《第二部》

第8章 残された世界と繋がる愛

53……イザークの志を継ぐティティインカ

*1*


 テネヴェ要塞――。


「結界は持ちこたえたようだね。イア。しかし、南の結界が緩んで攻撃を受けた」

「うるさいわね。見て分かるわ。……後で張り直しておくわ。貴方もあの中に閉じ込めてやりましょうか、クフ」


 クフは少年を抜けきらない表情で、艶然と笑う。暖簾に腕押し。クフに恐怖は通用しない。ティティはくるりと背中を向けた。


「わたしは呪術研究所に戻るわよ。読みかけの本もあるしね」


 城壁からクフ王と共にある程度の戦記を見守った後、踵を還した。

 額に斜めに嵌めた冠は、後宮の上級呪術師に与えられるハティプト女王神の紋。クフ王が与えたモノだ。


 だが、クフさえいなければ、夫、イザークは消えないで済んだ。


(いつでも刃を向けるがいいわ。呪術で返り討ちにしてやるから、この、悪魔!)


 女神と称された美しき女呪術師イアのかつての名は、ティティインカ。テネヴェの若き王、クフィルートとティティは一触即発の日々を超え、間もなく三年――。


***


「イアさま、お怪我は。お腕を少々焼いたようですが」


「大したことはないわ。それより怪我人を運んであげて。結界を破られたの」


 告げながら、ティティは髪を縛り上げていた髪針を外した。肩で踊っていたコブラのしっぽは背中の中央で跳ねている。はだけた肩に上掛けを羽織ったところで、金の頭巾を被ったテネヴェの王クフが再び姿を見せた。背が伸びたクフは出逢った時のイザークを思い出す。それほど、二人は似ていた。


 クフは苦手だ。性格もさながら、顔を見ていると、嫌でも最愛の人を思い出すから。


 唇を軽く咬んだティティに、クフがゆっくりと歩み寄った。


「結界は今すぐ張りに行くわよ。アケトアテン軍が押し寄せるなんて。ラムセスの差し金でしょうけど。いっそ、出陣してくれたらいいのにね」


 クフがきろ、と眼を上げた。


「――兄に呪いをかけて、その上で、懲りない呪術師」低声にむっと言い返す。


「それとこれとは話が別だわ。あんたも懲りない。いいわよ、背中からぶすり、の前に諱を詠んでやるからね……!」

「兄は、勝手に裁かれたと言うに。いつまで、僕は怨まれるんでしょうねえ」


 しゅっ。ティティはスカラベを握った拳をクフの前に振った。涙が横流れに流れる。


「兄に、逢いたいと書いてある」

「……結界を張ってくるわ。その短剣、仕舞って婚約者の膝にでも寝てればいい」


 クフは肩を竦め、すいっと上半身を遠ざけた。


(まったく。事ある事に、わたしを殺そうとしないで。精一杯なのよ)


 ――イザークがいてくれたら。夜ごとからだを抱き締める。慣れ親しんだというには、あまりにも接触は少なかった。それでも、ティティは覚えている。


「一緒にいるっていったのに、嘘つき。いつも置いていくのよね」


 ティティは空を見上げた。マアトの裁き以来、空は真紅の雲が渦撒いている。いつでも、神の雷が落ちそうな気配だ。どんよりと重く、罪を背負わされそうな重圧感のある気圧。――どこにも、愛おしい気配がない、世界。


 神の裁きがない空は穏やかだが、飛んでいる生物がいない。光は漏れているが、昼も夜も崩壊し尽くされ。イザークが消えた世界は混沌としていて変わらない。


(また逢える。逢って、抱き締めて貰える。だから、信じて持つわ)



 ――聞こえる? 愛するイザークへ。


「世界を終わらせたいと貴方は告げた。意志は、わたしが継ぐ。オベリスクの呪を解き、マアト神にもう一度交渉するわ」


 ティティはテネヴェにて、成人を迎えていた――。

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