51……別離の刻

イザークが突き抜けた天を指した。いつしか空は真っ暗だった。一縷の光もありはしない。黒が渦を巻いていた。月が今までにない悲鳴を上げた。世界が危険が迫っている事態を知らせる如く。


「マアトの裁きだわ!」ティティの叫びと同時に突風が吹き抜けた。


「なんだって?」イザークが叫び、クフが見上げたところで、神官たちが一気に黒い翅になり、崩れ落ちた。容赦なく人が消え行く。オベリスクはティティを嘲笑うように、更なる鮮血へと染まっていった。


「無駄だったの? 駄目、戻らない! わたしは諱を読んだわ! 何人もを」


「そう」声は天から響いて来た。


 ゆっくりと翼が翻る。暗い天に何かが下りた音。振り仰くと、鳥目類の大きな眼が地上を見下ろし、赤く光っていた。巨大な金の鷲。怖れ続けたマアト神がそこに!


「呪術師、汝は裁かれず。汝が裁けぬ以上、一帯を振り払うは出来ない。世には伝えるものも必要だが、面倒を起こす、ヴァベラの原罪を呼び起こした罪人

アザエル

は裁くべきだ」


 はらり、と黒金の翅が降り注がれたは――イザークだった。



***


 はらはらと黒い翅が降り積もる。


「積もった翅が、罪の具現だ」

「どうして、イザークが裁かれるの! いや、世界から、イザークを奪わないでよ! 裁くなら、ラムセスとか、クフ王とか、もっといるじゃない! 何考えてんの! いや、嫌だ、いやよ、いや……っ。あっちいって! 来ないで!」


 噛みついた相手が神であるなど、ティティにはどうでも良かった。


 イザークは膝をつき、両手を呆然と広げ、動かなくなった。


 ティティは涙声で、イザークに降り注ぐ黒翅を必死で払い始めた。


「立つの! 翅なんか蹴散らして、逃げるのよ!」

「いや、足が、動かない。この翅、触れると身体が硬くなる。ティティ、逃げろ」


 クフの足音がした。


「――兄さん、さよなら。テネヴェの罪を背負い、マアト神に裁かれるが相応しいよ。あーはははははは。はーはっはははははっははははははは――――――っ! 分からなかったの? オベリスクには、あんたの裁きを願う呪術がかかってたんだ! 素晴らしいよ、マアト神ありがとう! 僕は、ずっと兄さん。あんたに消えて欲しかった」


 声は狂った月の悲鳴と暴風に遮られ、空はグルグルな色になって、一つに集約された。光が落ち。国全体に黒翅が注ぎ落ちる。イザークは葬送の黒翅に座り込んでいた。


「そんな……イザーク、やだ、ねえ、愛してるの! ずっと一緒って言った!」


 目前の状況は疑いようがない。それでも、ティティはイザークにしがみついた。


「わたしも連れて行って! いやだ、離れたくない! なら、わたしも裁いて!」


 涙と洟水でだばだばにした顔をティティは向けた。大きな手が頬を撫で、力強い腕がティティを強く抱き締めた。


「やっと、聞けたな、それ。あはは、やっとだ、やっと!」


 低く響く声が、いつしか心の支えになっていた。「ティティ」呼ばれて、何度立ち上がっただろう。ラムセスの前で、何度も肩を抱いてくれた。何度も名前を呼んでくれた。その度に、ティティはティティらしくいることを許された気がした。


「まだ何も始まってない! 呪いをかけたこと、ちゃんと謝ってない! 間違ってる。悪人二人がのうのうと生きているのに! 大嫌いだ。神さまなんか!」


「汝の心は騒がしい。――さっさと済ませて、寝る。寝たりないのを起こされた」


 一瞬だけ大気に透けた男は耳に小指を突っ込んでいた。髪を鶏冠のように逆立て、大きな翼が六対。眼は赤く、手には透過する大きな剣。透明部分には数多の諱が彫り込まれている。神殿の柱に彫り込まれた神の塑像そのものだ。


「マアト……神……?」座り込んだティティの前で、男はうっすら笑いを浮かべる。


「我の姿を見た人間は天秤にかける。それが神と人との古き約束だったな――」


 カッと光が暴発し、大地を包み込んで、さっと靜かになった。


『愛しているなら、奪いに来い。――天秤の前で、待つとしよう』


 翅が溜まった地に神の笑い声が響く。イザークの姿はもうどこにもなく、変わらずオベリスクだけが朱を放って存在を示していた。


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