54……イアの呪術研究所

***


 オベリスクの側に立てられた呪術研究所がティティの今の住処である。


「マアトの文献は、やはりなさそう?」

「ええ。テネヴェの数十年の記録文献は全て破かれていて、解読しようにも、途中焼失したものが多く、オベリスクの解読も呪術師が持ちこたえられずにいます」

「過去に航るしかないか。こう、ひゅっとね。神さまみたいに」


 驚く呪術師の卵たちに「冗談よ」と片眼を瞑って、炎の火影の前で、ティティは、きつく巻いていた眼帯を外した。


(最近また、眼が疼く。マアト神が世界に近づいているんだ……)


 剥き出しの背中がちりちりと炎に焼ける。パサ、とフードを被ると、ティティは靜かに神殿最奥に向かって歩き始めた。


 ――クフに頼み込んで、オベリスクの周辺を呪術場に作り替えさせた。


(あの時も、呪を解いたと同時にマアト神が現れた。まるで引替の如く)


 なら、繋がるなら、ここしかない。だが、ティティは呪を読めなかった。読もうとすると、イザークを思い出す。ティティが諱を詠む度、誰かが裁かれる気がして。

「あ……」また駄目だ。ティティはオベリスクの前の床に両手をついた。

 逢えない。これでは、何億年かけても、イザークには逢えない。


「今日こそ、詠んでやる! すーはー……」


(こんな風に息を吸った覚えがある。ネフトとサアラの孤児院だ。告白しようとして、頭が真っ白になった。フフ、わたし、可愛い)


 過去に浸っている場合か。ティティは育った胸に御守りの首飾りを下げた。イザークが贈ってくれた、青水晶の首飾りだ。イザークとの想い出は多すぎる。


 心に笑顔が甦るたび、決心を鈍らせる。イザークはもういないのだと、その度に思い知らされ。


 さわっと衣擦れの音がした。振り返ると、緑の瞳がティティを見ている。身重のテネヴェ国妃であるターナパトラ・オーブ・テネヴェだった。


(あのクフが人を愛せるとは思わないけど。愛は人を変えるのよね)


 何故かターナはよくオベリスク前に現れる。


「ターナパトラ王妃。またいらしていたのですか。王が心配されますよ」


 華やかなビーズの十連のネックレスに、長い手足をトーブに包み、クフとお揃いのコブラのティアラ。黒髪をきっちりと切りそろえている。


「ターナ王妃、近寄ってはなりません。クフ王が心配されます」


 ティティは告げて、神殿をぶち抜いて平然と建っているオベリスクを睨んだ。


「離れてください。今日こそ繋げて見せますわ。負けず嫌いなんですの」


 ティティは指に挟み込んだ六個のスカラベをオベリスクに翳した。


(イザークに再び逢うためなら、わたしは何でもする。心臓

イブ

を神の元に引き摺り出されようと! だからいつも願うの。今こそ、イザークに逢いたいの……!)


 神さま、と続けようとして思い留まった。敵に命乞いはしたくない。


「おお、震えておるぞえ。オベリスクの呪いかのう」


 ゴゴゴゴゴ……震撼したオベリスクから、赤は消えず。術の反動を喰らってティティは崩れ落ち、膝をついた。残されたイザークの諱の呪いが強固なせいだ。


(理由さえ分かれば呪は解ける。しかし、どうしてイザークの諱が呪われたか判明する術はない。それに、こんなに無数の彫り込みがあったら、真実は見えなくなる)


「ティティ、わらわ、お水を持って来る」


 王妃はねっとりと告げ、蛇の頭の水差しを抱えて戻って来た。


 ぺたりとついた手にターナ王妃の手が触れた。目前に見えたターナ王妃の腹は膨らんでいた。


(いいなあ……子供がいるのね)ティティはそっと立ち上がった。


 それにしても、ターナ王妃は必ずティティがオベリスクを訪れるとやってくる。

 ティティは転がったスカラベを手にした。スカラベは白い塊になり、指先で粉々になって霧散して消えた。


(呪が強すぎる。また、媒介のスカラベを作って、イチからやり直し……)


「ティティ、これ以上ここにおる必要はのうて、わらわ、お腹が……」


 ターナ王妃はティティの腕を取ろうとした。「お腹、屈んではいけませんわ。あちらへ参りましょう」ティティは王妃を庇い、頑固なオベリスクに唇を噛んだ。


 ――イザークを閉じ込めて! わたしは、必ず夫を取り返すんだから!

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