているところだった。


 立ち尽くしているティティの前で、サアラが動いた。


「しばらく裁きが止んでいたと安心していたら、ティティインカ、この国で何があった。まあいい、探していたんだ、ティティインカ」


「わたしを?」サアラは頷かず、また眼を夜空に向けた。「罪人アザエルは?」ぎょろりとサアラの研ぎ澄まされた横顔が向いた。罪人。イザークの話だ。


「イザークは、裁きの標的にされて消えたわ。数年前にね」


 ティティはふいと背中を向けた。指を組んで、頬を緩めた。


「でも、遠くなって、間違いなく愛し合ってるって、自信が持てた。だから」

「聞いていないよ。ティティインカ。それとも、聞かせたいか」


(やっぱり、この神さま、苦手)思いつつ、ティティは少しだけ唇を尖らせた。少女のような動作だが、相手が神な以上、背伸びしてもどうにもならない。


「神さまに惚気は言わない。アケト・アテンへ戻ろうと思うのだけど、道がないの」


 ティティは血飛沫のように空を翔る光を見上げた。以前はこの三角錐の建物の鍾乳洞を通って、隣国からやってきた。しかし、裁きで鍾乳洞はおろか、出入り口だった洞穴は、今や血のように赤く、透き通った湖の中だった。


「ついて来たまえ」

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